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どれぐらいそうしていたのか、気づくと耳元でブーンと虫の羽音がした。
「いやっ!」
反射的に、右手で耳の横を払いのけた。
蜂だ、刺される!
あわてて逃げようとして、よろけてしまった。
つつじまつりの会場はすり鉢状になっている。このあたりも、かなりの斜面だ。
私は前にいた人の服をつかんでいた。その人はびっくりした顔で、振り返った。
「え? 何?」
「蜂! 蜂がいる!」
私はパニックになりかけていた。その人は合点がいったようだった。
「騒がんでいいよ。蜂は蜜を吸うので一生懸命やから、刺したりせんよ」
もっと大人の人かと思ったら、その人の声はまだ子どものようだった。きっと小学校の5、6年生か中学生だろう。
「えっと、もう大丈夫やと思うから、手……離してくれんかな」
青いメガネの奥の目が、恥ずかしそうだった。
私は自分の手に気づき、ぱっと離した。
「ごめんなさい」
私も恥ずかしくなって、うつむいた。
「1人で来たん? もしかして、迷子になった?」
ハッとして顔を上げ、きょろきょろとあたりを見回した。父や母の姿が見当たらない。新たな不安が沸き上がってきた。
「案内所に行った方がいいんかな」
少年は考えてくれているようだったが、私の心を不穏な黒雲が覆い始めた。
「ここには、誰と来たん?」
「お父さんと……お母さんと、妹と」
自分の声が、だんだん消え入りそうになる。
「歩いて来た?」
私は首を横に振った。
「ううん、車で来た」
車で町や田んぼを抜けてきたのだ。1人でなんて、帰れない。
そうだ。駐車場まで行ったら、そこで会えるかもしれない。
「駐車場の車のところに行く!」
必死で駐車場の方がどちらか見ようとしたが、つつじの花が見えるだけだ。私は泣きたくなった。
来た時は、つつじの群生がおとぎの国の海のようで、とても素敵だった。
なのに、近くで見るつつじたちは、まるで、気まぐれな妖精たちに見えた。
こちらを見て、うふふうふふと笑うばかりだ。
「あんまり動かん方がいい」
少年は真剣な顔を私に向けた。
「あわてると、転ぶよ」
私はまた、少年の服をつかんでいた。そうしないと、不安に押しつぶされそうだったのだ。
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