1話 労働とは情報戦だ

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「なるほど、一本取られたな」  先輩方が次々と長机に寄りかかる。  脱力と同時に、安堵が込み上げてきたのだろう。  力ない笑いは、やがて室内に響き渡る大笑いへと変わっていった。 「全く。大した奴だな、新しい会長は!」 「今度は事前に言ってくれよ、胃に悪いから!」 「はは、すんません。一回こっきりの作戦だったんで、次から内部には知らせます」  和やかな談笑が広がる。  生徒会室が、穏やかな空気で満たされていく。  その中央で、立ち尽くしながら。  私は、何かが込み上げてきて、ムズムズするのを感じていた。  怒り、ではない。  不安でも、責任感でもない。  力を抜いた策士の立ち姿を見つめる。  心臓がとく、とく、と音を強める。  こんなやり方、知らない。  私にはできなかった。  なんて、どんでん返しなのだろう。 「す──」  すごい。  そう素直に称賛しようとした私の脳裏を。  不意に、一昨日連行される直前の、八重野との会話が過った。 ──ごめんね、青葉ちゃん。こっちも『ボス』の命令なのよ。 「あっ!!」  柚木と、その指示を受けて暗躍する八重野という図式を見て。  私は初めて、閃きを得た。  やられた。  書記のボスは誰だ。  人事部長などではない。  書記の上司(ボス)は、生徒会長だ。  それでは。  そもそも私が生徒会に連行されたのは。  これほど髪振り乱し、必死になって、頭を悩ませたのは。    その元凶は。 「……へえ。私を無理矢理連れてきて、巻き込んだのも、作戦のうちだったってこと?」  我ながら、驚くほど可愛くない声が出る。    柚木は私を一瞥(いちべつ)する。  そして腹立たしい顔で、へっと半笑いした。 「過ぎたことは忘れろよ。な?」 「忘れる訳ないでしょ! やっぱり、最ッッッッ低!!」  腹の底から出した怒声が、キンと響く。    何が、『どうしても必要』だ。  『助かった』だ。  『戻ってきてくれて嬉しい』だ。  間抜けにも、策士とその仲間達に()められただけではないか。  私はずんずんとデスクに戻ると、鞄を(つか)む。  そして集団と、その中心にいる柚木に対して、思い切り声を張った。 「……仕事はできるみたいだけど!」  それが、興奮収まらない私が言えた、精一杯の褒め言葉だった。 「っ、帰ります! お疲れ様でした!!」  そして勢いのまま、乱暴に戸を開閉して退室した。  短気は損気。  分かってはいるが、この興奮を抑えられない。  パタパタと廊下を走り、生徒会室から遠ざかる。  頬が熱い。  鼓動がうるさい。  怒りや喜びが()い交ぜになったような、この動悸の正体は何だろう。  ペチペチと両頬を叩くも、(たかぶ)った気持ちは収まりそうになかった。  混乱した頭のまま。  少しだけ別のことを考える。  私を連れてこいと命令したのは柚木だった。  だが、私が中学で生徒会長を務めていたなどの情報は、どこから入ってきたのだろう。  疑問は残るものの、私が生徒会に入ってしまった事実だけは、どうにも変えようがなかった。 「会計処理が終わったら、生徒会なんて辞めてやる……っ」  小さく呟いて決意する。  と共に、まだ自分には部費会計問題が残っていたのだと思い出し、落胆した。   会計の仕事にも、何かどんでん返しできるようなコツはないだろうか。  ただ『私が頑張れば良い』だけではない、何かが。  諦め半分、考えてみる。  と。 「……あっ」  そのアイディアは、少しだけ柔軟になった頭に、いとも簡単に降りてきた。 「そっか。私も、人に頼れば良かったんだ」  昇降口に差しかかったところで、ふと立ち止まった。  そして少しの時間、吟味をして。  私は、再び歩き出した。  可愛い顔をしているとは思えなかったが、少なくとも、眉間の皺はもう解れていた。 
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