東の塔の賢者

2/6
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/64ページ
 人々に賢者の塔の事はあまり知られていない。王が賢者の助言を重要視していることは知られていたが、何を助言したとか、そもそも賢者がどんな人物で、今現在何人ほどいるのかといったようなことは明らかにされていなかった。ただ、この大陸の賢者や魔術師、薬師らはみな、ユーゲン教の聖地にある学問所で子どもの頃から特別な教育を受けることは知られていた。聖地で育つためか、彼らはみな敬虔なユーゲン教徒であり、ユーゲン教徒はその教義から質素な生活を心掛けているため、みなだいたい地味な色合いのフード付きの長衣を身にまとい、全身を隠すような風体をしていた。  塔の中で、これまで、案内の男以外の人にはただの一人も出会わなかった。入り組んだ通路を抜け、似たような扉が並ぶ廊下を行き、階段も上がったり下りたりした。目印になるような特徴もないため、来た道はとうに見失っていたので、自力で入口に戻るのは不可能になっていた。  何度目かのよく似た廊下を歩きながら、ジュセウスは口を開かずにいることに神経を集中していた。それは、インスレンでバプテストから受けた注意だった。塔のしきたりで賢者らにはこちらから口をきいてはいけないというのだ。  先を歩いている男は、フードのために顔が見えない。物腰から察するに、それほど年を重ねているようには見えない。声は最初の一言だけだったが、成人男性に間違いはないはずだ。背はジュセウスより高いが、衣の材質のために体つきの判別はできない。  沈黙の中を延々歩き続けた。廊下の高い位置にある窓から外の景色は見えないが、もうそろそろ夜が更けてくるころだと思う。 「随分と速く登られましたね」  長い沈黙を破って、男が話しかけて来た。やっと口を開く機会を得られて、ジュセウスは勢い込んで応えた。 「はい。早くサイモン様にお会いしなくてはならないと思いましたから。それに、足も腕も騎士になる修行で鍛えています。あれくらいの崖で手間取っていたら、わが師バプテスト様に叱られます」 「無駄のない鍛え方をなさっておいでだ。野生動物のごときしなやかさと逞しさ、そして精神力。…さきほどから同じ所をぐるぐると廻っているような気がして不安を抱いてはおられませんか。修行の旅から戻ったところを突然呼びつけられ、急いで塔に来たというのに、休ませもせず、説明もせず、似たような通路をいつまでも引きずり回されて…と。少なくともあなたの様子からは不安や不快な感情は見受けられませんが」 「不安というのは時間のことでしょうか。でも、時を無駄に出来ない事は、ぼくよりも賢者様の方がよくご存じのことなのだから、この塔の仕組みをしらないぼくがどうこう考えることではないと思っています。複雑な通路も、それが必要だからだと理解しています」 「まるで疑わないっていうのも良し悪いだけどな。まあいい。入って」  男は、唐突に廊下の中ほどにあった扉をあけ、部屋の中へジュセウスを誘った。  扉の奥には小さな部屋があり、そこには粗末な木の机が一台と椅子が二脚ある。そして、奥に暖炉があり、鍋がかけてあった。 「そこに掛けて。スープを入れよう。美味しくはないが栄養があって、疲れが取れる」
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!