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***(side 若林 青葉)***
その日。
少し早めに帰宅した私は、夕食と風呂の後、早速中学の後輩から送られてきたメールを開いた。
生徒会に残留していた後輩の一人に、メッセージを送ってみたのが今週半ばのこと。
余計なお世話だと嫌がられないだろうか。という不安とは裏腹に、すぐに電話がかかってきた。
通話は後輩達の歓喜の声で始まった。
『若林先輩! 連絡しようかすっごく迷っていたので、メッセージ貰えて助かりました!』
『会計用のファイル、『便利そう』ってことは分かるんですが、僕達表計算ソフトの知識が足りなくって、その便利機能を使いこなせていなくって!』
『あっ、あと覚えていればなんですけれど、あいさつ運動の時って──』
懸念だったこと以外にも、あれこれと質問攻めにあって。
私は「ごめんね」と謝りながら、解説を申し出た。
こうして大歓迎と感謝の声を浴び、私は自分の『置き土産』のデータを送ってもらえることとなったのだ。
添付ファイルを開き内容を確認しながら、苦笑が漏れる。
「あー。今見ると、確かに分かりづらいなあ、ここ」
高校で数多のファイルを見た後だからか。
卒業前には気付けなかった、解説不足や危うさなどが目についた。
数字を入れれば自動計算されるように作った、便利なファイル。
関数を弄れないよう、ロックをかければ良いかと考えて。
私は、ふるふると首を振った。
「ううん。あの子達なら、この部分を解説すれば自分の頭で分かってくれる。いくら便利でも『私だけが分かる』じゃ駄目なんだよね」
『立つ鳥跡を濁さず』のつもりで、あまりにも綺麗に纏めすぎた。
美しいだけで無用の長物と化す負の遺産なら、ない方がマシだ。
私がやるべきだったのは、次代に羽ばたき方を教えることだった。
卒業前に全てを終えられなかったのはみっともないと思ったが、こうして繋がることができたのだから、まだ泥臭く足掻くにも遅くないはずだ。
「ええと、どうしようかな。シートは保護して、ファイルそのものに、コメントで保護解除の方法と関数解説を付けて。引継書には言葉を足して。あと表計算ソフト初心者なら、計算結果がおかしい場合に確認する『チェックリスト』があると良いかもなあ。あと、『改造する時はファイル原本を残してから』! これだけはメールに書かなきゃ」
説明や注記をあれこれ考えては呟く。
自然と口角が上がっていることに気付き、私はふふ、と笑った。
「こうやって色々考えられるのも、堀米くんが背中を押してくれたお蔭だなあ」
思い浮かべたのは、アドバイスをくれた優しいクラスメイトのこと。
口にした名前が照れ臭くて、私はパジャマの袖で口を覆った。
今月は多くの人に助けてもらったが、一番は間違いなく堀米だ。
決算書類の回収に確認。
会計データの謎を解き明かす材料の提供。
私的な悩み事の相談に乗ってくれて。
暴言を浴びせられた私を守るよう、工夫をしてくれた。
ICレコーダーを貸してくれただけではない。
書類を受理するよう怒鳴ってきたいくつかの同好会が、後日反省と共に補正書類を持ってきた。
それはどれも堀米が、各同好会の戸を叩いた後だった。
きっと彼はまたさりげなく私を助けてくれたのだろう。
そう思えば頬に熱が集中していく。
「……いやいや。勘違いするな、私。可愛くないところばっかり見せておいて、今更何かが起こったりなんてしないから。堀米くんに他意なんてないんだから!」
私は言い訳しながら、首をぶんぶんと振った。
ただの親切に勝手に照れているなんて、知られたら嫌がられるかもしれない。
そんな堀米と、遠慮も気遣いもなく交流できる柚木を羨ましく思うなんて、もってのほかだというのに。
さりげなく他意のない親切には、さりげなく他意のない感謝を返さなければならない。
帰り際の自分の行動を思い出して、私は熱い両頬に手を当てた。
堀米にだけ『二個』渡した、どんぐり飴。
小さな『特別』には、気付かれなければ良いと願いながら。
「よし! じゃあ、頑張りますか!」
頬をパンパンと叩き、腕を捲る。
と、後ろの戸がガチャ、と開いた。
「姉ちゃん、うるさい。いい加減寝なよ」
「ご、ごめん柳青……」
弟の呆れ声を浴びせられて。
私は熱冷めやらぬ顔のまま、あははと誤魔化すように笑ったのだった。
〈了〉
******
【今回の教訓】
高度な技術も、所詮は人間が作ったもの。
効率化と時短は非常に大事なので、活用しつつ、妄信はするべからず。時には動作を確かめると吉。
後任が理解し、考えられるような形で引継ぎできると尚良し。
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