3話 自分を楽させることは後任を楽させること

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「ご、ごめんね。強く断っちゃって……」  店を出てフロアを歩きながら、私は項垂(うなだ)れた。  人前で頑なな態度を取ったことに悶々としていると、彼はううんと優しく首を振った。 「まさか。こちらこそ、差し出がましい真似をしてごめんね」  謝る堀米はどこまでも謙虚だ。  余計に自分を情けなく思ったが、ここで引き摺っても仕方がない。  気持ちを切り替えるように、私はファンシーショップの小さな紙袋を掲げてみせた。 「気を使わせちゃってごめんね。でも、選んでくれて嬉しかったよ。ありがとう! 大切に使うね」 「こちらこそありがとう。楽しみにしてるね」  楽しみにしているという言葉に、またもや耳まで熱くなる。  今まで、髪を留めて業務に打ち込むことは、すなわち理想の女子高生像から遠ざかることだと思っていた。  けれどこんな言葉一つで、次に髪留めを使う日が待ち遠しくて仕方なくなる。    ふわふわと定まらない思考の中で、先程私達を送り出した柚木の言葉が思い出された。 『明日から脳みそフル回転でキリキリ働いてもらうためにも、一度休憩を挟む必要がある』  もしかすると、彼はここまで予見して休息を与えたのだろうか。  だとすればとんでもない策士だ。  けれど今日は、掌で転がされていたのだとしても、それでも良いかと思える。  それほどまでに楽しい放課後だった。 「今日はありがとう、堀米くん。すっごく楽しかった!」 「こちらこそありがとう。僕も楽しかったよ」  駅の方へとゆっくり足を運びながら、微笑み合う。  普段の忙しさが嘘のように、心が穏やかで温かかった。 「ちょうど良い電車あるかな?」 「もう少しで急行が来るから、それに乗って帰ろうかな」  電車の時刻を思い出しながら時計を見る。  普段よりもまだ早い時間だ。  帰らなければならないのに、名残惜しい。  そんな可愛げのある言葉は、口に出すことが(はばか)られて。  私は精一杯の笑顔と共に、気遣いの言葉を伝える。 「気を付けてね」 「ありがとう。若林さんもね」  会話が終わってしまう。  それが寂しくて、私は帰り際だというのに雑談を口にしていた。 「うん、ありがとう。堀米くんのお家は、ここから近いんだっけ?」 「そんなに遠くないよ。ただこの時期、田んぼを突っ切ると虫が飛び込んでくるから気を付けなきゃ」  そう言って堀米は冗談っぽく笑った。  ありがたくない夏の風物詩は、私にも心当たりがある。  駅から家へ向かう道、橋を自転車で通る度に当たる蚊柱は、煩わしくも夏らしいものだ。  そう思い返しながら、はたと気付く。  徒歩で帰るとして、そこまで蚊柱に難儀するものだろうか、と。  疑問は口を突いて出た。 「堀米くんって、自転車通学だったっけ?」
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