1話 労働とは情報戦だ

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 嘆きたい可愛げは捨て去り、一心不乱に書類に目を通していく。 「なるほど……」  ひととおり書類を流し見して、私はおおよその課題を見付けだした。  まず、支出と予算書の整合性を確認するためには、部活動の実態を確認しなければならない。  今、どの団体があって、どの団体がないか。  どこが統合して、どこが分裂したのか。  どうやって予算を分配したいのか。  それを把握することが最重要だ。  ただし残念ながら、厄介な問題はこれにとどまらなかった。 「財源は、支給される『部費』だけじゃなくて……部活内での徴収金とか、あと、売上とか、寄付金もあるんですね……」  中学では考えられなかったことに驚いていると、八重野達から反応が返ってくる。 「そうね。株研究会なんかは利益を得る許可をもぎ取ったらしいわ」 「スポーツ系の部活動だと、インターハイに行く強豪なんかは、OBOGから部活指定で寄付があるみたいだね」 「なるほど……さすが『論破できれば何でもアリ』の山茶花高校ですね」  中学高校の違いというよりは、この山茶花高校の『自主自立』の特色を反映してのことなのかもしれない。  可能性の広さに、今朝まではワクワクしていたはずだが、今はその多様性が恨めしかった。  本来生徒会で確認しなければならないのは、学校から支給される『部活動等活動費』、通称『部費』のみだ。  が、各部内の徴収金、売上金、寄付金などが、統廃合などを経てどのようにパイを分けられたのかも重要になる。  理由は、出資者の希望と異なる支出がされる恐れがあるからだ。  例えば『競泳選手強化のため、水泳部に』と寄付された金を、水着研究会などが好き勝手に使っていれば、クレームが来ることは必至だろう。  各部活や同好会が、勝手に寄付金などを当てにしていて、それを『使ってはいけない』と知ったら、どうなるか。  徴収金を増やすか。  金稼ぎに走るか。 ──あるいは、学校から支給される『部費』を、本来認められている予算額を超えて申請するか。  最悪『部費』にまで問題が関わることと、クレーム対応を考えると、生徒会が確認をおろそかにする訳にもいかない。  私はボソリと疑惑を(こぼ)す。 「こんなややこしいこと、各部はちゃんと把握して管理してるのかなぁ……」  もちろん、これらの事情を各活動の会計がきっちり把握しており、しっかり書類に計上していれば問題ない。  しかし、年度をまたぎ、事情を知らない者が帳簿を作成した結果、収支が滅茶苦茶になっている──ということも十分に考えられる。    中学時代の単純な会計でさえ、間違える部活がたくさんあったのだ。  いかに高偏差値の山茶花高生といえど、複雑な金銭処理をスムーズにできるところばかりでないことは、想像に難くなかった。 「ああ……確認するのに、どれくらい時間がかかるんだろう……」  私は水筒の蓋を開け、豪快に(あお)った。  飲み口に付いたグロスをティッシュで拭き取るが、唇にグロスを乗せ直しはしない。  時刻は十七時半を回ったところ。  他の部活であればそろそろ片付けが始まる時間である。  が、部屋中見回しても、この生徒会室から帰る者はいない。  自分の眉間に皺が寄っているのを感じる。  まずは、今年度の予算書を揃えるところからだろうか。  部活動などの現状を確認するためには、今あるリストを見るところから始めなければならないだろうか。  それとも、関係する活動を一つひとつ回らなければならないだろうか。  こんなことを歴代会計は、歴代生徒会執行部は、行ってきたのだろうか。  考えれば考えるほど、表情が硬くなる。  視線を書類の山から逸らす。  私は今きっと、とても可愛くない顔をしている────  ガラリ。  と。 「お疲れ様です」 「お疲れさまーっす」  何気なく目を向けていた生徒会室の扉が、突然開く。  続いて入室してきた、二人組の男子生徒とバッチリ目が合う。 「えっ」 「あっ」  目を見開き、私を凝視する男子生徒。  その長身の背中を、私は今朝、後ろから眺めていた──── 「っ、若林、さん……?」  彼の戸惑いと、疑問系の呟きが、胸に刺さる。 「……堀米くん」  驚いた顔を向けられて、私は、頬がカアと熱くなるのを感じた。  クラスメイトの副会長、堀米正樹。  当然、この生徒会室で対面することも予測すべきだったのに──目の前の業務に夢中になって、すっかり失念していた。  私は、ヘアピンで無造作に上げた前髪を、野暮ったい眼鏡を、グロスの落ちた唇を、寄せた眉根を、猛烈に恥じた。 ──折角、生まれて初めて『可愛い』と言ってくれた男子なのに。  小さなときめきに、心の中で別れを告げる。  期待していた訳ではないが、この姿を見られてしまって、恋愛に発展するはずがあろうか。いや、ない。
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