1話 労働とは情報戦だ

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「追加書類と説明書は、生徒会室前に置いています。ご自由にお取りください。また、既に請求済みの活動については、一度申請書を返却するので、恐れ入りますが××日までに生徒会室に取りに来てください。追加書類を記入後、再度申請願います。繰り返します────」  今生徒会室に積まれている部費請求については、顧問と相談した結果、一度返却し、書類を追加して再提出するよう依頼することとした。  クレームが来ることも予想されたが、それよりも正確性を優先した結果だ。  幸い、対応には他の執行部員達が協力してくれることになっている。  結局、追加書類の様式や、新たな申請方法の説明書を作るため、昨日はまた最終下校時刻ギリギリまで生徒会室で作業することとなった。  それでも間に合わず、家でも作業をしたため、私は今日も寝不足だ。  が、これが来週からの私や、後任の会計職の手間を減らすのだと信じたい。  がむしゃらに頑張ることが全てではない。  視野を広くして、何をすべきか考えることが大事なのだ。  今回の件で学んだそれを、すぐに全てに当てはめることは難しいだろうが。  まずは一歩を踏み出せた。そうだと良いと思っている。 「──ご協力よろしくお願いします。以上で、生徒会からのお知らせを終わります」  原稿を読み切った私は、つまみを下げてマイクを切った。  ピアノのBGMだけが、やまずに鳴り続けている。 「あっ、あれ? どうやってBGMを切るんだったっけ……」  あちこちに目を遣り、つまみの表示に『BGM』を探す。  焦れば焦るほど見付からず、狼狽えていると。 「大丈夫、ここだよ」  すぐ後ろから、堀米の声がした。  私の右耳を(かす)めて、伸びた彼の右手が、視界に急に現れる。  堀米は、私の右腕のすぐ下にあったつまみを下げた。 「ええと、あとは……」  彼はそのまま悠々と、いくつかのつまみを操作する。  椅子に座る私の、すぐ後ろから感じる気配が、近い。  シャツを捲った彼の右腕が、近い。  優しげな声が、近い。  触れていないのに、彼の温度を感じるような気がして、全身が硬直する。  心臓だけがバクバクとうるさくて、身動きが取れなくなる。 「お疲れ様」    囁くような声に、肩がびくっと震える。  身体が強張って、振り向くことができない。 「ほっ、堀米くんこそ、お疲れ様……!」  「ありがとう」  応える声は、先程より少し遠く。  機材に置かれた堀米の手は、あっと言う間に離れていった。  バッと振り返る。  堀米は本心の読めない、優しげな笑みを浮かべていた。  無駄に緊張した自意識過剰が恥ずかしくて、私はすぐに視線を背けた。 「び、びっくりしたよ。堀米くん、機械にも詳しいんだね」 「放送とBGMくらいだよ。トウヤのお使いが多いからね」  苦笑しながら謙遜(けんそん)し、CDを取り出す堀米を盗み見ながら、私は気付かれないように息を吸って、吐いた。  策を講じる会長だけではない。  淡々と策を実行する堀米も、十二分に底知れない人だ。  優しいだけの人だと、決して思ってはいけない。 「若林さんこそ、堂々と話していて素敵だったよ。さすが、話し慣れてるんだね」  さらりとした褒め言葉に、ほらやっぱりと心臓が暴れだす。  ドクンドクンとうるさい鼓動は、警戒か、尊敬か、それとも別の何物か。  分からず混乱する私を、見守るように。  はたまた攪乱(かくらん)するように。  二人きりの放送室。  堀米の微笑が、静かに私へと向けられていた。 〈了〉 ****** 【今回の教訓】  労働する上で情報は非常に重要。  がむしゃらに頑張る前に、視野を広くして、情報を集めて、作戦を立てると吉。  時には情報を利用することも大切。  ただし本来、身内にドッキリをしかけ、心理的安全性(組織の中で自分の考えや気持ちを誰に対してでも安心して発言できる状態)を損なうのは悪手。  ドキドキするのは恋愛任せがちょうど良い?
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