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01 聡流と明美 その1
「サトくんさ、前に比べて砂糖の数減ったよね」
「えっ、そうですか?」
「減った、減った」
聡流が角砂糖をコーヒーに投じて何の気なしにかき混ぜていると、そんな言葉を出し抜けにかけられ戸惑った。テーブルに肘をつき楽しそうにこちらを眺めてくる明美の視線に、聡流はほんのちょっとだけ照れくさくなる。
「初めて会った時、今の倍ぐらい入れてたよ」
「……大人になったってことですかね」
「あのね、そういうことは自分でお金出せるようになってから言いなさい?」
「はーい」
気のない返事をしつつも、聡流は心の何処かに小さな痛みを覚える。
それは五月の中頃のこと。関東地方にある、とある全国チェーンの喫茶店内で、黒淵聡流は顔馴染の女性・白山明美と二人きりで窓際の座席に腰掛けていた。
ビックリするぐらいよく晴れた日である。すぐ外には、一定間隔で落葉樹の植栽されたある種のウッドデッキが広がって、道行く人の姿で彩られていた。よくよく見れば、テレビドラマなどでよく映るロケーションだった。東京から近いのもあって、撮影などにはうってつけなのかもしれない。
「最近どう? 将来の夢とか進路、何か思いついた?」
「……やめて下さいよ。まるで、親戚のおばさんと会ってるみたいじゃないですか」
「あっ、ひどーいサトくん」
明美が冗談めかした抗議の声を上げてくる。
「こーんな若い子捕まえておばさんだなんて」
「僕の方がもっと若いですもん」
聡流は明美と一緒に笑いつつも、どうにか話題を進路などから遠ざけることに成功できて、内心ホッとしていた。正直あまり触れてほしい話題ではない。
「明美さんこそ最近何やってたんですか。会うの、本当に久々ですよね」
畳みかけるように即、別の話題を提供する。
「凶悪犯でも追ってたんですか」
「代わり映えしないよー、警察の仕事なんて。同じところ見回りして、同じような書類書いて……交番勤めだと特にそう。起きたところで酔っ払いの喧嘩とか、置き引きとか」
「じゃあ、僕んちのことで出動するのって案外、いいアクセントだったんですかね」
「先輩とかは毎回うんざりしてたけどね」
またしても二人は笑い合う。何であれ共通の話題があるというのはいい。
明美はゆっくりカップを持ちあげると、顔を近づけてそっと香りを堪能していた。
「ここのコーヒーさ……今までと比べて、すっごくいい香りしてると思わない?」
「えっ、そうですかね」
「サトくんもさ、嗅いでみなよ」
聡流は言われた通りにしてみる。が、芳ばしいという点以外は、正直よく分からない。
「ね、どうかな?」
「……そうですね、確かにちょっといい香りしますね、いつもに比べて」
取り敢えず話を合わせることにしてみたのだが、それはたちまち見破られた。
「ふーん……具体的にどの辺が?」
「え? えーっと、あの……」
「サトくんの嘘つきー、全然分かってないじゃん。何が大人よ」
「ううっ……」
からかうような口調で言われてしまい、聡流は恥ずかしさから肩をすぼめてしまう。
「ま、そういう私もよく分かんないんだけどね」
「何なんですか、もう……冗談よして下さいよ」
「ごめんごめん、ついからかってみたくなっちゃって」
「性質悪い人だなぁ……」
聡流は憮然とした顔でコーヒーを飲み続ける。
だが確かに以前……というか、それこそ明美と出会ったばかりの頃に比べれば、この香りを楽しめるようになってきたのも事実だ。当時はこうした匂いを嗅いだところで正直、タバコのヤニっぽくて嫌だな、程度にしか思わなかったのだから。
どうも必要以上に自分は子供扱いされているのではないか。そう思うと聡流は、唐突に少し意地悪をしたくなった。
「……ところで、こないだ話してた男の人って彼氏さんなんですか」
むせ返りそうになる明美を前にしても、聡流は机に目を落としてそ知らぬ素振りをする。
「えっ……え、いつの話!?」
「駅前で、高校生ぐらいの人と話してましたよね……随分親しそうでしたけど」
「違うからね!? あの子はよく深夜徘徊で補導されてるから、早く帰りなさいよって注意しただけであって」
「へー、そうなんですか」
「信じてないでしょ」
ワザとらしく口を尖らせてみると、思いのほか効果的であった。
「……あのね、確かに君ぐらいの男の子と接する機会は多いよ、警察官だもん。だけどこんな風に一緒に出掛けたりするの、君以外には誰もいないから」
「……へー、そうなんですか」
正直ちょっと、いやかなり嬉しいのを誤魔化しつつ、聡流は目を逸らす。
「悪いお巡りさんですね」
「誰かさんのせい!」
いーっと明美は舌を出して見せた。
「……サトくんさ、前より明るくなったのはいいけど、生意気になったんじゃない?」
「誰かさんのせいです」
それからしばらく、どちらも無言になる時間があった。
だがそれも長くは持たなくて、やがて彼らは、どちらからともなくクスクスと笑い出した。お互いに軽くコーヒーをすすり、窓の外を眺めるだけの至福の数分間。
明美だけがその間、微かに息を整えるようにしていたのに聡流は気付かなかった。
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