1話 労働とは情報戦だ

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+++  その日の放課後。  私は友人からのカラオケの誘いを涙を飲んで断り、生徒会室へ向かった。  ガラリ。  戸を開けると既に生徒が(たむろ)していた。  書記を務める連行犯(クラスメイト)八重野(やえの)瑠果(るか)。  自称・生徒会執行部人事部長、陣条(じんじょう)(つかさ)。  ほか、昼休みにも生徒会室にいた庶務担当の二年生が二人。  会長と副会長はまたも不在のようだ。 「青葉ちゃん、いらっしゃい! 待ってたわ、よ──」  明るい顔をした八重野が、ポカンと口を開ける。  続いて私を見た三人も瞠目した。 「……イメチェンした?」  庶務の先輩に尋ねられ、私は苦笑いする。 「こっちが素……ですかね」  頬を掻く真似をして、私はボソリと返答した。    アクセサリー代わりに鞄に付けていたアメピンで、前髪を留め、広いおデコを(さら)け出し。  コンタクトレンズを外し、万一のため鞄に入れていた、メタルフレームの赤眼鏡を装着。  だぼだぼのカーディガンを脱ぎ、シャツの袖は肘まで(まく)る。  ダサい格好だが、これは断じてイメチェンではない。  細かい字を大量に読み、書類を裁くことに徹するための装備──逆イメチェンだ。  昼休みに書類を(めく)った時、前髪の鬱陶しさと、慣れぬコンタクトの違和感に耐えられなかったことには驚いた。   やるからには徹底的に。  そう思い、近くのトイレで装備を整えてきたのだ。  一刻も早く生徒会の仕事を終わらせ、青春を送るためには、一時お洒落を捨てることもやむを得ない。 「……よしっ」  私は会計の席に座り、昼休みに四分の一ほど目を通した書類の山に手を付けた。  本当は引継書を最初に読みたかったが、探しても見付からなかった。  ないものを嘆いても仕方ない。まずは積まれた書類をざっと見て、現状把握に努めることにした。  今、目下の会計の仕事は、この書類を処理すること──四月に消化された各部活・同好会の予算について確認することだった。  ステープラーで留められた書類の束をパラパラ捲る。  お洒落を一時的に放棄した分、効率は良好だ。  サッカー部のボトル購入。  文芸部のインク購入。  提出された申請書と領収書のセットを流し見ていく。  経験でいえば中学時代、部活の支出書類を見たことがあるため、一応、全くの初心者ではない。  しかし。 「うへぇ……」  様式が違うだけではない。  枚数を見るにつれ、考えなければならないことの多さに気付き、私はぼやきを口に出していた。 「こんなに部活や同好会があるんだもんなぁ……」  『自主自立』の旗印の元、この高校にはただでさえ多くの部活や同好会が存在する。  年度始めの物品購入の多さは、それだけで脅威を覚える。  それに加え。  年度替わりで『新規設立』や『統廃合』、『分裂』をしている団体が多数あるらしいところが、非常に厄介だった。  私は鞄から部活紹介の冊子を取り出して捲る。  例えば、プール関連の活動の場合。  昨年度は、水泳部とプール遊戯同好会の二つの団体があったらしい。  それが今年度は少なくとも、競技水泳部と水着研究会とプール設備研究会に再編されている。と、部活紹介誌には記されている。  冊子には載っていないが、私は先日プールサイド青春同好会に勧誘された。  実態を紹介誌だけで把握するのは厳しいと見て良いだろう。  覚える気も失せる煩雑さに、私は長く息を吐き出す。 「……このごちゃごちゃが、予算に影響しなければ、何の問題もないのだけど」  そう、予算が絡まない場合は、特に気にする必要がない。  問題は、予算を要求していた団体が、統廃合されている場合。  『どのように』再編されて。  収支を『どのように』分けたのか。  間違いが起こらぬよう、確認しなければならないことだ。 「この、部活や同好会の現在数って、どこかで把握しているんですか?」  前会長である陣条に問うと、彼は渋い顔で首を横に振った。 「いや。部活動については、統廃合時に申請義務があるから把握できるが、同好会や研究会については自称しているのが大半だからな。ペーパーカンパニーならぬ、ペーパー同好会も多くある」 「……ありがとうございます」  私は手元にある、水着研究会とプールサイド青春同好会の請求書類を見て、深く溜め息を吐いた。  前途は、思ったよりはるかに多難らしかった。
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