〖Chain of death〗

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〖Chain of death〗

桑田和博(くわたかずひろ)の自律神経はもはや崩壊していた。  毎日も飽きもせずパワハラまがいの嫌がらせをしてくる憎き上司。つまりは目前目下にあるその上司の死体は、必然的に遺棄物として処理されるモノ、と桑田は解釈していた。もっともその上司を一個の動かぬ有機物として施したのは桑田自身であるが。  桑田は安易に処刑の儀式を行った。 上司を酒に誘い出し、夜も深まり酔っ払った上司と、人通りの少ない小道へ行き。そこで誰にも見つからずその上司の喉元と下腹部に出刃包丁をグサリ。それで怨敵である上司は死亡。完全犯罪確定と楽観的に考えていた。  だが、穴だらけの実行ゆえに、穴だらけのミスは当然の結果だった。  桑田は、誰にも見つかず、と前提条件として自身に担保していたが、基本、一般素人初犯罪の桑田は注意を怠り、薄暗く人気のない小径(こみち)といえど、明白に仕事帰りのOLらしき人物に殺人現場を目撃された。 「キャー!」  遠目にはいるが通った声で悲鳴をあげる女性。桑田はその叫び声に気づき改めて、バレた! と自覚し、刹那、躊躇ったが、すぐに血まみれの出刃包丁を手に携えたまま、返り血を浴びた背広を脱ぎすてる。とはいっても、その下のシャツにもベッタリと血糊は付着していた。だが、そのような見栄えは関係なく、女性の方へ鬼面夜叉の形相で向かって行った。  場所的には人通りのない暗い路地。逃げる女性が以外に人は見当たらなかったのが、桑田にとっての不幸中の幸い。 桑田は全力疾走、女性を捕らえると彼女のロング・ヘアーを強引に背後から掴んで、彼女に有無を言わせぬまま、そのまま包丁でめった刺し。 殺人行為後かつ激走の果てのさらなる第二の殺人。桑田の異常なまでの激しい息遣いは妥当ではあった。 けれども、犯罪は隠蔽できた、と安堵の念も入り交じり、ひと時の強迫観念から解放された気持ちにもなっていた……のだが、 「う、うわあっ!」  と今度はサラリーマンらしき人物が、桑田が女性を刺し殺した殺人現場を目撃していて、思わず彼は悲鳴を漏らした。  本気(マジ)か? と自らの思いに取り付く島もなく、すぐにダッシュして、その男性の方に悪鬼の如く桑田は向かった。  祟りじゃ~! と咆哮しそうな桑田の表情に恐怖し圧倒され、当然の如く逃走を図る男性。  先ほどの女性と違い、男だけあって脚力が強い。つまり、逃げ足が速い。しかし、高校時代に陸上部に入っていた桑田は、国体でベスト3に入るほどの短距離走者だった……という無駄に誉れ高い経歴があり、足の速さに関しては人一倍の自信あり。  案の定、まだ人気も街灯も少ない薄暗い地区の中で男性を捕らえ、やはりめった刺し。すぐに男性は息を絶え、桑田は仁王立ちしたまま、呼吸を整える。元は陸上部とはいえ、短距離走者なので、あまり長い時間走行するのは不得手。息の乱れはむしろ人並み以上に過呼吸気味。  本来ならすぐにその場から立ち去らなければならないのだが、桑田は息も絶え絶え状態なので、しばらくその自らが起こした殺人現場に佇んでしまった。  それが仇となり、 「な、何だコイツはっ!」  と死体の近くで、衣服に返り血を浴び、血まみれの包丁を持った桑田を目撃した一般市民が、驚きと絶叫の交差した一声をあげた。  瞬時にそれに気づいた桑田。  何たる偶然の重なり!  もはや、これは殺人という罪悪の代償による神の試練なのではないか? と意味不明な思いにかられ始めた桑田は、既に躊躇する事無く一般市民にスプリント。  一般市民も血走った眼光がバチバチの桑田が襲って来るや否や、猛ダッシュで勿論のこと遁走した。  だが、既に近辺は大通りもある市街地。一般市民もそちらの方に駆け出し、暗夜行路からは脱しようとしている。  もはや市街戦はやむを得なしかっ!  そんな意味不明な判断で、衆人環視の中の殺人を念頭に入れる桑田。当初の完全犯罪確定の思考は何処へやら、といった桑田の現在の精神構造であるが、一方で必死の追跡の渦中でも、妙な冷静さを失っていなかった。もはや今持っている包丁が、人を刺し過ぎて刃先が使い物にならなくなっている事に気付いていた。  これは包丁を変えねば。  そう考えると、今の時間に刃物が買えるような所といえば、某大型量販店だ、と判断して、追走している最中に、某大型量販店を見つけ、血まみれの身なりのまま、紅塗りの包丁を片手に店内に乱入。  突然のサイコパスな風体の来客に周囲の客は無論のこと、店員も虚を突かれるだけで、兎にも角にも、商品の包丁を探しながら駆けずり回り暴走する、招かれざる客こと桑田。  刃の部分が鈍くなっているとはいえ、まだ人を切るには十分な性能が残っているそれを振り回している桑田は、まさしく無差別通り魔殺人犯の行動と同様。幾人かの客は傷つき、幾人かの客は刺し殺された。  十分と野放図に周りを掻き乱した桑田は観察眼も如才なく、ステンレス製の切れ味鋭い高級包丁を料理用具コーナーで見つけ、すぐにそれをかっさらった。  包丁は料理道具の売り場じゃなくて、殺人専用器具としてジャンル分けした方が良いだろう。  そんな謎の思惑を桑田は浮かべながら、店内で鳴り止まない金切り声や喘ぎ声や叫び声を他所に、疾走して店から出て行って、勢いそのままに再び先ほど現場を目撃された一般市民を追った。  歩道を人目も憚らず疾走する桑田。既に桑田の頭の中には完全犯罪云々の観念は消えていた。桑田の血まみれにして、包丁を片手に、夜叉が如き気色で駆ける姿を見て、奇声を発している通行者たちの様子をして、桑田はそれが歓喜の声援に思えてきた。それはランナーズ・ハイならぬ、キラーズ・ハイ、とでも呼ぶべきものなのか。  そんな幸せホルモンのオキシトシンやら、ノルアドレナリンやら、アドレナリンやら、ドーパミンやらが脳内体中に分泌しまくっている桑田は、満面の笑みを浮かばせながら走り続けていると、狙いの一般市民の後姿を捉えた。  見つけた! やった! しかし、何だろう、この満足感を得ているような興奮にも快楽にも似た悦びはっ!  桑田は自らの状況、というか行為に対して、マトモな思考が麻痺して、ちょっとしたハンター気分のスリルとエンターテイメントを覚え始めた。  そして、短距離区間走行には一家言がある桑田は、すぐに一般市民を捕獲。後、即、刺殺。脳天から下半身まで惨たらしいぐらいに、群集刮目の中で、一般市民に断末魔の叫びも与えない程の超高速串刺し殺人。だが、周囲の人々は阿鼻叫喚の嵐。  桑田はそのパニックな状況下を、拍手喝采のセレブレーションと勘違いして、事を終えると、まるでボクシングの世界チャンピオンのように両手を高々と上げ、周りにどうもどうも的な会釈をしつつ、その付近を満足気にランウェイした。  な、何ていう達成感だ! これはある種の感動のドキュメンタリーだ。そう、某TV番組における24時間マラソンをなし得たようなカタルシス。僕は今モーレツに自分自身の偉業に打ち震えている。ランナーをしながら、3人をも殺戮。激走の果ての、体力大消耗をする殺人行為を三つも完遂。これはギネスブックものなのじゃないか? いやさ、こいつは国民栄誉賞か紫綬褒章か人間国宝に選ばれる程の国家的かつ国際的な貢献だ。間違いない。そうだ。僕はジャパンの英雄だっ! スーパースターなんだっ! これからTV出演とか取材とかで大忙しの生活になるぞ。明日はニューエンターテイナーである僕の登場に大騒ぎは確実。今晩はすぐに家に帰って早めに寝て休まないと。それでエネルギーを充電して、ウィットでユーモアに富んだスピーチも考えておかなければっ!  ほぼ、イカれた思考回路に捉われている桑田。ある意味、翌朝、世間が大騒ぎになるやら、マスコミが賑わうやらはするだろうが、どうもそれは桑田が望むケースとは程遠そう。  とはいえ、そのような自覚なく、ただただ無責任な悦楽の気持ちに一人浸っている桑田。  そんな桑田を他所に、その殺人現場で小躍りしている桑田の前には交番があった。別にその場をゴールとして桑田は狙っていたわけではないが、偶然にも日本、いや、世界最大の権力機構である警察の末端機関ともいえる警察官の詰め所の前で殺人ショーを桑田は演じていたのである。  あまりにも突然に起こった交番前での猟奇殺人に呆然としたと同時に恐怖で動けなかった交番内にいた警官の一人は、ようやっと我を取り戻し、その直接目視できない状況を前にして、指を震わせながら拳銃を手に握り桑田に向けると、 「は、反抗するな! そのまま腹ばいになって、腕を背中に乗せろ!」  やはり声も震わせながら、出来るかぎりの大声で、桑田に向かって叫んだ。  だが、今の桑田にとって、その警官の行為は自らのカーニバルに水を差す以外の何事でもなかったので、単純に桑田の脳裏に苛立ちが募り、何の前触れもなく、聞き取れないようなあまりにも甲高い叫声をあげ、警官に刃物を突き付けて向かって行った。 「よせ! 止まれ!」  との警官の静止も構わず血眼の桑田は、涎を垂れ流しながら警官にダッシュ。顔面にも返り血を浴びている桑田をして、狂ったヤク中以上の脅威を覚えた警官は、躊躇う事無く自己防衛本能から発砲。その一撃は右胸に命中。だが、桑田はバランスを崩して一瞬片膝をついたものの、血を吐きつつスローに立ち上がり、ヨロヨロとしながら虚仮の執念よろしく警官に包丁を差し向けて、徐に近づいて行く。 「う、うわっ!」  警官の絶叫。もはや桑田はゾンビ状態。再び警官の銃から火が吹き出る。今度は桑田の眉間に被弾した。高層ビル爆破倒壊の如く崩れるようにアスファルトに堕した桑田。  その桑田和博の死に面の様は、埃と血汐(ちしお)に満ちながらも、どこか微笑めいた貌(かお)にも映ったのは、野外の灯しの効果だったのかは、今となっては分からない。                              了
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