2話 高度な技術を妄信するな

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***(side 堀米 正樹)***  半開きの窓の向こうから、カキン、と小気味良い音が聞こえてくる。  遠くで上がる歓声。  砂を蹴る音。    初夏の青空に映える校庭を眺めながら、僕、堀米正樹は渡り廊下を歩き過ぎる。   「もう五月なんだよなあ……」  いつの間に春が終わってしまっていたのだろう。  ゴールデンウィークが過ぎ、オリエンテーション合宿も終わり、梅雨も間近の五月後半。  新緑の季節だと頭で理解しているものの、今年はいまいち時間の感覚を掴めずにいる。    ファイルを詰めたバッグを両肩に提げ、薄暗い階段を降りていく。    一階に到着するとすぐ、賑やかな声が耳に飛び込んできた。 「とにかく! 数字が合わないうちは受け付けられないので、もう一度見直してきてください!」  ドアの開け放たれた部屋から、漏れ聞こえた女子生徒の声。  威勢の良い声の主に、僕はすぐさま思い至り、息を呑んで足を止めた。    それと前後して、目的の部屋から男子が二人出てくる。 「んだあのクソ眼鏡」 「腹立つよな…………っ!?」  廊下に出て早々悪態をつく生徒達が、こちらを見て口を(つぐ)む。  鋭い目付きになっていただろうか。  意識的に表情を和らげると、赤スリッパの先輩方は小さく舌打ちして走り去っていった。 「お疲れ様です」  彼らが開け放して出て行った生徒会室の戸を、挨拶と共にくぐる。  入口近くの机で作業していた女子生徒に、僕は微笑みを向けた。 「お疲れ様、若林さん」 「あっ、堀米くん。お疲れ様!」  赤縁眼鏡をかけた小柄な人、若林青葉。  僕の思い人。    眉間に皺を寄せていた彼女は、僕を見上げて一転パッと顔を明るくした。  青葉が生徒会に入ってから一月近く経つというのに、僕は未だに彼女の笑顔に慣れていない。  眩しい笑みに内心動揺しながら労いの言葉をかける。 「廊下まで聞こえてたよ。大変だったね」 「あっ……き、聞こえてた? あはは……」  聞こえていないと思っていたのだろうか。  おろおろ狼狽して赤面する青葉の百面相に見入る。    じんわり温かい、何とも言えない幸福感を味わっていると。 「あ、あの、すみません……」  入口で止まっていた僕の後ろから、男子生徒の声が上がる。   「あっ、決算書の提出ですか? ここで受け付けてます!」  青葉は訪ねてきた男子にすぐさま目を向け、手を挙げた。    職務を邪魔する訳にもいかず、僕はするりと退いて室内に移動した。  トートバッグを長机に下ろしながら、名残惜しさに彼女の背を振り返ったその時。 「よお、サキ。お帰り」  キャスター付きの椅子に座った茶髪の男子が、半笑いで、くるりと僕の方を向いたのだった。 「どうだ、進捗は?」 「取り敢えず回収は順調だよ、トウヤ」  尊大な態度で尋ねてくる友人、桐也(とうや)に、僕は簡素な報告をする。  が、お気に召す回答でなかったようで、彼は皮肉げに口角を上げた。 「違うっつの。あっちだよ、あっち」  桐也はぞんざいに、入口で来訪者と話し込む青葉の背中を指差す。    どうやら生徒会長として副会長に、業務状況を問うている訳ではないらしい。  片想いの相手である青葉との関係について聞いているのだと思い至り、僕は溜め息を吐いた。 「あの状況を見て、それを聞けるお前の神経が知りたいよ」  各部活で回収してきた決算報告書を取り出しながら、小声で答える。  入口近くに机を並べて作った、臨時の応対スペース。  そこでノートパソコンと書類に囲まれながら、来客対応に追われている青葉。  それらを漫然と眺めながら、桐也は変わらぬ半笑いでへっと吐き捨てた。 「だろうな」 「だったら聞くなよ」  五月も生徒会は忙しい。  目下一番大変なのは、部活動や同好会の昨年度の収支報告を纏める『部活動等総決算』だった。
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