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桔梗
それから、私は、『Monsun』の「追っかけ」になった。
ただ、お目当ては『葉月』だ。
葉月のソロコンサートにも行くし、柚里と葉月の二重奏にも行く。
いつも、小さなブーケと、チョコレートを差し入れた。
楽屋は、4人の友人知人でごったがえしているので、挨拶と、次の演奏会の予定の確認だけ。
他の人達とは、雰囲気も服装も違う私を、4人は気にしているようだった。
もう少し・・・・・・・・
私は、根気強く、「追っかけ」を続けた。
秋も深まった、「ハロウィンコンサート」に出かけた私は、いつもの通り、楽屋を訪ね、花束とチョコレートを差し入れて、4人と握手して次のコンサートの予定を確認して外に出た。
廊下に出たときに、
「待って!」
と、背中に声をかけられた。
振り向くと、柚里が、スマホ片手にドアから出てきた。
「あの・・・もし、良かったら、LINEの交換しませんか?コンサートの案内とか連絡させて欲しいから」
人なつっこい笑顔で、柚里がそう言ったときに、私の中で、ある種の感動のようなものが広がった。
そう、あの、難曲と言われる、「パルティータ第2番曲」をパーフェクトに弾き切った時のような・・・・・・・・・
いつか来るこの時を、どんなに待ち望んだことか。
「嬉しいです。」
私は、わき上がる感情を押し殺し、上品な微笑みを浮かべてスマホを取り出した。
「じゃ、宜しく!えっと・・・名前は、貰ったカードにあった『茉莉花(まつりか)』さんでいいの?」
「ええ。文字変換が難しいから、ひらがなで『まつりか』でいいわ」
互いを登録しあうと、柚里は「じゃ、連絡するね!」と言い、軽やかな足取りで再びドアの向こうに消えていった。
やったわ・・・・!!
帰りのタクシーで、私はひたすらスマホを凝視していた。
ほどなく、柚里から、葉月の番号の案内メッセージが入り、私はスマホを胸の前で抱きしめた。
小さな一歩。
でも、とても大きな一歩。
夜、柚里から、メッセージが入った。
私の事を、色々と尋ねられた。
私は、「家事手伝い」をしていて、「音楽と絵が趣味」の、「28歳」という自己紹介をした。
葉月は、音楽や絵画の話題が、好みのようだった。
柚里は、フレンドリーで、日常的なメッセージを送ってくる。
やがて、色々な情報が入ってくるようになった。4人とも、同じ音大出身。それぞれ、仕事をしながら、音楽活動を続けているそうだ。
葉月は、塾の講師。
柚里は、インターネット関係の仕事。
男性2人は、それぞれ別の高校で、音楽教師をしているらしい。
2人の男性は、28歳で、葉月は25歳、柚里は23歳だった。
葉月と柚里の2人が、ある楽器店でミニコンサートをした。
いつものように、楽屋に差し入れを持って行った。
その日は、楽屋見舞いの人が少なかったせいか、椅子を勧められた。話しをしているうちに「お腹空かない?」と柚里が聞いた。
時計を見ると、夜の8時をまわっていた。
柚里が、
「桔梗さんのところへ行く?」
と、葉月に尋ねた。
「そうね。開いてるか、電話してみる」
葉月が、すぐにスマホを手にした。
「女性限定の会員制お店で、メニューも色々あるよ。料理も美味しいし。でも、そんなに大きいお店じゃ無くて、静かだよ。インテリアのセンスがすごく素敵なんだ。」
柚里が説明してくれた。
何故だかわからないけれど・・・・・・まだ行った事の無いその場所は、私を待っている・・・そんな気がして心が騒いだ。
楽屋を出て、夜の街に出た。
タクシーを止め、後部座席に、順番に乗り込む。
葉月の隣に座りたかったけれど、残念ながら、柚里が真ん中だ。
葉月が、ここからさほど遠くない場所を、運転手に指示をする。
車は、ゆっくりと動き出した。
「そのお店はね、会員制だから、みんな・・・偽名?」
「ハンドルネーム」
葉月が、微笑みながら言い直す。
「そ、そんな感じで呼び合うんだ。SNSをしてるんなら、その名前でも良いし。本名をそのまま使う人もいるけど・・・」
と、そこで、柚里が、言葉を切った。
柚里の口ぶりから、そのお店が、どういったものなのか、私は理解した。
そして、2人が同性愛者のカップル~という事も、確信した。
「私たちは、本名のままなの。茉莉花さんはどうする?」
少し心配そうなかげりを目に浮かべながら、葉月が、柚里ごしに尋ねてきた時も、笑顔で
「私は『茉莉花(まつりか)』でいいわ。そこは、薬の取引現場とか、犯罪に問われるような場所じゃないんでしょ?」
と明るく答えた。
3人の笑い声が、響き合う。
「年齢の差はあるけど、もう丁寧語無しでもいいよね?疲れるからさ」
柚里が、人なつっこい笑顔で、左右を見ていった。
「そうね、そうしましょ」
私が相づちを打つと
「茉莉花さんは、言葉遣いが綺麗だから、やっぱりちょっと緊張するよ。きっと、お嬢様なんでしょ?」
と、柚里がため息をつきながら言った。
「『茉莉花』って、呼び捨てでいいわよ、柚里。私は、お嬢様じゃないわよ」
「見た目でわかるよ、お嬢様だって。服装も、言葉遣いも違うもん。葉月も、お嬢様だし、私一人が平民だ~」
「違うわよ、本当に、私も平民。」
「嘘だよ~」
「本当よ!」
私と柚里の、子供みたいなやり取りを、葉月が微笑みながら見ているのがわかって、私は、恥ずかしくなって、思わず目を伏せる。
視線を伏せたまま、
「ね、私は友達が居ないの。仲良くしてくれる?」
と、告白した。
「勿論だよ、ね、葉月」
「ええ、宜しくね、茉莉花」
葉月の声が、耳に優しく響く・・・・・・・・・・人の「声」も、私にとっては「音楽」だ。
葉月の言葉は、とても心地良い、音楽・・・・・・・・・・
タクシーがゆっくりとスピードを落とした。
住宅街の、さほど高さの無いマンションの、二階へ上がる。
先に立っていた葉月が、インターホンを押した。
ドアには、『ミティリニ』と、斜めゴシック書体のプレートが取り付けられていた。
ミティリニ・・・・有名な、レスボス島にある都市の名前だ。
やはり、ここはレズビアンの為のお店。
「はい、ミティリニです」
と、男性のような、少し低い声がした。女性専用なのに?
「葉月です」
葉月の声に、ドアが開いて、黒いぴったりとしたドレスを身に纏った、怖いくらいに美しい女性が現われた。
濃い目のメイクと、生活感のまるでないデコラティブなドレスが、言葉に出来ない『存在感』を漂わせている。
ジャンポールゴルチェをベースにした香りが漂ってきた・・・・心がざわつく。
でも、そのざわつきは、好ましいものだ。
「いらっしゃい、葉月、柚里。」
「こんばんは、桔梗『様』」
葉月と、柚里が、交互にハグをする。
『様』だなんて・・・でも、そう呼ばれるのに、ふさわしい威厳と雰囲気のある女性だ。
桔梗様と呼ばれた女性が、私へと目を移す。
「桔梗様、私たちの友達で、茉莉花さんです。」
葉月が、紹介してくれる。
「茉莉花です。どうぞ宜しく」
視線が絡む。
全身から漂うオーラが、まるでそこから流れてくるような、大きな黒々とした瞳は、見る人を惹きつけるか恐れさせるかどちらかだろう。
こんな女性に会うのは、初めてだ。
弱い電流のようなものが、皮膚の下を走り抜けたような気がした。
それでいて、以前にもこうして視線が絡んだような・・デジャヴが、懐かしさとも切なさともつかない、なんだか涙が出そうな気持ちが体の中を流れていった。
桔梗様は・・・・・・・不思議で、美しくて、神々しい女性だった。
「ようこそ、茉莉花さん。茉莉花・・ジャスミン・・春の花ね。花言葉は、『優美』・・・それから、『官能的』ね。」
さらっと出てきた花言葉の説明に、私は、頬を赤らめた。
「イメージ通りだこと。さあ、どうぞ。丁度、お客様達が皆さんお帰りになられたところなの。貸し切りね。」
そう、案内された店内は、マンションの無機質な外観とは、別世界のようだった。
朱く塗られた壁に、黒い柱。
中央に大きな黒いテーブルがあり、唐草模様の大きな花瓶に、カサブランカをメインにした花々が生けられている。
4人掛けのテーブルが、8席。
どれも、光沢のある漆黒の塗りに、小さい象嵌が光を放っている。
東洋趣味かと思えば、クリムトの絵が、重厚な額縁に縁取られて、あちらこちらに飾られている。
店内に漂う香りは、トマトソースとコンソメの煮込み。
それらがあいまって、摩訶不思議な空間を作り出している。
でも、その摩訶不思議さが、心地良い。
私の肌が、そう言っている・・・
私たち以外に、客は居ないけれど、さっきまで数人居た『気配』が残っている。
カウンター寄りの、4人掛けのテーブルの一つに、3人で座る。
当然のように、二人が並んで座り、私は「あえて」柚里の前に座った。
なんとなく・・・・・・・・葉月の真正面で、食事をするという「行為」を直視されたくなかったのだ。
紫色の房のついたメニュー表を、柚里が広げてくれた。
地中海料理が中心。
アテリティブから、メイン、パスタ、デザートとドリンクがセットになった、『お薦めのコース』というのもある。
飲み物のメニューが、驚くほど豊富だった。珈琲は原産地表記まで、紅茶は会社別に種類が表記されている。
奥から、黒のドレスのウエストを、コルセットできゅっと締めた、ほっそらとした女性が、トレイを持って現れた。
トレイの上には、シャンパンバケツに水の入ったビンを沈めたものと、グラスが乗っている。
それらを、無言でテーブルの上に置く。
細面の白い顔の大きな目は、どこかうつろで、唇がぽってりと赤い。
「茉莉花、雪花ちゃんよ。ほとんどしゃべらないけれど、気にしないで。悪気はないから」
葉月が、そう言うと、雪花ちゃんは、私に視線を移し、少し頭を傾けた。
「こんばんは、雪花ちゃん」
私の挨拶にも、無言で、表情も変わらない。
でも、気分を害する事はなかった。
『そういう人』なのだ、きっと・・・・・・
「茉莉花、嫌いな食べ物はある?」
柚里が尋ねた。
もう、「茉莉花」と呼び捨てにされているのが、とても嬉しい。
あなたたちは、私にとって、産まれて初めてのお友達なのよって言ったら、変な顔をされるかしら?
だって、本当の事だもの・・・
私には、今まで友達は必要なかった。
真世が居れば良かったし、真世がいなくなってからは、一度限りのお相手が居ればそれで良かった。
誰かに固執する事が無かったのだ。
だけど今は・・・
「私は、ニンニクとか、ネギとか、匂いのきついものは苦手。飲み物は、シェリー酒を頂きたいわ」
「シェリー酒って、さらっと出るところが、なんか、茉莉花って普通の人と違うよね。それ、美味しいの?」
柚里が尋ねると、
「柚里には、少し強いかもしれない」
と、葉月が答えた。
「みんな大人だな~私は、ジンジャーエールでいいや。あと、セロリと魚介類と、辛いものはパス」
「じゃ、二人の駄目なものを外してアラカルトで頼んでシェアしてもいいけれど、面倒ならおすすめコースを頼んでも良いし。どう、茉莉花?」
「そうね・・目移りしちゃうわ」
「私、なんかオムライス食べたい」
柚里が、いきなり、メニューにないものを言い出す。
「柊を困らせないの」
葉月が、笑いながら、柚里の腕をぽんぽんと叩いた。
「あ、柊というのは、ここのシェフなの。見た目は、男性っぽいけど、ちゃんと女性だから、心配しないで」
「・・・トランスさん?」
少し声を落として尋ねると、葉月が頷いた。
「それから・・・もう、わかってると思うけれど、私たちはレズビアンカップルなの。」
それは、初めて会ったときから、想定済みだ。
衝撃は無い。
むしろ、葉月がレズビアンだという事がはっきりした事、それを告白してくれた事が嬉しい。
「私は、LGBTに偏見は無いの。ちゃんと、カミングアウトしてくれて、嬉しいわ。」
「ね、茉莉花は、絶対、そう言ってくれると思ってたよね?」
柚里が、無邪気な笑顔で、葉月の顔を覗き込んで言った。
葉月の顔が、明るい笑顔に変わるのを、一瞬、恍惚と見つめてしまった。
「これからも、よろしくね、茉莉花。それより、メニューを早く決めましょう」
「そうね」
結局、3人とも「おすすめコース」にした。
オーダーを取りに来たのは、『柊』だった。
最初に、二人の演奏を聴いたライブハウスで、受付をしていた人だと、気付いた。
白いコックの服装に、短く刈り上げた髪の毛。
背は高く、肩幅もがっちりとしていて、低い声で話すけれど、やはり女性だとわかる。
それを言われると、本人は嫌なのだろうけれども・・・
ドリンクを、雪花ちゃんが無言で運んできた。
その後ろから、優雅でゆっくりとした歩みで、桔梗さんがやってきた。
「桔梗様も、如何ですか?」
葉月が、言った。
「ありがとう。ワインを頂くわ」
桔梗様は、ちらりと、雪花ちゃんに視線を移した。
雪花ちゃんが、軽く頭を下げて、カウンターの方へ戻っていった。
暫くして、トレイに、濃い赤のワインを注いだグラスを乗せて戻ってきて、跪いた。
桔梗様は、グラスを取上げ、
「乾杯」
と言った。
照明の明かりに煌めくグラスは、バカラ製のようだった。
みんなでグラスを合わせたときの、音が違う。
その音を、とても幸せな気持ちで聞いた。
「茉莉花さん。毎週土曜日は、オフ会をしているの。宜しかったらいらっしゃらない?葉月と柚里も、来てくれる予定なの。貴女なら、きっとみんなと仲良くなれるわ。」
桔梗様は、微笑を浮かべながら、そう誘ってくれた。
葉月と、柚里を見ると、二人とも軽く頷いた。
「喜んで、参加させて頂きます。」
「このサイトに、アクセスしてみて。詳しい事は、そこに書いているから。この二人に聞いてもいいのよ。でも、出来たら、サイトも楽しんで」
跪いたままの雪花ちゃんが、捧げ持っている銀のトレーの上にある小箱から、名刺を取り出し、差し出された。
両手で受け取ると、店名と、桔梗という名前、そしてサイトのアドレスと電話番号が印刷されていた。
名刺からも、桔梗様と同じ香りがした。
「貴女の・・・その、汚れの無い瞳と、白い肌が気に入ったわ。楽しんでね。」
「あ・・ありがとうございます。桔梗様」
何か、圧倒されるような空気を感じながら、店の奥へと戻っていく桔梗様を見送った。
ゆっくりとした、でも上半身が微動だにしない、美しい歩き方と、後ろ姿だった。
「桔梗様が、あまりお綺麗だから、少し緊張したわ。私、気に入って貰えたかしら?」
「勿論だよ。でないと、名刺渡されないよ。」
柚里が、ジンジャーエールをストローで混ぜながら言った。
「ふふ。気に入るどころか、すでに『お気に入り』かもよ。」
葉月が、言ってくれた。
二人と会える『場』が増えた事も嬉しかったけれど、桔梗様に気に入って貰えたらしい・・・という事も、嬉しかった。
柊の作る料理は、とても美味しかった。
途中から、女性同士のカップルやグループが来て、たちまち店は満席になった。
葉月と柚里の顔なじみばかりで、席に挨拶に来たり、二人が席に出かけていったりしていた。
「友達になりたい人とか居たら、言ってね。あ、茉莉花は、今、恋人は?」
顔を赤くした、柚里が言った。
「柚里、ジンジャーエールで、どうして、そんなに顔が赤くなるの?」
「そうなんだよ。なんだか、お酒を飲んでる気分になっちゃうんだ。で、どうなの?」
「そうね・・・・・・もう、永久に逢えない恋人が居るの」
「え?どうして逢えないの?」
柚里は、ストレートだ。
「色々と事情があって。その人が、私の永遠の恋人なのは確かだけれど、現実にはもう逢えないから・・・いい出会いがあれば、前向きにとは思っているのよ。」
「その人は、男性?」
「女性よ」
「茉莉花も、私たちと同じなんだね」
柚里が、嬉しそうに言った。
「そう・・・・・・ここが、動けばね」
私は、そっと自分の胸を押さえた。
本当は、とっくの昔に、胸の鼓動が早くなっている事は、言えない・・・。
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