45人が本棚に入れています
本棚に追加
人間と他のもののけのいざこざに、天狗達が間に入る必要はない。村人は、雪山でいなくなった息子を、夫を、探して欲しいと天狗に手を合わせるが、それは仕方のないことなのだ。少なくとも、自ら雪深い山に入った者達の意志の結果であった。
だが、その年は少し様相が違った。巻き込まれたのは、柳の父である大天狗だ。山を統べる天狗の長が、一介のもののけが起こしたものとはいえ吹雪に負けるとは誰も思わなかったが、心身共に鍛練を常としていた長が雪女に惑わされたとは、それこそ一族のものには信じがたいことであった。
吹きすさぶ雪に目をこらしながら、藍は問う。
「柳、長はどこ?」
藍は、長の片腕ともいえる烏天狗の娘で、長とも柳とも繋がりが深い。幼い頃から聡明で美しいこの娘は、しばしば父に帯同し、山のもののけが跳梁跋扈する様をその目で見てきた。山を、仲間を脅かす異形のものと密かに対峙し、いくばくの犠牲を払いながらも山の安寧を保てるよう尽力してきた藍の父は、長から絶対的な信頼を寄せられている。
柳は、まだ若輩のため、しばしば藍と同じく最前線より離れたところで待機するのを余儀なくされていた。母はすでにおらず、少なくとも烏天狗とは一線を画す特異な容姿を持つ柳は、一族をおさめる跡継ぎとして、迂闊にもののけの手にかかり命を落としてはならないときつく言われていた。
歯痒かったが、ここで無分別に突入するのは尊敬する父の望むことではなかった。
「藍、長は」
柳は、自分の袖を掴む幼い少女に答えた。
父を、他人行儀に呼ぶようになったのはいつからだろう。母が死んだ頃からだろうか。柳は躊躇ったのちに、久しく口にしていない呼び方を使う。
「父さんは」
吹雪は、激しさを増している。二人がいる横穴にも雪は吹き込み、柳は小さな藍の体が飛ばされぬよう、肩を抱く。装束越しでも伝わる掌の震えを抑えるように、藍はそこに自分の小さな手をそっと重ねた。
山を向いたまま答えた柳の声音は、明瞭だった。
「父さんは、死んだ」
山を覆う雪と同じくらい白い髪は、その目元を隠している。藍は手を伸ばしたが柳の頬には届かず、涙は拭われる前に雪と同化して消えた。
きっと、今後山をまとめねばならぬ柳が人前で泣くのはこれが最後だろう。
しかし隣にいながらも、見上げねばならぬほどの傷心の体を包み癒すには藍はまだ小さく、その事実は少女の心にも微かな無念と気概を生じさせるには十分すぎるものであった。
最初のコメントを投稿しよう!