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「何を話した?」
気は急いてるが、この機会は逃せないのだ。柳は声を落として努めて感情を出さないように聞くと、女はゆっくりと話し出す。何故、と。
「なぜ、そんなことを聞きたがるのでしょう?」
ふふ、と袖口で口を覆い、女は笑った。
「聞いたところで、なんの意味がありましょう…」
では、と柳は質問を変えた。
「人間の、旅の男を知らんか。この山小屋で女と会ったと聞いたが、この雪の中で行方が知れぬ」
「ああ…」
火は、ほとんど消えかかっている。女の顔は、闇の中でも浮かび上がって見えるほど、白い。
「儚いものです」
その一言で、何が起きたのか柳にはわかる。しかしそれを口にした時の女の顔は先ほどとはまるで違う、能面のように表情が読み取れないものだった。
「お前の、せいか」
なにを、と女は笑った。
「男は、私を呼んだのですよ。私はただ、呼ばれれ来ただけ。山が、雪が、ただ私をそこに遣るだけ」
「…昔会ったという修験者も、お前を呼んだのか」
女はまた口角をあげて表情を作る。懐かしむような、憐れむような。
「かつて会った修験者様も、お一人でした。そして私に言われました。一人は、寂しくないか、と」
父が?
寂しくないか、と?
柳はその、もののけの長らしからぬ言葉を父が発した事実に混乱する。
「なぜ聞くのでしょう。私は、そういうふうに生まれて、そういうふうに過ごしている」
柳は一本、薪をくべた。残り火はかろうじてやや湿気ったその一本に移り、次第に木肌を焦がしていく。炎があがり、また、女の顔が橙を映す。
「雪を降らせる。それはやがて溶けて川を流れて、生き物を育む。山の一部である自分に、このほかの生き方はありましょうや」
柳は、女の白い手を見た。
「…人を見て、うらやむことは無かったのか。自らが与えた恵みを共に享受したいとは思わなかったか」
柳が問うと、女は淡々と答えた。
「人は生まれ、老いて、生を終えれば肉体は土に還りやがて新たに人の恵みとなる」
火がまた、はぜる。
「同じように、山から頂いたものは山へ還る。これに抗うことは、生を無に帰すことと同じ」
ぱち、と再度薪が音を立て、火の粉があがった。
「ではなぜ」
柳の服や白い髪も、赤く照らされている。
「お前は人や…他の者がいるところへ現れるのだ」
ふふ、と女は笑った。
「言いましたでしょう、呼ばれるのだと。私は、山へ還る手助けをしているだけです。修験者様は、還りたがっていた」
還りたい。
柳はその言葉を反芻した。
「己がいる場所から、解放されたいと」
はっと思った。
気づけばそこは山小屋ではなく、誰もいない雪原である。
足跡は柳のものすら消えており、もちろん女がいた痕跡はあるはずもなかった。
父は、自ら雪女を呼んだのだ。
その事実が柳の中で滔々と広がり、半ば愕然とした気持ちでかつてと同じく嗚咽を漏らした時、その声をかき消すように雪が視界を、体を覆った。
柳は、なすすべもなく雪崩に呑まれた。
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