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4.
子どもは2人生まれた。
上が男の子で匠、下が女の子でゆか子と名付けた。
夫の実さんが陽気な人なので、家の中はいつもにぎやかだった。
実さんも自然が好きだったので、よく山や川に出かけた。テーマパークでなくても、家族で出かければ、どこでも楽しめた。
ゆか子は、おしゃまでよく笑う。明るい実さんとよく似た性格だった。
匠は慎重な子だ。よく考える笑顔のいい子だ。そして、みんなが楽しんでいるのがわかるとまたそれが嬉しいと思う。そんな子だった。
私は家族と過ごす時間が大好きだった。
匠は6年生になったある日、神妙な顔で、私に1枚のプリントを見せた。
「ねえ、ぼくメガネかけなあかんの?」
それは、先日学校で行なった、眼健診の結果だった。両眼とも視力が落ちているらしい。
まず、眼科医院で診てもらうと、メガネをかけた方がいいだろうと言われた。
処方箋を持って、メガネ店に行った。
実さんは目がいいので、それまで無縁だったメガネに興味津々だ。当の本人の方が所在なげにしている。
「俺もちょっと、かけてみるかな」
「そうねえ、パパの顔やと、どんなのが似合うかな」
すかさず、店員が勧めてきた。実さんはその1つをかけると、私に顔を向けた。
「どうや?」
私はどきっとした。妙な胸騒ぎがした。
「パパが似合ってもしょうがないでしょ。かけるのは、たっくんなんやから」
私は、匠にかけてみるように声をかけた。匠は手近なフレームをかけると、こちらを向いた。
私は、驚いた。
声も出なかった。
匠が、今度は真剣に選び始めた。
「これがいい」
選んできたのは、青いフレームだった。
かけてみると、現れたのは、あの少年だった。
やっと会えた。
会えたんだ。
会いたくて。
会いたくて。
毎晩、祈っていた。
何だ。
願いは、とっくに叶っていたのね。
在庫のレンズで間に合ったので、メガネはすぐに出来上がった。
匠の顔に合わせると、それはずい分前からかけていたかのようになじんでいた。
「お、かっこいいな」
実さんの言葉に、匠はそうかなと言って、いろいろな角度から鏡を見ている。
私は思わず、笑ってしまった。
「そっかあ……」
「ママは何、にやけてるんやって」
そりゃあ、にやけたくもなるわ、とつぶやく。
あの初恋の少年に、再会できたんだから。
それにしても、どこでどう間違って、運命の人がわが息子なの? キューピッドはえらくそそっかしくないかと、毒づいてみる。
でも、匠を授かるには、実さんと出会う必要があったんだからと、無理に結論づける。そう言えば、実さんと匠の笑う顔は、そっくりだ。では、実さんを好きになった時も、少年の姿を重ねていたの?
私はわけがわからなくなって、もう考えるのはやめることにした。
けれど、運命が繋がっていたのは、確かなことだ。それは、間違いないのだと納得した。
今度の日曜日は天気がいい予報なので、つつじまつりに行こうと決まった。
「もう、会場じゅうピンクやら白やら花の色が重なるように咲いててね、まるで海みたいなんよ」
「ママ、行ったことあるん?」
「あるよ。ママがゆかちゃんぐらいの時に」
「その頃はまだ、動物園無かったやろ。今はレッサーパンダがいるぞ」
「レッサーパンダ? 見たい! 見たい!」
私は匠にそっと言った。
「迷子の女の子がいたら、親切にしてあげてね」
「何、それ」
匠は気の無い返事をする。
「ルリボシカミキリがいるかもよ」
すると、とたんにメガネの奥の目がキラリと輝いた。
「え? 見たい! いるの?」
「それは、わからないけどね」
私はふっと笑って、匠の髪の毛をゴシゴシッと撫でた。
色は栗色だから、もっと柔らかいと思ってたな、と独り言ちた。
耳に、ザザーンザブーンと波音が聞こえた。
そして、まぶたの裏には、あのピンクのつつじの海がよみがえっていた。
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