虫ケラたち

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虫ケラたち

 翌日、事務所の窓を全開にしたカトリィヌは、手元にある蚊たちを全て解き放っていた。  細かなことでも逐一報告される、大量の虫の知らせの対応に集中する為、ソファにゴロンと仰向けで横になっている。 「清水さまのお嬢さまと、ひき逃げをした犯人たちの行方を探す為とはいえ、やはり疲れますわね……」  行方不明になっている娘の行方は、一向にわからなかった。まるで忽然と姿が消えてしまったように、足取りが消えてしまっているのであった。  一方の少年はというと、あの交差点で証拠探しを続けている。外は炎天下だが、汗をぬぐいながら、たまに持参した水筒で喉を潤しているのが見えた。 「あらあら……こんな子が諦めずに頑張っているというのに、わたくしときたら――んん?」  血中コルチゾール濃度が異常な男が、ずっと少年を見ているという、少年の近くを飛んでいた蚊からの知らせであった。  人間のストレスを大きく分けると、二種類に分類できる。  アドレナリンが分泌されることにより、肉体に影響を及ぼす事になるストレスか、コルチゾールが分泌されることで精神に影響を及ぼすストレスのどちらかだ。  前者はノルマに追われる営業マンや、納期を厳守しなければならない労働者などによく見られる。  そして後者だが、満員電車に乗らなければならなかったり、嫌いな上司と顔を合わせてしまったなどという“我慢を強いられる時”に起きる。  更に、カトリィヌは、少年を見ている男の顔に見覚えがあったことに驚いた。 「確か……この方は、昨日マンションの近くにおられましたわね」  その男の情報を集めるべく、カトリィヌは捜索範囲を絞って観察を開始する。  カフェのテラス席に座り週刊誌を広げ、スマホで調べ物をしながらコーヒーを飲んでいる。よくある光景にも見えるが、容赦なく照りつける日差しの中でテラス席にいるのは男だけだ。おまけに週刊誌も開いてあるだけのようで、いっこうにページがめくられる気配がない。  男のスマホに着信があった。  慌てた様子で対応する男は、テーブルに金を置いて小走りで移動すると、近くに停めてあったバイクにまたがった。  カトリィヌの能力は、蚊が見たものや体験したものを情報として共感することができるが、その場で発せられた音だけは感じられない。  近場であるなら数多の蚊とのやり取りは可能だが、遠方になればなるほど肉体への負荷は増すと共に集中力が必要とされる。操ることのできる数は減り、情報も断片的になってゆく。 「あまり長距離を移動されないことを祈るしかありませんわね」  カトリィヌは、男につけた数匹の蚊に意識を集中させる。  荒っぽい運転、市街地を抜け、高速に乗り加速する。    海沿いの道、沢山のコンテナ、、タンカー、客船、観覧車。  倉庫、闇、男たち、半裸の女、バイク、白いバン――。  カトリィヌは襲いくる頭痛の波に耐えかねて、意識を解放した。  彼女の心臓は驚異的な速さで脈打ち、呼吸をすることもままならない。いつの間にかうつ伏せになっていたようで、大量の鼻血が口元を濡らし、ソファに血だまりを作っていた。  だが震える手でスマホを掴むと、電話帳に唯一登録されたマンボウの名前をタップする。  電話はすぐに通じた。 「ああ……マンボウ警部さま、見えましたわ……急ぎ、横浜に向かってくださいまし。わたくしも、落ち着いたらそちらへ向かいますわ――」  息も絶え絶えに、断片的に見えたものを天堀に伝えながら、センターテーブルに置きっ放しにしていた写真に手を伸ばす。 「はあ……はあ……近いうちに、イソヌカカの知り合いを作らなければ、いけませんわね」  カトリィヌが見た半裸の女と、清水から借り受けた写真に写る娘の外見は酷似していた。
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