1話 労働とは情報戦だ

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「お断りします!!」  私は、きっぱり拒絶を示した。  ここ半月ふんわりまったり暮らしてきたことを感じさせない、可愛げのない鋭く大きな声が出た。  ここで仏心を出してはいけない。  自分の信念を曲げるな。  関わるな。  自分に言い聞かせながら相手を見据える。  と、陣条は途端に眉尻を下げ、しゅんとした。 「そう言わず、話だけでも聞いてくれないか……?」  弱気な声で問われ、(ひる)む。  捨てられた仔犬のような視線に耐えられず、目を背ける。 「……話、だけでしたら」  思わずそう返事をしてから、しまったと気付く。  計画なき無闇な譲歩は、交渉においては悪手だ。  分かっていながら実行できない自分の不甲斐なさに憤りつつ、私は渋々姿勢を正した。  陣条はピンと背筋を伸ばして着座し、事情を語り始めた。 「今年は、優秀と名高かった中学の生徒会長と副会長が、揃ってうちの高校に入学してな。俺は二人を誘って選挙に出させ、今期の会長と副会長になってもらったのだ」  私は、入学の一週間後に行われた生徒会選挙を思い出す。  名前も顔も知らぬ会長候補。  副会長に立候補した、まだよく知らないクラスメイトの堀米正樹。  他に対抗馬もなく、あっさり信任投票で当選した二人の一年生。  元々生徒会経験者だったとは、今この場で初めて知った。  この人事部長、情報収集能力にかけては中々優秀なのかもしれない。  心の中で感心していると。  陣条はそれを打ち消すように、深い深い溜め息を吐いた。 「はあ…………。とんでもない誤算であった。副会長はともかく、会長があんなにも怠け者の馬鹿者だったなんて」 「えっ?」  脈絡のないマイナスの情報を、上手く呑み込めず、私は疑問符で返答する。 「まあ、壁を見てみてくれ」  陣条は曇った顔で、室内をぐるりと指し示した。  簿冊がぎゅうぎゅうに押し込まれた書棚。  壁に沿うよう並べられた学校机と、その上に乱雑に積まれた書類の山。  それだけ見ればただの生徒会室に思える。  が、問題なのは装飾の異質さだった。  壁という壁に、カラーのポスターが貼られている。  豊かな黒髪を風に(なび)かせる少女。  白いワンピースの少女。  ブーツを履いた袴姿の少女。  まだ慣れないコンタクトレンズ越しに、私はポスターを見比べる。  よく見ると、それらは全て同じ人物のポスターだった。    長年流行に疎かった私でも知っている。  ドラマやCMに引っ張りだこ。今放送している朝の連続ドラマ劇場で主演を務める、若き清純派女優。 「朝ドラ女優の、立花(たちばな)瑞穂(みずほ)さん……?」  私が答えを口にすると、陣条は大きく頷いて肯定した。 「就任以来、新しい会長がしたことといえば、私物のポスターでこの部屋を飾り付けたことくらいなのだ」 「ええっ!?」  私は、驚愕を思い切り声で表す。  無能なんてものではない。  彼は──何のために会長になったというのか。  沸々と。  平静を保とうとしていた心の奥底で、何かが沸き立つ。 「とにかくそんな状態なもので、困ったことが二つあってな」  陣条は心底困った顔で、再び溜め息を垂れ流した。 「一つは、学年合宿の取り(まと)めが進まないこと。もう一つは……」  そして。  神妙な顔をした彼の、続く言葉に。  私の心は大きく揺さぶられる。 「指名された会計がいたんだが、こんな状況だからな。多忙さに絶望して、生徒会を辞めてしまって……今、会計業務をできる生徒が、いないのだよ」 「そんな……っ」  私が言葉を詰まらせると同時に、室内を静寂が支配する。  働かない生徒会長。  いなくなった役持ちの生徒。  それでも容赦なく降り積もる、書類の山。 ──絶望。    静かな怒りの感情が。  私の中で、ぐらぐらと音を立てて煮える。 「……そんな中、もう一人だけ一年生に、生徒会経験者がいることを突き止めたんだ」  ハッとして、陣条を見る。  彼は真っ直ぐ私の目を見た後、自嘲気味に笑って俯いた。 「もっとも今、話をする前に断られてしまったのだがな……」
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