4話 忙しい時こそ計画的に

20/21
前へ
/236ページ
次へ
 思い切り泣いて、ようやく涙が収まった頃。  堀米は柔らかな口調で私に問いかけた。 「若林さんは、トウヤのことが好きだった?」  慈しむような声に、嘘を吐くことなどできず。  私は、首を横に振った。 「……分からない」 「分からない?」  堀米の問い返しにコクンと頷く。  これが私の正直な気持ちだった。 「分からないんだ。今まで、恋なんてしたこと、なかったから。だから、初恋なのかもしれないし……そうじゃないかもしれない。あはっ、でも、そう思う以前にフラれちゃったしねえ」  空元気で笑うと、堀米は私の顔を心配げに覗き込んだ。  フイと視線を逸らして、私は言葉を続ける。 「あはは、もう終わっちゃったことだから、あれこれ考えてもしょうがないし。傷が浅いうちで良かったよねえ!」  無理に明るく繕った声は、自分の耳で聞いても滑稽だった。  それでも私はこの醜態を一刻も早く改めたかった。 「ほら、何事も経験、何事も勉強って言うし! だから大丈──」 「大丈夫じゃないよ」  堀米が私の両肩を強く掴み、彼の方へ向ける。  普段の柔和な彼からは考えられない行動に、戸惑う間もなく目を合わせられる。  夕焼けを反射した、強い焦茶の双眸(そうぼう)だった。 「傷付いたなら、今は頑張ろうとしなくて良いんだよ」 「堀米くん……?」 「だって、そうでしょう。『勉強はした方が良いか?』って聞かれたら、大抵の人は『良い』って答えるだろうけどさ。大怪我して、傷口も塞がっていない状態でも『さあ勉強しなさい』って言う人はそんなにいないと思うんだ」  堀米は諭すように語る。  優しさを含みながらも真剣な彼の表情から、目が離せない。 「本当に貴女を心配する人だったら、『落ち着いてからにしたら?』『傷が癒えてからにしたら?』って、絶対に皆そう言う。若林さんだってそう感じると思うんだけど、違うかな?」 「それは……」  堀米の迫力に飲み込まれる。  そしてハッと我に返る。  私の大切な人。  例えば、両親や弟。  橋爪を始めとする級友達。  柚木や八重野、何より堀米を含めた生徒会の仲間達。  彼らが深く傷付いた時、私は進んで茨の道を勧めるだろうか。  否、きっとそんなことはできない。寧ろ心を休めるよう助言して、彼らの業務を肩代わりするなど、お節介に走るのではないか。 「そう……だよね」  想像した私は今一度、目の前にいる堀米の優しさに気付いた気がした。  止めたはずの涙が、再び頬をポロポロと落ちていく。  先程と同じく熱い、けれど反対に痛みが癒えていくような涙だった。  ぎょっとした堀米は、焦って自分のスラックスのポケットをまさぐる。  私に渡したハンカチをとっさに探したのだろう。  慌てた様子の堀米を見て、少しだけ頬が緩む。  そして私は、彼の両手をそっと包んで、告げた。 「ありがとう。焦らないで向き合ってみる。でも……会長のことは、諦めるよ」  そう宣言すれば、堀米はパチパチと数度瞬きした。 「ど、どうして……?」  声を震わせ、堀米が珍しく狼狽している。  私はというと、不思議な心境だった。  頬は変わらず濡れているのに、どこか晴れやかで温かな気持ちだった。 「まだこの気持ちが何なのかは分からないけど……でも、会長がずっと一途に誰かを想っていたなら、その気持ちを(ないがし)ろにしたくないんだ。今ならまだ、引き返せる気がするから」  自分のこの中途半端で身勝手な気持ちで、人の恋路を邪魔したくない。  それが私の、なけなしの矜持(きょうじ)だった。 「……若林さんは、健気で優しいね」  堀米の言葉にズキリとする。  自分が自分として、ここに立っていたいがためだけの小さな意志が、大きく清らかなものであるように聞こえて、私はそれを否定したい気持ちでいっぱいだった。 「そんな大層なものじゃ……」  しかし。  私の続く言葉は、堀米の独白に遮られる。 「すごいね。僕には……できそうもないや」  顔を背けて、手を解いて。  小声で彼が呟いた言葉には、言い知れぬ哀愁が込められていた。
/236ページ

最初のコメントを投稿しよう!

59人が本棚に入れています
本棚に追加