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人ごみから始まる恋
華月 龍弥
僕は謎の病気を持っている。原因不明の病。
繁華街の雑音や話し声を、全て拾ってしまうという特殊なものだ。
赤ちゃんの泣き声。ひそひそ話。遠くからのクラクションやサイレン音。それらの音が、耳に鋭利に鋭利に届いてくる。耳栓くらいでは、それらが自分の鼓膜に届くことを完全に防ぐことは出来やしない。
雑音が常に耳に入って来るから、頭が頻繁に痛くなる。医者にこのことを相談すると、頭痛を鎮める薬と、人酔い止めの薬を処方される。
「気にし過ぎですね。耳栓をすると良いですよ」
耳栓をしても、意味が無いと告げても、
「ある程度その雑音に慣れていくことも、日常生活を過ごすためには必要になってきます。から、少しずつ慣らしていきましょう」
と、こうくる。
最近、お気に入りの場所が出来た。
駅前に新しくオープンしたカフェだ。前は違うカフェだった。喫茶店と言った方がしっくりくる。そのお店のマスターが亡くなったか何かしたのだろう。閉店して、新しいカフェがオープンした。
ここは、所謂駅ナカにあり、平日の朝に行くと静かな場所だ。
二階にあるので、殺伐とした通勤客のごった返した改札と違い、静かな空間であり、窓際に座ると自然と人間ウォッチが出来る。
しかし、今日は違う。
大きな声で会話しているおばちゃん達がいる。
それもおばちゃんが4人だ。そのおばちゃんらが、大声で話している。ここはカフェだ。ここはお祭り会場ではなく、カフェなのだ。
そのおばちゃん4人衆の周りに座っている人が、明らかに迷惑そうな顔つきだ。ちらちらと、そのおばさん達に鋭利な眼光を向けている。が、そんなものはお構いなしだ。それがおばちゃんと言われる生物なのだろう。
店中に響いている雑音は、カフェにいる他の全てのお客にとって、大迷惑に違いないのだ。なんとかしなければ。
注意しようと立ち上がったその時だった。
そのおばちゃんどもの先に、小説だろうか。文庫本サイズの本に集中する女性を見た。その女性の丸テーブルにはタピオカミルクティーがあった。
その女性の周りだけが、図書館のような静けさを映していた。
僕はその女性と、おばちゃんどものギャップを見ている形になるが、そのおばちゃんどもが気にならなくなった。その女性の周りだけ、静謐があった。そういう風に感じた。それだけ、その女性が気になるのか。
さっきまでの怒りは消えていた。
その女性について、頭が一杯になった。
こんなことは初めてだ。
どのくらい時が進んだだろうか。その女性は飲み物を飲み終え、帰り支度をしている。
あぁ、もっと見ていたい。そして、出来れば話しかけたい。名前も知りたい。だが僕は病気だ。変な人と思われたくない。ならば。
それからの僕は、その女性が気になって気になって仕方なかった。どうにかなりそうだった。だからカフェにさらに頻繁に通う事にしたのだ。また女性が来るかもしれない。今はその女性を見ているだけで心が満たされる感じがする。
最初の一週間は毎日朝の通勤時間帯に 通った。いつも窓際の席に座った。
そして、そのうちに、大体何曜日にその女性がカフェに訪れるのかがわかってきた。
そして、話しかけようと決心した。もう彼女を探して見つけて心満たされてをひとつきくらい繰り返していた。周りから見ていたら完全にヤバい人間なのだろう。ただ、そう感じさせないような努力はしてきたつもりだ。自然な客を意識した。幸い、店員さんに顔を覚えてもらい、コーヒーを入れながら僕に話しかけてくれるようになった。これはリハビリにもなったし、元々苦手な女性と話す訓練にもなった。よし、話しかけよう。
いや、また次に来た時にしよう。僕の心臓はドキッ、ドキッと、周りの人に聞こえてしまうんではなかろうかと思われる程の雄叫びを上げていた。
そして、次の日の週の出鼻に話しかけた。ここも怪しまれないよう、嫌われないよう、細心の注意を払わなければならない。
「あ、あの……よくこのカフェを利用されるんですか」
女性がこちらに目をやった。その途端、僕は目を床に落とした。目を逸らしてしまった。変なやつと思われたか。
「はい?」
返事が帰って来た。お、大丈夫か。もう一度切り出そうと思った。その矢先に女性から口を開いた。
「俺、ここに来るの初めてなんだけど」
そんな馬鹿な。あり得ない。間違え様が無い。だって、このひとつきの間、あなたに会いたいが為に足繁くカフェに通っていたのだ。
「え……で、ででもですよ。よくこの席にいらっしゃいましたよね。い、いやいや、私もよくこのカフェに通っていまして、よくあなたがいたものですから……」
女性は僕をじぃっと見つめてきた。目を逸らしてしまった。そして数秒間かの後、「あぁ」と何か気が付いたようだ。
「それ、多分、俺の姉だね。双子の」
「ふ、双子?」
「そうそう。俺と双子の姉貴」
外見は同じなんだ。髪の長さも同じくらいだし、華奢な佇まいも女性そのもの。
気まずい静寂が流れた。弟に嫌われたらやばい。ひねり出さなければ、言葉を。何か。「友達……」
「は?」
「……友達になってくれませんか」
何を言っているんだろう僕。自分で自分がわからなくなった。咄嗟に出た言葉が「友達になろう」だ。完全無欠、正真正銘、やばい奴じゃないか。
だが次に返って来た言葉は意外なものであった。
「良いよ。君、悪い人じゃなさそうだし。よろしく」
何と、軽い。
「あ……それは、ありがとうございます」
「変な人だね、君。同じくらいの年齢でしょ?見た感じ、そんなに歳離れてなさそうなのに敬語って。タメ口でいいって」
「え……ありがとうございます」
「ほら、また」
彼女、彼はニヒルな笑みを浮かべている。
「あ、うん。うん。ありがとう」
今気づいた事だが、いつも女性が飲んでいたのはタピオカミルクティーだった。そして、今日はアイスコーヒーだった。
「ま、それはさておき……君、俺を女性と思って話しかけてきたんだよね?」
「えぇ、まぁ」
「ひょっとしてナンパ?姉ちゃんが好きなんだろ?」
ド直球で弟さんは聞いて来た。可愛い顔していきなりすげえことをサラッと言ってのけた。
丸テーブルに置かれたタピオカミルクティーを見ながら会話していた僕を、覗き込むように弟さんが上目遣いに見つめて来た。やばっ。可愛い。目覚めてしまいそうだ。バッと顔を上に上げだ。
「い、いやいやいや‼ 本当に気になっただけなんですって!」
「ふぅん。まぁそういうことにしといてあげるよ」
「あ、そういえば、名前。聞いてなかった」
「そういうのは、話しかけてきた君からだろう?」
「あ、失礼いたしました」
「敬語、やめい」
「あ、はい。ヨシダ・ショウゴと言います」
「俺、ユウキ。姉ちゃんはシオリって言うんだ。改めてよろしく」
「ん?もう一回言って」
「だから、ユウキだって。よろしくな」
「違う。お姉さんの名前」
「俺の名前よか姉ちゃんの名前かよっ」
「ははっ」
「シ、オ、リ。シオリだよ。満足か?」
「うん、覚えた! ありがとう」
本丸を攻める前に、まずは外堀から埋める。彼を知り己を知れば百戦危うからず。
敵の敵は味方だ。僕はシオリさんと話す為に、リーサルウェポンを得たに等しい快挙を、この数分間で成し遂げたのである。
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