スクランブル・エッグ

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私は人混みが嫌いだ。それも殆ど病的なほどに。雑踏の中に入り込むと、目眩がして、そして胃が鋸で轢かれるような痛みを身体に感じるのだ。それは私が東京で生活する上で、決して小さくない障害になっている。満員電車やスクランブル交差点やパーティ会場。東京はあらゆる過密に溢れている。だから私は通勤ラッシュを避けて始発電車に乗らなくてはならないし、ビルの8階のオフィスまでは階段を登っている。それでも意図せずに人混みに入り込んでしまうことはあって、そうなると酷い時には失神して病院に担ぎ込まれる始末だ。そして、殆どの場合、医者はあまり役には立たなかった。MRIやら血液検査やら、散々調べてみても原因は分からず終い。多くの病理不明の症状を持つ患者がそうであるように、適当な診断が下って、気休めにもならない錠剤を処方された。 人混みの中で気を失う時、私は必ず同じ光景を夢に見た。縁側のコンクリート床に誤って出来てしまった猫の足跡に、1匹の蟻が迷い込んで、そして狂ったようにその場で回り出す。すると蟻は蟻たちの習性に従って、猫の足跡に次々と集まってくる。最初の蟻はますます暴れるのだけれど、段々他の蟻に紛れて見えなくなってしまう。そしていつもその場面の後に、私は意識を取り戻すのだ。それはもしかしたら昔何処かで見た光景なのかも知れないけれど、目下のところ私には心当たりはないようだった。
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