虫籠の銀竜草

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ここからは逃げられない。 それは俺の足に繋がれた鎖がとてもわかりやすく答えを出してくれていた。 俺の周囲にはいつも使い方もよくわからない玩具が溢れかえっている。 ひとつ、ふたつ、みっつ。 俺は布団の上で並べた碁石の数を数えた。蟲妖が俺のために用意した玩具のひとつだ。合計29個、今日のもので30個。 もう30日ここに囚われていることになるが、その数は決して正しいとはいえない。 如何せんここには日が登らなければ月も出ないのだ。 勿論時計なんてものもないので時間経過は俺の感覚のみだ。格子のはめられた窓の外にはどす黒く濁った紫色の空がどこまでもどこまでも広がっているだけだ。 他にもいくつかわかったことがある。 蟲妖のような生き物は沢山いるということ。 そいつらは妖魔という生き物らしい。 此処は妖魔の巣窟だということ。 あの世でもなければこの世でもないらしい。 あの籠の吊るされた穴は此処に来るまでに一番初めに通る門のような場所だということ。 蟲妖もあれについてはよく知らないという。 俺の様に愛玩用として飼われる人間もいれば、ただの肉として食われる人間もいるということ。 でも銀竜にはそんなことはしないよと蟲妖は言った。 そして日に日に記憶が蝕まれていくこと。 もう、名前以外何も思い出せない。 俺はぼうっとしながら何気なしに指で自分の名前を書こうとしてその手を止めた。 そこで俺は自分が文字を忘れているのだということに気付いた。 「(隆太…俺の名前は隆太…)」 「銀竜」 寝台の上で膝を抱えながら蹲っていると、頭上から声がかけられた。 俺はゆっくりと顔をあげる。蟲妖が瞬きもせずに俺を見ている。 「何を考えている」 「…ここはどこなんですか」 「…ここはここだ、どこでもない…お前はよく物事を考える子だね…何のためにそんなことを考える」 多分、癖になっているんだ。 漠然とそう思った。だって俺はずっと考えることを強いられてきたんだから。 あれ、それは何でだっけ…。でも、考えなくてはひとり取り残されるような心細い恐怖感を感じていたような気がする。 「無駄な時間だ…もうお前には必要の無いものだよ」 「でも」 「考えるな、辛いのだろう。もういいのだ私といれば辛くない…」 俺はおかしくなってきている。 どうしてこうなっているんだっけ。 頭の中は霞で白んだようにぼやけ、何も考えられなくなってきている。 それでもはっきりと言えることは俺はここから逃げ出したいということだ。 「銀竜…」 頬を撫でる冷たい手に体温と共に思考までもが奪い取られていくようだった。 その手は頬から首、着物の下へと入り込み胸を撫でた。 「御父様はどうしてそんなに俺を可愛がるんでしょうか」 「父が子を可愛がるのは当然だろう。私にはお前だけだよ…お前がいなければ私はいない」 寝台に上がった蟲妖は俺の隣に来ると冷えた体で俺を抱きしめた。 「…お前も私だけだ…そうだろう?」 一番、嫌なことがある。 俺はこの男を本当に父親として慕いたくなる時がある。 性交を強いられているときは不快極まりないが、こうして優しく愛されると俺の中の何かがほどけていく。ずっとこれが欲しかったような気がするのだ。 違う。俺の父親はこいつじゃない。俺の、俺の父親は…。 そこまで考えて急に吐き気がした。 「考えるな、忘れてしまえばいい」 蟲妖は俺の頭を撫でると着物に手をかけた。 「お前の可愛い姿が見たい」 そう言って、俺はまたこいつに愛される。 「あっ!ぁ、あひっぁ、ん゛ぁあーーーっ!!」 「愛しているよ…」 その偽物の父性愛を心地いいと錯覚してしまうこと。 それが無性に恐ろしい。 「ああぁ…っ」 俺の泣き声は言葉は空気に溶けていった。
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