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途端に、キリの表情が変わった。驚愕から恐怖に───いや、畏怖か。
「大丈夫だから、落ちついて話を聞いてほしい」
「………」
キリは言葉を失い、脱力した。崩れるように椅子に身体を沈め、項垂れる。
「同棲をはじめたって頃から、不審に思っていたんだ。“通の話すキリ”と、実際のキリの行動がなんだかズレているようでさ。生活環境が変わったせいだとかもっともな理屈を考えて、無理に納得してたんだけど───もしかしたらとか、まさかっていう、あんまりリアルとは思えない状況ばかり思い付いちゃって。でも、真相を暴いてもいけない気がして、確かめようとはしなかった。なのに、」
「君から電話をもらったときに確信してしまったんだ。心配してたことが現実になったって」
「キリは、分裂してしまった」
「今ここにいるキリ──君は、“二人目”のキリなんだろ?」
項垂れたまま、キリは何も言わなかった。沈黙に構わず、独り言のように僕は話を続けた。
「元々、“宮野キリ”は通の空想上の友人だった。僕に心配させないためか見栄のようなものか、その辺は通の心情だから推測にすぎないけど、とにかく最初のうちは、友人ができたっていう架空の話を聞かせただけだったんだ」
「実在しない友人の話はあやふやで辻褄も合わなくなってくる。設定をしっかりさせるため、通は架空の友人と、心の中で会話を始めたんじゃないかと思う。もしかしたら、会話するような独り言も出てたかもしれない。名前がついたのもこの辺だろう」
「宮野キリって名前は、僕にとって複雑な響きだよ。だって…」
僕の名前は、間宮貴利という。
タカトシと読まずに音読みにすれば、まんま“キリ”だ。
「架空の少女に僕由来の名前をつけた意味までは深く追究しないけど、とにかく会話することで、キリは通の中で確固たる存在になった。少なくとも、僕に付き合ってると報告できるほどには」
「通はその“宮野キリ”が自分の想像上の人物だってことをちゃんと理解していた。だから、僕もそれほど気にしてなかった。いつか、本物の友人なり彼女なりができれば、そんな空想も消えるだろうと思ってた」
「それが、大学生になって事態は急変した」
「両親と折り合いが悪い、というキリの設定は、通本人のものだ。小さい頃から、なんでも自分たちの理想を押し付ける親が嫌だって、ずっと言ってたもんな。引っ込み思案で人見知りなのは、交遊関係にいちいち口を出されるせいでもあるんだって」
「多分だけど、引越のときにでも気づかれてしまったんじゃないか? 架空の彼女のことを」
「それが架空か実在かまで知られたかどうかは推測できないけど、すごく反対されたんだろうなってことだけはなんとなく判る。通のご両親には何度も会ってるからさ」
「反対されて、否定されて、“キリ”は消されてしまうのを恐れて───分裂した」
「架空のキリから生まれた“もう一人のキリ”は、ついに通の空想から出ることになった。通の身体を使って、実体を持った。つまり───」
「今、通は君の中にいるんだろう、キリ?」
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