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交差点の少年
昼過ぎの、大勢の人が集う交差点。
そのど真ん中で、虫眼鏡を持ってしゃがみこむ少年がいた。
ほかの通行人が足元で小さくなっている彼に気がつかずぶつかって、中には悪態を吐くものもちらほらいるが、少年は地べたに這いつくばるのをやめようとしない。
交差点が見下ろせる窓際の席で、カトリィヌたちは昼食をとっていた。
マンボウ――もとい天堀宗一郎は、コーヒーをすすりホットドッグをかじりながら警察手帳のメモを読み上げる。
「二週間前。朝の通学時間帯に、あの交差点でひき逃げ事件が起きました。被害者はあの子の母親で、PTAの役員を務めていました。事件当日は朝の旗振り当番をしていたそうで、信号無視の車にひかれて病院で治療を受けていますが、意識がまだ戻っていないそうです」
「……さようでございますか」
「犯人の車と思わしき映像もいくつか見つかりました。近くの防犯カメラと、一般人がネットにアップしてた動画の二本です。しかし今のところ、営業車のような白いバンとしかわかっていません」
「あらあら……随分とのんびりしていらっしゃいますのね」
「そう意地悪を言わないでくださいよ。これでもあちこちの自動車修理工場や、スクラップ屋にまで聞き込みに行ったのに収穫ゼロだったんですから……ところで初タピオカはどうですか」
カトリィヌは二口めのタピオカミルクティをしばらくモグモグしていたが、ようやく飲みこむと、ため息をつきながら顎をさする。
「……たくさんはいただけません」
「……そうですか」
赤信号に変わって歩道に避難していた少年が携帯をポケットから取り出した。画面を見ると、何もせずにすぐにポケットへ戻す。
「あら? お父さまからの電話なのに、どうして無視するのかしら」
「……ああ、虫の知らせってヤツですか。もうあの子に蚊を付けてるなんて、流石に仕事が早いですね。さて、そろそろ僕は別件の聞き込みをしに出ますので、何かわかったら僕の携帯に連絡をください」
「盗難されたバイクの手がかりが見つかることを、心から願っておりますわ」
「……えっ! 僕にも付いてるんですか」
「殿方のプライベートタイムをのぞき見する趣味は持ち合わせておりませんし、マンボウ警部さまが何をされようがわたくしには関係のないことでございますが――イルカの脳についた寄生虫の画像で致すのは……とても個性的なご趣味かと存じます」
中腰の姿勢で固まっていた宗一郎は、静かにゆっくりと席につく。頭をかかえて机に突っ伏し、耳まで真っ赤にしてさめざめと涙を流した。
しばらくして、スーツ姿の男性が少年の元へやってくる。
男性はしゃがみ、少年の目線に合わせて会話していたが、すぐに立ち上がり手を繋いで歩き出す。
「あの方が、お父さまかしら……マンボウ警部さま、わたくし少々出てまいります。お昼ご馳走さまですの……そちらもご成功をお祈りいたしますわ」
微動だにしないマンボウを残し、カトリィヌは半分以上残ったタピオカミルクティを持って、足早にカフェを後にした。
彼らの後をつけたカトリィヌは、二人がマンションの自宅へ入って行く姿を見届けると、すっかりタピオカだけが残ったプラ容器を睨みつけた。
蓋を開けて残りを一気に頬張ると、彼女なりに頑張って噛んで飲み干した。空になった容器を物陰に置く。
「ここで待っているのですよ」
蚊に変化したカトリィヌは、換気扇の隙間から進入すると、二つの姿を使い分けながら彼らの家を物色しだす。
台所には、空になったゴミ袋がたくさん放置されている。保温状態の炊飯器を開けてみると、黄ばんでからっからに乾燥している米が入っていた。
少年の父親は、母親のものと思わしき着替えを洗濯機に入れ、新しい衣類をカバンに詰める。少年に、夜ご飯は弁当をチンして食べるようにと言い、そのまま慌ただしく出て行こうとした。
ふくれっ面の少年も、ついてくと駄々をこねるが、すぐ帰ってくるからと言い残した父親はその場を後にする。
地団駄を踏んだ少年は、自室のベッドで悔し涙を流していたが、やがて規則正しい寝息を立て出した。
再び換気扇から外に出て人の姿に戻ったカトリィヌは、きちんと待っていた空の容器を拾い、ゴミ捨て場が近くにないか周囲を見回す。少し離れたところで、壁に寄りかかってスマホを手にする男と目があった。
「……あたくし、ポイ捨てなんて致しませんわよ」
カトリィヌは独り言をつぶやくと、鼻歌を歌いながら帰路につくのであった。
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