ベランダ

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露店が連なり喧騒を極める分梅通りはキラキラと輝いている。 道行く人達は全員楽しそうだった。 ビール缶をチビチビ啜るおじさん達の高笑いが耳に入る。おじさん達の視線の先には同年代の女子の集団。鮮やかな赤に染まった浴衣は、流れる雲のように色白で美しいうなじを引き立て輝かせている。綺麗なお姉さんの後方を歩くのは父親と手を繋ぐ少年。反対の手の中に収めたりんご飴に向ける目は爛々と輝いている。視線を下から上に移すと、視界いっぱいに広がる満面の星。夜空ごと落ちてきそうな綺麗な眺めには誰もが息を呑む。 今日は皆が笑顔になる夏祭りの日。青春するカップル、思い出を刻む親子、バカをやりにきた男子の集団。全員が全員キラキラ輝いている。 あぁ、いいな。俺もそっち側が良かったよ。 ベランダから分梅通りを見下ろし、俺は後悔していた。なんだってこんな日に男2人でダベらなくちゃならないんだ、と。 「ヘイSiri」 真横の天パ野郎が話しかけてきた。これでもかというほどの棒読みである。 「俺タカヤって言うんだ。覚えといてくれな」 「ヘイSiri」 「だから違ぇよ」 「ヘイSiri」 「ぶっ壊れてんのかてめぇ?」 「今の気持ちを教えて」 「アキを殴りたい」 そう言いながら俺はアキの肩を強めに小突いた。 「んで?今日はなんなんだよアキ」 今俺達が立っているのはアキの家のベランダ。3階の高さから見下ろす夏祭りは、楽しそうな雰囲気が伝わるぐらいの距離だけど一緒になって楽しめるほど近くはない。 「なんだって夏祭りの日に……」 俺の呟きに、ベランダの手すりにもたれ掛かりながらアキは答えた。 「なにがだよタカヤ」 「なにがじゃねぇよ。なんで今日俺はお前ん家に呼び出されたんだっつってんだよ」 アキはチッチッチッとわざとらしく音を鳴らして指を振る。昔から思っていたことだけど、こいつの演技臭い表情には凄く腹が立つ。 アキと俺は所謂幼馴染み。小学生の頃にできた腐れ縁はお互い大学生になった今でも続いているようで、別々の大学に通う俺とアキはたまにこうして顔を合わせている。 「おいアキ。なに黙りこくってんだよ。はよ理由」 「タカヤ、俺思うんだよ」 「なんだよ?」 「俺らの付き合いも十数年になる。理由も用意せず家に招くことができる関係性、親友って呼べるものじゃないかなんて勝手に思ってたりもするんだ。そんな中、俺は改まってお前を呼んだ。この意味がわかるか?」 「いやわからんが」 「いいか、これは真剣な話だ。心して聞け」 アキはこちらに顔を向け、重い口調で続けた。 「キラキラした奴らを見下ろして俺と一緒に憎んで欲しい」 聞こえてきたのはペラッペラに安い言葉だった。 「くだらねぇ……」 「おい!帰り支度を始めるな!ちょっと待て!いや、ちょっと待ってください!」 アキに肩を掴まれる。手のひらの体温が熱くてキモい。 「なんでこんな日にお前の嫉妬に付き合わにゃならん」 「いいじゃん!俺達親友だろ!一緒にカップルを滅ぼそうじゃないか!」 「同類と思われるから手を離せバカ野郎」 アキの手を振りほどき襟を正す。 「てかそんなに羨ましいならお前も誰か女誘って行きゃよかったじゃん。花火大会」 「オッケー買ってやるよその喧嘩」 「まだ店頭並べてねぇんだわ」 真下では中学生ぐらいの男女がワイワイと楽しそうに歩いていた。あの子達はアキみたいに歪まないで真っ直ぐに育って欲しい。 「どーせ俺は大学生にもなって女子の友達1人もいねぇよ!なんか文句あっか!?」 「文句はねぇけどよ。なんだったら今回の花火大会を機に仲良くなれば良かったのに。ちょっとぐらい喋れる女子は流石にいるだろ?」 「大学入学してから女子と喋ったことない」 「お前入学式昨日だったっけか?」 ちなみに俺は入学して2年になる。同い年で浪人もしてないアキも同じはずなんだけどな…… 「うわー!傷ついた!ひでぇ、ひでぇわその言い草。ていうかお前それパワハラだよ?このご時世に何考えてんだ、駆け込むぞこの野郎」 「ここに上下関係なんかねぇだろうがよ」 ていうかどこに駆け込む気だ。誰もお前なんか相手にしねぇよ。 「えっ、結局今日これなんなん?」 呆れた声で俺はアキに問いかける。アキは後ろ髪を掻きながら、手間を取らせるなと言いたげな態度で面倒くさそうに返事をした。 「いやだーかーらー、さっきも言ったじゃん。俺が夏祭りを楽しめる状況じゃないんだから、親友のお前と一緒に楽しんでる奴らを憎みたいんだよ」 「なに?俺今日お前の憂さ晴らしに付き合うってこと?俺の人生にそんな無駄な瞬間要らないんだけど」 「いやもうめちゃくちゃ有意義。夏の在り方に一石を投じるから」 「一石を?」 「夏ってのはな、空調が整った涼しい場所でダラダラするのが一番なんだよ!だいたい夏祭りに参加するやつなんか全員バカだからね!?原価の何倍もするクソまずいもんみんなでシェアして食べながら暑い中人混みに紛れてはしゃぐんでしょ?わざわざ外出て人に押し潰されながら花火見るんだったらクーラーの効いた部屋でアニメ見てた方がよっぽどマシだから!夏祭りに参加するってことは自らの偏差値が足りてないことを恥ずかしげもなく語っちゃってんのと一緒だかんね!?」 「石投げられんのお前の方じゃね?」 魂の叫びを終えたアキは少し涙目だった。羨ましいという気持ちがアキの言葉の端々から漏れ伝わる。自分では気付いてないようだけど、こいつ祭りの様子見ながら『いいなぁ……』と何回も呟いているからね? 「アキ、もうやめようぜこんな無意味なこと。ほら、一緒に下に行こうぜ?ラムネ奢ってやるよ」 「誰が行くか!俺は下の奴らなんかに負けねぇぞ!」 「現状お前ぼろ負けだって」 「だいたい意味わかんねぇよ夏祭りなんて!あんな人混みの中でよぉ。はっ!カップルは浴衣なんか着ちゃって!物理的に近くなれば心の距離もちぢまるってかぁ!?なんっも羨ましくねぇ!」 「……とりあえず涙拭けよ」 「……なぁタカヤ、この涙もいつかの俺に活きてくるのかな?」 「将来の自分に負債を負わすな。日本政府かお前」 チラッと腕時計を見る。19時45分、打ち上げ花火が上がるまであと15分だった。 「ていうかお前はなに澄ました顔してんの?俺と一緒に感情爆発させろよ!」 「いやそんなん言われても……」 夜空を指差しながら、アキは続く俺の言葉を遮った。 「あっ、ちょっと待て流れ星!『雨天中止』『雨天中止』『雨天中止』」 「宇宙レベルのゴミとはお前のことだ」 俺もアキも流れ星が彼方へ消えて行くのを目で追った。 なんとなく会話が止まり、お互い夜空をしばらく見上げていた。 「俺だって……」 突然ボソッとアキが呟いた。 「ん?」 「俺だってなぁ、頑張ったんだよ」 「お?女の子に話しかけたりしたのか?」 「バカにすんじゃねえ!そんな無理難題できるわけねぇだろ!」 「逆に聞くけどなんでバカにされないと思ってんだお前」 よくそんな真っ直ぐな目ができるよな。 「で、なに頑張ったん?」 「筋トレ」 「んー、まぁ」 「の本を買った」 「買っただけ!?道のり遠くねぇ?」 何故かアキは誇らしげに胸を張っていた。何段階手前で満足してんだこいつ。 「せめて筋トレ始めろよ。成し遂げた顔すんな、まだ何も始まっちゃいねぇよ」 「てかさ」 アキがぐいと近づいてきた。ジトッとした半目は俺の顔を斜め下から覗いている。 「そういうお前はどうなんだよ!言ってもお前だって俺と同じ立場じゃねえか!お前も夏祭り難民だよ!」 「いや俺明日彼女と行くし」 「今日お前こっから帰っていいよ」 「飛び降りろってか?死ねってか?」 俺の顔の前でベランダの下を指差すアキ。しかも親指で。 「なんだお前バカにしやがって。もう頭きた!絶交だ!お前には俺ん家の敷居は二度と跨がせねぇからな!リビングに一歩でも入ってみろ?ぶちのめすからな」 「いやだから今ベランダなんだわ。俺どうやって帰るんだ?……背中を押すな!飛び降りねぇよ!」 「安心しろ。飛び降りたあと靴はお前目掛けて投げつけてやるから」 「何をもって安心しろと?ほんと優しくねぇな、そんなんだからモテないん……ごめんて」 見るとアキが目を抑えていた。大学生が背中を丸めてシクシク泣いている図は心に刺さる。哀れすぎてなぜか俺も泣きそうだった。 「ほ、ほらっ、大丈夫だって。外見てみろよ!うじゃうじゃ歩いてる奴らよりお前の方が勝ち組だって!」 「そんなことねぇよ……俺は一生負け組だよ。どん底に不幸だよ」 「いやいや、考えてみろよ。こんな暑い中人混みにいて本当に楽しいと思うか?ベランダで優雅に花火を見たほうが絶対にいい!下にいる奴らより俺らの方が絶対に勝ってる!」 「男2人でもか?」 「男だけの方が楽しいって。ほら、下を歩くカップルなんか見てみろよ。明らかに無理して楽しい振りしてるじゃん。自分に嘘ついて雰囲気だけ楽しむしょうもない奴らよりより俺らの方が楽しんでるって」 「タカヤ」 「な?アキもそう思うだろ?」 「そんな風に人を悪く言うのは良くないぞ?」 どの口が言ってんだ!?お前何今更良い子ぶってんだよ!? 与太話を繰り返すこと数分、アキを励ますのにも疲れてきたころ下の道から機械的な音声が聞こえてきた。 『おまたせいたしました。夏の夜を豪華に彩る第64回北府中市花火大会を開催したします』 そこかしこから短い歓声が上がる。道行く人は皆空を見上げていた。 やがて、期待と高揚感を一身に背負った甲高い笛の音が鳴る。その音がどんどん遠くなっていき、ついに何も聞こえなくなった。全員息を飲んで夜空を見守っているのがわかる。 暗い夜空を照らす淡い星光が一瞬見えなくなった。それが花火の光だと気付いた時には、既に怒号のような破裂音が耳まで届いている。負けじと俺たちは手を鳴らして声を上げた。拍手と歓声と破裂音が咲き乱れる。花火大会が始まった。 「なぁタカヤ」 「なんだアキ」 「良い、景色だなぁ」 「そうだなぁ」 「なぁタカヤ。俺は間違ってた」 「なにがだ?」 「俺は今、充分幸せだ」 「そうか」 「人混みの中、全員で同じ場所を見上げる花火大会も良いけどさ、こうやって2人で見上げる花火もそれはそれで良いもんだな」 横目で見るアキの顔は、先程までと違って少し朗らかだった。 「また来年もこうやってタカヤと花火を見れたら俺は満足だ」 アキのそんな心からの声を聞いて、俺は口を紡いだ。 確固たる決心を、口には出さずとも強く思う。 来年は絶対こいつの誘いにはならないでおこうと心に誓った。
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