1話 労働とは情報戦だ

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 担架に乗せられている側は、こんなに景色の流れを速いと感じるものなのか。  安定した体勢のはずなのに、意識があるとこんなにも不安定に感じるものなのか。  落ち着かない思考の中、別館に運び込まれた私は、人通りの少ない廊下で紳士的に下ろされた。   「ありがとう、お疲れ様です」 「いえ、また呼んでください!」  去るレスキュー同好会の面々に、八重野がにっこり手を振る。  挨拶している隙をついて逃亡を図るも、あえなく進路を阻まれた。 「青葉ちゃん、お・ね・が・い」  ハスキーボイスの区切るような囁きが、かえって女性的で可憐だ。  (ほだ)されないよう背を向けようとすると、伸びる彼女の両腕が目に入った。  ビクッと反射で身を震わせる。   「また、抱き上げちゃうわよ?」 「……だろうねぇ……」  諦念で語尾が間延びする。  私は溜め息を吐いて、生徒会室の扉に目を向けた。  中からはコピー機の音が絶え間なく聞こえてくる。  パタパタと上履きで走り回る音も、焦ったような人の声も耳に入る。  この雰囲気には覚えがある。  忙しい場所特有の空気だ。  尻込みする私の背を、八重野が優しく、しかしやや強引に押す。 「さあ、入った入った」 「……はぁい……」  ガラリ。  ドアを開ける。  と、室内にいた三人の生徒が、一斉に動きを止めこちらを見た。 「お待たせ! 青葉ちゃんを連れてきたわよー!」  そして。 「「「うおおおおおお!!」」」  八重野の紹介を聞いた三人が、疲弊した声で叫ぶように歓喜した。  まるで、ゾンビの歓声のようだ。  内心そう思ったが、背後に立つ八重野が、私の後退を許してくれなかった。 「君が『青葉ちゃん』か! 待ってたよ!」 「さあ、入って入って。歓迎するよ!」  あっと言う間に囲まれ、退路を絶たれる。  歓待ムードに引き摺られ、部屋中央の長机へ連れていかれる。  抵抗したら先程のように、何をされるか分かったものではない。  紙コップで出されたお茶を警戒しながら、私はひとまずパイプ椅子に腰を下ろした。 「ええと。どうしましたでしょうか……?」  私は恐る恐る用件を尋ねる。  拉致同然に担ぎ込まれた身としては、一刻も早く現状把握をしたかった。  長机を挟んで向かい側に、男子生徒が着座する。  顔を知らない相手だが、彼が生徒会長なのだろうか。  疑問と共に顔を眺めていると、彼は困ったように笑って、頭を下げた。 「初めまして。俺は昨年度後期に生徒会長をしていた、三年の陣条(じんじょう)(つかさ)と申す」  どうやら彼は、現会長ではなく前任者であるらしい。  なぜそのような人物がこの生徒会室にいるのだろう。  疑問に答えるように、陣条は自己紹介を続けた。 「今は生徒会執行部直属の、人事部長を務めている」 「えっ」  予想外の言葉に、吃驚が口から飛び出る。  会長。副会長。書記。会計。  生徒会執行部の役職として、パッと頭に浮かぶのはこんなところだ。聞いたことのない役職名に私は思わず耳を疑った。  件の陣条人事部長は、大真面目な顔で続きを語る。 「ここの生徒会はな、すごく、ものすごく忙しいのだ。凡人の俺には荷が重く、半年の任期を終えるだけで精一杯であった」  そう言うと彼は、瞳に闘志を燃やしながら拳を握り込んだ。 「そこで俺は今年、勝手に、生徒会執行部内に人事部を立ち上げたのだ。より優秀な人材を確保し、少しでも業務が回るように!」 「そ、そうなんですか……」  曖昧に返事をする。こめかみの辺りを汗が流れる。  冗談ではない。  この流れは。  嫌な予感を察知し、立ち上がろうとした私の両肩を、先に起立した陣条がガッシリと掴む。  彼は目を輝かせ、わっはっはと豪快に笑った。   「という訳で、見付けだした逸材が君なのだよ、青葉くん! 是非、この生徒会の星となってくれ!」
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