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「──だから、早く言わないと、手遅れになっちゃうかもしれないじゃない!」
強く訴えるハスキーボイスに立ち止まる。
「八重ちゃん?」
知った声に思わず呟けば、堀米も否定しなかった。
尋常でない声差しに胸がザワリとする。
「言えっ──って──どうしろって────」
対する男子の声は、八重野の声ほど明瞭に聞き取ることができなかった。
それでも両者が何事か言い争っていることは分かる。
このまま聞き耳を立てていても良いのだろうか。
躊躇する足が歩みを遅くする。
「取返しのつかないことになる前に、柚木くんは自分の立場を、ちゃんと説明した方が良いんじゃないの!?」
八重野の責めるような声が廊下まで響く。
その言葉で、八重野の口論の相手が柚木であることに気付く。
生徒会室の閉じた戸の前で、私は足を止めた。
この空気の中入室しても良いのか、分からずに足が竦む。
「ねえ、堀米くん──」
どうしたら良いだろうか。
助言を求め、隣に立つ彼を見上げる。
「……ちょっと今は、生徒会室に戻るのやめておこうか」
眉根を寄せた堀米が踵を返した、その時だった。
「うるせえよ!」
戸の向こうから低い怒鳴り声が飛んでくる。
そのあまりの迫力に、私はびくりと肩を震わせた。
「自分のことですら煮詰まってんのに、他人ことまで考えられる訳ねえだろうが!」
柚木の、苛立ち溢れた声に。
戸にかけた手がカタカタと震える。
私の知っている柚木は、喧嘩の時でもどこか飄々と、人を小馬鹿にしたような半笑いを浮かべている人物だ。
こんなに熱の篭った彼の声を、私は聞いたことがなかった。
「でも、それじゃ──!」
「じゃあ何て言えば良いんだよ!」
食い下がる八重野を威圧するように。
けれどどこか追い詰められたような、絞り出すような声で。
「朝ドラ女優にまでなった『ほずみー』が、オレの幼馴染だってことか? ファンとかそういうんじゃなく、元からずっと好きだったことか!? そんなこと言ったところで、何が変わるって言うんだよ!!」
叫んだ柚木の言葉に。
圧倒された私の手が、戸を掠る。
カタン。
その小さな音だけで、中の者に存在が伝わる。
後ずさったが後の祭りだった。
ガラリと戸が開く。
八重野が目を見開いて私を凝視する。
「あ、青葉、ちゃん……」
動揺した声は、何に依るものだろう。
まるで私には聞かせたくなかったと、そう言いたげな視線は何だろう。
「……会長って、」
掠れた声が口から漏れる。
「会長って、『立花瑞穂』さんのこと、本気で好きだったんだね……?」
呆然と、私はそんな言葉を零していた。
柚木と八重野が言い争っていた理由。
女優と個人的な繋がりがあるという初耳の話。
気になること、驚くべきことは、多々あったはずだった。
なのに、柚木の『好き』ばかりが頭に響く。
「け、喧嘩、邪魔しちゃってごめんね? ちょっと時間を潰してくるから……!」
「青葉ちゃん!」
呼び止める声は、誰のものだっただろうか。
気付けば私は廊下を駆け、その場を去っていた。
ズキズキと。
大した速度も出ていないのに、過剰なほどに胸が痛かった。
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