09 重力

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09 重力

 明美の運転する車は、教団本部が微かに見える位置にきて停まった。  聡流も明美も、互いに少し気まずい雰囲気のままだった。今までと異なり、口火の切り方がまるで分からない。とはいえ、あまり長時間留まっている訳にもいかない。 「……明美さん。僕、高校受験しようと思います」  聡流の不意の決意表明に、明美がまたしても目を丸くする。 「お金の問題とか、色々ありますけど……とにかくキチンと学校出て、アルバイトでも何でもして、早く自立します。いつか明美さんと、もっと堂々と会えるようになりたいから」 「……そっか。うん、そうだね」 「それじゃ……さようなら」 「待って」  明美は急遽(きゅうきょ)、聡流を呼び止めるとポケットから手帳を取り出した。切れ端に何かサラサラと番号書きつけて渡そうとするが、一旦はそれを握り潰すと改めて英数字の羅列を別の切れ端に書き込んだ。どうもアドレスらしい。 「これ……私のメアド。君が自分の力でお金を貯めて、取り敢えずケータイぐらい買える様になったらその時は……連絡して。少なくともそれまで、このアドレス変えないようにしといてあげるから」 「いいんですか」 「君は危なっかしいから……お巡りさんが見ててあげなきゃって思うだけよ」 「……そうですね、確かにその通りです」  聡流はコクコクと頷いてから、冗談めかして言った。 「僕も早く、危なっかしいお巡りさんのこと、見てあげられるようにならないと」 「こいつぅ、生意気だぞっ」 「誰かさんの所為です」  軽くちょっかいを出し合って、一緒に笑い合う二人。それからやっと、聡流は車を降りて、窓から手を振る明美が車ごと去っていくのを見送った。一瞬にも感じる永遠だった。  その時、東の方角から薄っすらと空が白み始めていくのが分かった。  聡流は未だに煩悶(はんもん)する。果たしてこれで良かったのだろうかと。いや、良い訳などない……明美のことを思えば、自分たちは、本当はサヨナラを言うべきだったのだ。  それでも彼女は急き立てられるように行動し、自分はもう一度生きることを決意した。一度その重力に囚われたら脱出できない……恋愛というのは正にブラックホールのようだと聡流は思った。  だがブラックホールに呑まれたものの末路は、物理からの隔絶。完全なる分解。  事実上の死だ。彼女もそうなってしまうかは、これからの自分に懸かっている。  ブラックホールからの脱出を目指し、聡流はその日、新たな一歩を踏み出した。 (おわり)
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