虫籠の銀竜草

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痛い。 俺は両足を突き抜ける酷い痛みに目を覚ました。 一瞬何が何だか分からずにただ痛む足を抱えて歯を食いしばった。 そこで無残になった足に触れ、睡眠と激痛で濁っていた頭に現実を突きつけられる。俺はまた涙を零した。 足の骨が折り畳まれているのだから痛んで当たり前だ。 ほんの少し足を動かすだけで体中の筋肉が引き攣れる。 かひゅ、と喉から空気の漏れる音がした。声も出ないほどにその痛みは強く、俺は絹布団を掻き毟った。ぶちぶちと糸の千切れる感覚を手に感じた。 俺が暴れたことで寝台周りの玩具が転げ落ちて大きな音を立てた。 「銀竜…」 その音を聞きつけてすぐに蟲妖がやって来た。 俺は何度も口を開け空気を飲み込んで無様に蟲妖に縋った。とてもじゃないがこの激痛を一人で処理するなど無理だった。 蟲妖は俺を抱き留めて頭を撫でた。 「痛むのか…」 俺が頷くと蟲妖の尾の針が足に突き刺さった。 あの引き裂かれるような痛みは骨の砕けた激痛にかき消されて何も感じなかった。 暫く耐え続け、意識が白みかけてきた位まで経ってようやく痛みが引いていった。 冷や汗が流れ出て深紫の薄絹の衣がじっとりと濡れている。今の今まで気づかなかったがいつの間にやら俺の服は寝衣に替えられていた。恐らく失禁したせいだ。 「もう平気だな…?」 蟲妖が聞く。 痛みはなくなったが今度は腰から下がぴくりとも動かない。 神経が麻痺しているのか足の感覚がまるで無い。 「また痛んだり下を催したらすぐに言いなさい…お前のその足は暫く使えないからね…」 こんな足じゃもう這うことでしか動けない。 黙って泣きじゃくる俺に蟲妖は言った。 「よしよし泣くな…新しい玩具でもあげようか…」 そうしてどこからか黒い小さな虫籠を持ち出してきて俺に渡した。 「動くものの方が見ていて退屈しないだろう…」 中を覗き見ると親指程の大きさのものが這いずり回って蠢いている。 入っているのは一匹の芋虫だった。 別に虫なんていらない。確かに小さな男児なら嬉しいかもしれないが俺はもうそんなものに興味はないし、好きでもない。 「…いらない…」 「そう言うな…可愛いものだぞ…ここに置いておくから」 全然可愛くない。 俺は寝台の横に置かれた虫籠を見下ろした。 「気持ちわりい…」 そう吐き捨てると、中の芋虫がこちらを見た気がした。 目か模様かでこぼこで区別もつかないそれが俺を見る。 這うことでしか動けない気持ち悪いもの。俺はその姿が自分とそっくりだと思った。 ◆ それから蟲妖は生きた虫を持ってくるようになった。如何せん俺は虫に興味がないので特に愛でることもなくただ虫籠だけが増えていった。 いらないと言っても持ってくるものはもう諦めるしかない。それにもう蟲妖を思い切り拒むほどの精神力も無くなっていた。 格子窓の窓辺に頬杖を付きながら一つの虫籠から芋虫をつまみ上げた。 窓辺に置くとゆっくりゆっくり動き出す。俺はそれを押したり弾いたりしながらぼうっとしていた。 徐ろに一番近くにあった虫籠を取って覗いてみる。 ぶんぶんと聞こえる音、中に入っていたのは蜂だった。 それは随分と大きく女の親指ほどの大きさだ。女王蜂だろうか。 虫達は自分の眷属だから何があっても俺を襲いはしない、と蟲妖が言っていた気がする。 俺は虫籠を開けて中に手を突っ込んだ。確かに蜂は俺を襲うことなく指にとまった。 女王蜂。蜂の巣。部下。社会性。統率力。 蜂が指に触れた途端そんな言葉が頭に雪崩のように流れ込んだ。 ――統率力のある人間になって常に支配する側になれ。失敗は許さん。 俺は突然目の前の蜂に強い嫌悪感を覚えた。 手の中に握りこんで潰すとぐしゃっという音と共に足がヒクヒクと指の間で痙攣した。 「…死んだ」 統率力を殺した。俺の心にえも言われない爽快感が走った。 死んでしまったものには用もないので芋虫の前に捨て置いた。 すると、しょり…と変な音が聞こえた。 「え…、あ、ははっ…」 見下ろすと芋虫が蜂の死骸を貪っていた。 こんなもの食べないはずなのに。 「ははは、あはっ、食うんだ…」 芋虫が蜂をかじる姿を見ながら俺は高笑いをした。おかしくておかしくてしょうがなかった。ああもっと殺そう。 蜂を殺してしまったので次は蜻蛉の虫籠を開けた。 蜻蛉は速く飛び回り聡明そうな大きな視野の広そうな二つの目で俺を見つめた。 なので、羽を毟って目を潰してみた。 なんとも不細工な姿になった蜻蛉をつまみ上げて芋虫にくれてやると芋虫はまたそれを食べた。 聡明さと視野の広さを殺した。 蜻蛉を殺してしまったので次は甲虫の虫籠を開けた。 甲虫は大きくて強そうな角と羽が付いていた。 なので、角をへし折って周りの羽を引きちぎってみた。 弱々しく情けなくなった甲虫をつまみ上げて芋虫にくれてやると芋虫はそれを食べた。 強さを殺した。 甲虫を殺してしまったと言えば次は玉虫の虫籠を開けた。 玉虫は華やかで目立つ綺麗な虹色ををちかちかさせたので脚をもいで押し潰してぐちゃぐちゃにしてみた。 汚くなったそれを芋虫にくれてやると芋虫はそれを食べた。 華やかさを殺した。 そうやって次々と殺した。 気付けば俺はひとしきりの虫を殺し終わっていた。残ったのは死骸をむしゃむしゃと食い尽す気持ちの悪い芋虫だけだ。 何だか途端につまらなくなってしまった。 ぼろぼろになった虫の死骸が散乱する窓辺で、頬杖を付いていると何かが格子の向こうに羽ばたいた。 ちち、と耳に届く清らかな音。 「鳥、だ…」 鳥の囀りなんて久しぶりに聞いた気がする。 鳥は散乱した虫たちの死骸が欲しいのか格子窓の前に降り立つと首を左右にかくかく動かして身を屈めた。 格子の隙間からくちばしを入れて死骸を引きずり出す姿を俺は見ていた。 鳥が芋虫にくちばしを向けた時、何となく俺は自分の手を芋虫に被せて守った。 するとぴい、と甲高い声が聞こえた。 俺が身を乗り出して見てみれば格子窓のすぐ横に鳥の巣があった。全然気が付かなかったな、と眺めている間にも雛鳥は口を開けてぎゃあぎゃあ騒ぐ。 親鳥の無償の愛情と餌を求めてただ泣きわめくその姿を見ていると、物凄く嫌な気持ちになった。 なんだろう。苛々する。 俺は格子窓に手を突っ込んで外の鳥の巣から雛鳥を掴みあげた。 親鳥は子供が危険であることを察知したらしいのか俺の腕に飛びかかってきた。 「これ大事なんだ」 誰に言うでもなく独り言ちる。 雛鳥が可愛いんだ。そりゃそうか、自分の子供だもんな。自分と同じ種の。 ぽぎゅ、と俺の手の中で嫌な音がした。何かが折れる感触に俺は笑いが込みあげていた。 「あーあ…」 死んじゃった。 鳥はけたたましく鳴いて格子窓の前で暴れ回っている。その鳴き声はノイズのように耳障りだ。 誰かの怒声のような鳴き声を思い出しそうになる。俺は格子に手を入れ親鳥をがっと掴んで捕らえた。 「うるさい!」 そのまま勢いよく床に叩きつければ親鳥もあっけなく死んだ。 俺は未だに握り潰していた雛を見る。 骨がどこかに刺さったのか血が垂れて羽毛もぼさぼさになっている。 今死んだばかりの新鮮な肉を芋虫の前に落としてみた。 「それは食えんの?」 芋虫は見向きもしなかった。 そうだよな、いらねえよなこんなの。こんな奴ら。 「銀竜…」 その声に俺は顔を向けた。 いつの間にやら傍に蟲妖が佇んでいた。 蟲妖は俺のしたことに驚きも怒りもせず、ただ虫の体液や鳥の血だらけになった手を撫でた。 「鳥が入ってきたのか…?」 「…はい」 「窓の御簾を下ろそうか…この畜生は私も嫌いだ」 鳥は虫を食べてしまうから蟲妖も嫌いなのだろうか。 蟲妖は死んだ親鳥を床から拾うと俺に手渡した。まだ温かい。 「いい子だ、上手に殺したね…」 「…褒めるんですか」 そう聞けば蟲妖は俺の顎を撫であげた。 「お前のしたことなら何だって褒めてあげるよ…さあ、いつまでもそんなものを持つんじゃない…。お前にはもう必要の無いものだから全部捨てなさい」 俺はその言葉に素直に従って、親鳥と雛鳥、虫達の死骸も仲良く窓から落とした。 それを窓辺の芋虫がずっと見ていた。
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