45人が本棚に入れています
本棚に追加
/127ページ
11.山伏と紅(3)
山では、狐の話はよく聞く。
道に迷った村人が、美女に案内されこれ幸いと住まいへついていったが、翌朝家族が探しに行くとそこは荒れ果てた沼地であったという。またあるときは、提灯のあかりと思いついていくと実は狐火であり、突然真っ暗になった足元を踏み外し大怪我をした話もしょっちゅうだ。
「とにかく、美女には用心ということじゃな」
囲炉裏の前で、山伏は酒を飲んでいる。
山への帰り道は三人とも同じだ。伊太が山伏を送ると言い、結局山小屋で酒盛りをすることになった。
この修験者らしからぬ色男が、珍しく酔っている。
「狐や女の姿のもののけは、人を惑わせるんじゃ。女は、女じゃ。たちが悪いやつよ」
椀になみなみと酒を注いでは、豪快にあおる。
瓢箪を差し出し伊太たちにもすすめてはいるが、ほとんど山伏一人で飲んでいる。
山伏の隣で心配そうな顔をしている伊太を見て、縫は、やっぱりお人好しだわなどと思っていると、含み笑いが聞こえた。
「伊太も、人が良すぎて騙されんか、恋人が心配しちょるぞ」
縫と伊太を交互に見ながら、山伏は笑う。縫は慌てて否定しようとするが、それより先に伊太が至極真面目に言った。
「恋人じゃあないと言ったろう。縫は妹みたいなもんだ」
他人の目の前でこうはっきり言われ、さすがに縫も気持ちのやり場が無くうつむいた。
「妹か」
山伏が、呆れたように言った。
「縫は、そうは思うちょらんぞ」
はっと顔を上げた縫の口に、何かが触れた。山伏の、細い指。
優しくなぞられ、唇が紅を引いたように濡れる。同時に、酒の匂いが縫の鼻腔をくすぐった。
「…こんなに可愛いのにのう。気持ちを偽ることも隠すこともない、素直なもののけじゃ…」
そう呟くと、山伏はいましがた酒に浸らせた人差し指をねぶり、椀の酒を飲み干す。縫は不意の出来ごとに頬を染め、助けを求めるように伊太を見た。
「縫」
伊太が名を呼んだ。しかし嫉妬は感じられず、極めて淡々とした口調だ。
「帰るぞ。山伏、とにかく、人を殺めぬもののけに手出しは無用だ」
「そうはいかん」
縫が驚いて振り向いたほど、強い口調で山伏が言った。
「おれは、あいつに貸しがある…」
貸し?と縫は静かに問い返したが、山伏は俯き、それ以上はもう何も言わなかった。
最初のコメントを投稿しよう!