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07 虚無 その2
浴室に直行した聡流は、即座にシャワーを全開にして全身をくまなく洗浄した。
火傷してしまいそうな程の湯温だったが、一向に構わなかった。一秒でも早く、汚らわしい自分自身を清めたい。身の内に潜んだ得体の知れない穢れた化け物を熱殺したい。聡流はただただその一念で、自らの過ちを無かったことにしようとした。
やっと少し気分が落ち着き、身体を拭いて、新しく持ってきた下着と服を着直していると、そこへいきなり父親が戸を開けて現れた。黒淵憲星――カルトの教祖だ。
聡流が一瞬身をすくめたのを見て、憲星はちょっとだけ済まなそうにしていた。
「ああ……すまん。まだ起きてたのか」
「他人が入ってるのぐらい音聞いて分かるだろ……勝手に開けるなよ……!」
「白鳥くんが思った以上の欲しがり屋でねぇ……」
聡流の気が立っていることにも気付かず、憲星はヘラヘラと笑いながら言って来た。
「さっきやっと寝てくれたんだ。ああほら、いつもお前に服をくれる――」
「言わなくても分かるよッ!」
思わず大声が出てしまう。憲星の正妻になりたい女性信者たちが、唯一の息子である聡流にまで取り入ろうと『貢ぎ物』をしてくるのは日常茶飯事だった。主に服などが多かったのだが聡流の場合、大半はしまい込んだまま一度たりとも着ようとはしない。
聡流には父親への嫌悪感しかない。こんな支離滅裂なひげ面親父の何が良いのか。どうして肉体関係を持つことを宗教体験などと思い込んでしまうのか。女性のみならず男性信者でさえ憲星と『関係』しているという。彼らの気持ちが、聡流には理解不能だった。
「そこ退いてよ、部屋に行くから」
「警察官の女の子とは、上手くいってるか?」
急激に血液が逆流したかのような気分に、聡流は襲われる。
無理に平静を保とうとするのだが、上手く言葉が出て来なくなる。
「何言ってるんだ……退けってば!」
「息子の恋愛事情を訊くぐらい別に良いじゃないか……それにほら、あの娘だったら将来沢山赤ちゃんを産んでくれそうじゃないか。安産体型とかいったかな? いずれ大家族だぞ。いやお父さんは反対してる訳じゃないんだ、むしろ応援して」
「――退けよッ!」
聡流は殆んどパニック同然になり、憲星を突き飛ばして尻餅をつかせる。
「な、何するんだ聡流、お父さんに向かって」
「なんでいっつもそういうことしか考えないんだよアンタはッ! 変態オヤジは死ね!」
「家族が増えるのを喜んで、一体何が悪い!?」
憲星は呻きながら抗議の声を上げ始める。
「命を宿すというのはな、崇高なことなんだぞ。お前だって元々はそういう風に生まれて」
「うるさいッ! いいから、もうほっといてよッ!」
気持ちが悪い。汚らわしい。聡流の中に溢れてくるのはそんな感情ばかりだった。
何故なんだ。どうして寄りによってこんな人間が、自分の父親なのだ。
喚くだけ喚くと聡流は早足で部屋に戻ろうとする。と、その時、憲星が突如として情けない声を上げた。
「聡流ッ、お前までお父さんを見捨てるのか!?」
思わず一瞬、聡流は足を止めてしまう。
憲星がすかさず、ワアワアと声上げて泣き始めた。それはカルトの教祖というより、殆んどただの子供だった。騒ぎを聞きつけた泊まり込みの信者たちが数名、心配そうな顔をしながら様子を見に出てくる始末で、威厳など微塵も無かった。
聡流は何もかも嫌になった。
部屋に戻ってパーカーを引っ被ると、フードを目深に下ろして耳を塞ぎ、ロクな準備もせず真夜中の家を飛び出した。
聡流は線路沿いを走った。逃げるように走った。無我夢中で走った。
やがて疲れてしまい、とぼとぼと歩くうちにいつの間にか夜が明けていた。
通りがかった公園のベンチでひたすら眠りにつき、目が覚めると場所も碌に決めず、線路に沿って下り方面へと歩いた。
ポケットに小銭があったのが幸いして、イートインのあるコンビニを見つけて飲食をするとそのまま思考を放りだすようにまた眠った。起きて適当に歩いていると、大型のショッピングモールに差し掛かり、そこに入って共用ソファでまた少し寝た。
閉店と同時に警備員に叩き起こされ、また何処へともなく歩き出した。
飲食以外は、ほぼ一昼夜歩き詰め状態だった。
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