虫籠の銀竜草

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「ひ、」 扉の向こうから現れた転入生の顔は父と目元が良く似ていた。 それだけで憎しみが湧き上がる。 転入生は部屋の中の惨状を見て、困惑した顔を一気に真っ青にさせた。 そりゃあ扉を開けた先の部屋が血塗れで、その中に返り血だらけの人間が立っていたら誰でもびっくりするだろう。 その人間が、自分のことを殺したくてたまらない、なんて目をしていたら尚更だ。 「う、あ、ぁっ…!」 転入生の足は生まれたばかりの子鹿のように震えていて何だか面白かった。 俺が口端を吊り上げて足を踏み出すのと、転入生の足が下がるのは同時だった。 「うわあぁっ!!」 「よせ、隆太ッ!!」 後ろで何かが叫んだ気がするがよく聞き取れなかった。 逃げようとする背中に手を伸ばしまだ糊のきいた真新しい制服の襟首を掴んだ。 「ぐ、ぇッ」 そのまま引き倒して馬乗りになった。 首に手をかければ随分細い首だった。転入生は怯えきって、泣きながら足をじたばたさせて暴れたり俺の手に爪をたてたりして激しく抵抗をした。 こいつからすれば今会ったばかりの男にいきなり襲い掛かられて、訳が分からなくて、さぞかし恐ろしいことだろう。気の毒だなあ。 俺は笑って両手に力を込めた。 「そんなに騒がなくてもわかってるよ」 お前が何も悪くないことはわかっている。俺達の事情だってきっと何も知らないんだろう。 たまたま自分を生み落とした雌の番の雄が父だった。それだけの事だ。 それでもお前を見ていると嫌悪と嫉妬と絶望で吐きそうだ。 俺の中には欠片も入っていない父の種。こいつはそれをこの細い体の中に持っている。 たかだかそれだけの理由で父はこんなにも尽くした俺を捨てる。たかだかそれだけの理由で何も秀でていないお前はあの人から必要とされる。 俺は「種族」というものが、はなから違う生き物だったんだ。 羨ましい。 うらやましいうらやましいうらやましいうらめしい。 だから一刻も早く俺の前から消えてくれ。死んでくれ。死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。 「は、が」 転入生の爪が俺の頬に傷をつけた。意外にも暴れる力が強い。 俺は片手でネクタイをしゃにむに解いて引き抜くとその細い首に巻き付けた。 ぎりりっと布の締まる音がして転入生の体が大きく跳ねた。 後ろで何かの怒声にも似た叫び声がするが俺には鳥の騒がしい鳴き声にしか聞こえなかった。 人間が死ぬのは呼吸が止まって何分程度だっけ。俺、今どのくらい締めたかな。 人間一人殺すには小鳥や虫を握り潰すときのように簡単にはいかない。 さらに力を込めれば転入生の目がぐるりと上を向いて白目を剥いた。唇の色もおかしくなっている。 抵抗していた手からもだらりと力が抜けていく。 開いた口から出ているのは涎だろうか、それとも泡だろうか。 「か、」 ああ、ほら、もうすぐだ。 もうすぐ。 「ぁ…」 転入生の手がパタリと床に落ち、汚い音がしてすぐに身体から悪臭が放たれた。下に目を向ければ失禁と脱糞をしていた。 唾液や鼻汁いろんなものも垂れ流しで、目玉や舌が飛び出していた。窒息死ってこんなふうになるのか。酷い姿だ。 俺は動かなくなった転入生の首を絞め続けた。 ネクタイを緩めた頃には俺の手は内出血して黒ずんでいた。ちりちりとした痛みがある。 転入生の胸に耳を当てる。何も聞こえない。 「は、ははっ…あーあ」 死んじゃった。 「りゅ、隆太…」 ようやく耳に届いたか細い声に、俺は振り向いた。 血のわりに傷は浅かったのか父は意識を失うことなく、倒れ込んだまま俺を見ていた。 その顔には恐怖が浮かんで酷く怯えていた。 「お前、は…本当に、隆太なのか…?」 あの厳格で立派な父が俺を見て震えている。 父の目には俺だけしか映っていない。嬉しい。お父さんが俺だけを見てくれている。 何もできずに狂気に怯えるその姿はあの世界での俺と同じだ。 そう思い父と顔を真正面から見つめた時、はっと俺は目を見開いた。 「蟲妖…」 血に濡れた父の顔は。 蟲妖と、同じ、顔。 「くはッ…」 耐えきれずに笑いを吐き出した。 そうか。そういうことなのか。 「あは、あ、はははひ」 今はっきりとわかった。 あの世界はあの世でもこの世でも夢でもない。 心の闇だ。 蟲妖は俺が引き寄せ作り出した化物だったんだ。 俺の心の隙間が産んだ俺だけの妖魔。優しい父親の姿をした幻影。 俺があれを産み出した。あれは俺の最も欲しい存在を模って俺の狂った欲望を叶えていたのだ。 あの世界はただの闇だ。狂っていて当然。そして俺も、とっくの昔に狂ってる。 隠していたのに。あの化物を殺してまで理性を貫いたのに今この瞬間に全ての楔が壊れてしまった。 ずっと心の奥底に蓋をして、見ないふりをして、ひた隠しにしてきた俺の欲望が湧き上がってくる。 俺はひとしきり笑った後に天井を仰いだ。 は、と唇の隙間から熱い吐息が漏れた。 「俺は…俺はお父さんが好きなんだ」 「りゅ、う…?」 「欲しい」 お父さんに心も体も愛されたい。 ずっと欲しかった。あの人の愛情、いや、あの人自身が。 俺の全てを管理して導いてくれる俺だけの世界。 ゆらりと体を揺らして父の方を向くと父は一目で見てわかる程に震えていた。 かわいそう。慰めてあげないと。 「よ、よせ、私はそんなつもりでは…」 「お父さんだけのものになりたい、捨てないで、閉じ込めて、俺のこと全部管理して、ずっと傍にいて」 「来るな…!」 「繋がりたい」 「や、やめろ…!」 「愛してる」 頭を強く打ったせいなのか、父が立ち上がり逃げる様子はない。ただ這いつくばって怯えている。かわいい。 俺はゆっくり歩み寄ると先程まで転入生の首を絞めていたネクタイで父の腕を後ろ手に拘束した。 「隆太、やめ、わ、私が…悪かった…!」 もう遅い。 俺はあんたへの依存めいた歪んだ愛を自覚してしまった。 あんたが俺を作りあげたんだ。完璧主義で管理したがりのあんたが作った忠実な子供。お父さんのいない世界では俺は生きていけない。 自覚すれば、もう己を偽って欲望を抑えることなんて出来ない。 「大丈夫、俺、これだけはお父さんが教えてくれなくてもちゃんとできるんだよ」 腹いっぱい、種を頂戴。
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