1話 労働とは情報戦だ

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 目の前の、華やかなメイクに、ビビットカラーの派手ネイルの女子生徒。  席の合間を縫うように歩く男子達の、茶髪、金髪、スキンヘッド。    セーラーカラーや派手なブラウスのなんちゃって制服。  急ぎ足のTシャツハーフパンツ。  ふわふわフリルのロリータファッション。  眼鏡の男子がきっちり着ているのは、ブレザーではなくスーツに見える。   まるで情報の洪水だ。  クラリとしそうなほど多様な個性が、今日も教室にひしめき合っている。  ここ山茶花高校は、この近辺にしては珍しい完全私服校である。  それも、普通の学校では考えられないほどゆるく特徴的だ。   理由は校訓『自主自立』。  生徒から『論破できれば何でもアリ』と呼ばれる校風は、大いなる自由と、無数の可能性を秘めている。  究極的には、校則で原則認められないことであっても、学生にチャンスが与えられているのだ。   例えば、髪を金に染めたい場合。  金髪にしたい理由を説明して、金髪にすることで生じるリスクへの対応策を提示して、金髪にすることのメリットをアピールして。  そうしてプレゼンの結果、担任と生徒指導担当の教師が認めれば、晴れて金髪での登校が許可されるという寸法だ。  部活、委員会、勉強、趣味。  人道にもとることでなければ、何を頑張っても良いし、何を頑張らなくても良い。  自由極まる校風は、向上心溢れる若者にも青春を謳歌したい若者にも非常に受けが良かった。 「堀米くんって、いつも忙しそうだよね」  橋爪が呟く。  私は、先程受け答えした男子の背を見遣りながら、大きく頷いた。 「確か、この前の生徒会選挙で、いきなり副会長になったんだよねぇ」  「そうそう、一年生なのにすごいよね。昼休みも放課後もすぐいなくなるし、生徒会って大変そう」 「本当にね。お疲れ様だよー」  私は同情の目を堀米に向けながら、どこか他人事のように返答した。  何を努力するも自由。  生徒会に所属している彼のように、四月早々忙しくしている生徒もいるものだ。  私にももちろん目標があった。  それは、何かを頑張る、ということではない。  今時の女子高生らしく、お洒落や遊びに明け暮れることである。  実際、それを実現するだけの『資格』を私は手に入れた。  広い額を隠すように、眉下の丈で作った前髪。  野暮ったい黒の三つ編みは、切り落としてチョコレート色に染めて、肩の高さの内巻きボブに。  中学時代の膝下セーラーを封印し、赤いタータンチェックのスカートは膝上五センチがデフォルト。  同じ柄の大きなリボンを胸元に、ベージュのカーディガンはわざと大きめ。黒の靴下は短めで足出し。  極めつけに、眼鏡は鞄にしまってコンタクトデビュー。  メイクは入念に、それでいてできるだけナチュラルに見えるように。  ファッション雑誌で分析研究した『今時の女子高生らしさ』を、毎朝一時間かけてセットする日々は、不慣れで大変に思いこそすれ、苦痛に感じることはない。  これを戦闘服に、次は街へ繰り出す計画だ。  放課後は友達と一緒に、賑わう駅前でウィンドウショッピングや買い食い。  休日は足を伸ばして隣県に遊びに行っても良い。  先生を説得する材料として勉学には励むが、それ以外では極力、余裕をなくす所業を控えるつもりである。  部活はしない。  委員会は楽そうな国語教科係のみ。  生徒会なんて、もってのほか。  そうしていつか、花の女子高生集団に馴染むことができた日には、積極的に素敵な恋愛をするのだ。  内心野望をたぎらせているところに、朝の予鈴が鳴る。 「青葉っち、またねー!」 「またね、づめりん」  席へ戻っていく友人に手を振った後。  私は前方に座った長身の男子に、再びこっそり目を向けた。  新入生にして生徒会副会長を務めるクラスメイト、堀米(ほりごめ)正樹(まさき)。  着崩しのないシャツに、清潔感あるブルーグレーのニットベスト、乱れのない黒髪。  いかにも真面目そうな雰囲気の彼だが、受け答えのスマートさとさりげなさは、周囲の同級生達と一線を画す。    班組みで一緒になったり、掃除場所が一緒になったり。  入学以来、度々小さな縁が続く相手で、私は少しだけ彼のことが気になっていた。  先程堀米に貰った何気ない褒め言葉を思い出して、密かに頬を熱くする。  モテた経験のない私にとっては、あれだけの言葉も朝刊に載るほどの大ニュースだ。  自意識が恥ずかしくて、ふるふる首を振りつつも、口元の緩みが抑えられない。  クラスメイトの挨拶だ、と自分に言い聞かせながらも、まだ胸がトクトクと鳴っている。  こんなに毎日が輝いているのは、いつぶりのことだろう。  新しい教科の授業も、個性豊かな級友と過ごす昼休みも、全てが楽しみで仕方ない。  私は、刺激的で明るい予感に胸をときめかせながら、この日も同じように一日を始めたのだった。  紛れもなくこの日の朝までは、希望に満ちていた。  昼休み。束の間だった平穏が、終わりを告げるまでは。
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