第壱節

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第壱節

白刃に月光がキラリと光る。 雲の隙間からもれた光が、一瞬の勝負を決めた。 俺は振りかざした刀を鞘に収める。 「勝負はついた。お引き取り願おうか」 俺がそう言うと、数人の男たちは捨て台詞を吐きながら逃げ去っていく。 それを見届けてから、ほっと一息をついた。 「あ、ありがとうございました!」 一本松の後ろに隠れていた頼りなげな男が、女の手を引いて現れる。 「う、うむ。まぁ、これより先は達者で暮らせ」 「はい!」 男に手を引かれながらも、女は振り返りぺこりと頭を下げた。 この先の峠を越えれば、もう追っ手は来ないだろう。 山中の木々の間に、二人の姿が消える。 「あれでうまくいくとは、到底思えんけどな」 俺はついつい、またため息をこぼす。 呆れるばかりだ。 男女の仲とは不思議なもので、何がどうなっているのやら、俺にはさっぱり分からない。 俺は女が苦手だ。 見ているだけで全身が痒くなる。 目が合うだけで胸の鼓動が早くなる。 話しをすれば呼吸が荒くなり、触れようものなら即死は免れない。 女に入れあげて身を滅ぼす野郎は数限りなくみてきたが、そんな奴らの気が知れぬ。 俺はもう一度頭を掻いた。 でもまぁいい。 今回の仕事も無事に終わった。 春になったとはいえ、夜はまだ冷える。 頼まれた仕事さえ終われば、後のことはどうでもいい。 さっさと帰ろう。 人気のない夜の江戸の街に戻り、この辺り一番の大店である万屋萬平の裏門をくぐる。 「おお、千之介殿は今宵も無事に戻られたかな?」 手もみをしながら俺を迎え入れたのは、この店の店主であり、俺の住む長屋の大屋でもある萬平だ。 「無事に送り届けたぞ」 「それはご苦労さまでした」 俺が腰を下ろすと、茶漬けと漬け物だけの簡単な食事が出される。 「まぁこれでもお召し上がりなさい」 ここまでがいつもの流れだ。俺がそれを腹に流し込んでいる間に、この狸オヤジは仕事の依頼内容を初めて説明し始める。 「表向きはあの坊ちゃんからの依頼ということになっておりますけどね、まぁそんなはした金で、遊郭から逃げようっていう奴らの用心棒を引き受けるヤカラなんておりませんよ」 萬平は渋い顔で腕組みをする。 「ですがまぁ、その後ろにうちの長屋出身の遊女さまがいらっしゃるとなれば、話しは別ですよ。頼まれたらこちらも断るわけにはいかんでしょう」 「そりゃ、金の積み方が違うからな」 俺がそう言うと、萬平はカラカラと笑った。 「そりゃそうでございますけどね、私の裏家業をこうして手伝って下さる千之介さまの身を案じてのこともございますよ」 よくもまぁそんなセリフがすらすらと出てくるもんだ。 そう思いながらも、沢庵を口に放り込む。 「どうされますか? 今夜はこちらでお休みになられてから、お帰りになりますか?」 食べ終わった茶碗を膳の上に置いた。 「そうさせてもらおうか」 いつもの奥の部屋に、一組の布団が用意されている。 俺はそこにもぐり込むと、すぐに眠りについた。 万屋の裏仕事を請け負った次の日は、そこで朝飯まで食ってから帰るのがいつもの習わしだ。 にぎやかな表口からではなく、日の高く上った後の裏門から外に出る。 浪人として江戸の街に流れ着いてすぐに、この万屋の用心棒として萬平に雇われることとなった。 表向きは長屋住まいの浪人として、笠を編んで生計を立てている。 どれもこれも萬平の提案であるから、逆らいようのない身分としては、逆らいようがない。 春の陽が温かく降りそそぐ川沿いを、のんびりと長屋に向かって歩く。 なんのツテもない流れ者の俺を、拾ってくれただけでもありがたい存在だ。 萬平は何も言わず俺を受け入れ、長屋の住人たちも同じように詮索しなかった。 俺が万屋とこの長屋の用心棒であることは、暗黙のうちに了解されている。 芽吹いたばかりの若い緑に覆われた土手の上で、子どもたちが騒いでいた。 また喧嘩をしているのかとチラリと目をやる。 その騒ぎの中に、このあたりの子どもにしてはすらりとして色の白く随分と華奢な少年が、長屋の子どもたちにからかわれていた。 「お前本当にバカだな! 井戸から水も汲んだことないのかよ!」  その少年は、どれだけ子どもたちからからかわれようとも、全く意に介していない様子だ。 「俺と相撲しようぜ! 相撲で勝ったらお前の望み通り、にぎりめしの一つでも食わせてやるよ!」 「よかろう」 向かい合って、白く細い両手の拳をしなやかに地面につく。 少年の相手は、うちの長屋で一番相撲の上手いガキ大将だ。 「はっけよーい、のこった!」 とはいえ、少年の方が歳はいくつも上であろうに、簡単に投げ飛ばされる。 見ている子どもたちは、一斉にその弱さをはやし立てた。 少年は立ち上がると、すぐに次の相撲の相手を求める。 賭けの対象はやはりにぎりめしだ。 よほど腹が減っているのか、相手に選ぶのは自分より弱そうな幼子ばかり。 「こいつは卑怯者だな!」 「さっきから自分が勝てそうな相手しか選ぼうとしないじゃねぇか」 少年の指名する子どもたちは、明かな負け試合を前に、誰も相手をしようとしない。 ついに少年は、そこにいた四つばかりの女の子をひらりと指差した。 「ならお前が私と勝負しろ。にぎりめし3つだ」 「ふざけるなよ!」 見ていた年長の子どもが、少年を殴りつけた。 不意打ちであったとはいえ、簡単に殴り飛ばされる。 それを見た男児五、六人が一斉に少年に飛びかかった。 それをつい、俺は引き留めてしまう。 「もうその辺でやめておけ」 「千さん! こいつ、とんでもねぇ性悪だぜ!」 そこまで言われても、少年には何一つ気にかける様子もなければ、苛立つ素振りもない。 着ているボロの身だしなみを整えると、真っ直ぐに顔を上げた。 「見かけねぇ顔だな。どこから来た」 「顔を知らぬのは、そなたたちの方だ。無礼者め」 「なんだとぉ!」 長屋の子どもが振り上げた拳を、俺はすぐに下ろさせる。 「まぁまぁ、ここは俺が引き受けよう」 少年は涼しげな顔で、全くの人ごとのようだ。 他人の言動は耳に入らぬように出来ているらしい。 「こっちに来い。飯ぐらいは食わせてやる」 俺が歩き出すと、少年は案外素直についてきた。 歩き方にも、独特の品がある。 馴染みの飯屋に入って座ると、すぐに女将が寄って来た。 「あら千さん、子連れとは珍しいね」 「俺のはいいから、こいつに何か食わせてやってくれ」 女将にからかわれて、顔が赤くなる。 少年はボロをまとってはいるものの、肌の色つやや所作のよさから察するに、ただの町人の子どもでもなければ、家のない子どもでもないということは、すぐに見て取れる。 「名はなんという」 「月星丸」 その返事に、台に肘をついていた腕から、ガクリと俺の顎が落ちる。 「なんだその役者のような派手な名は」 「母親がつけた名前なのだから仕方あるまい」 月星丸は、みそ汁を一気に飲み込んだ。 「お月とでも呼んでくれ」 月星丸の箸を持つ手は止まらない。 出された食事をあっという間に平らげる。 「飯代はいい。素直にうちに帰れ」 「そういうわけにもいかぬのだ」 彼は何かを探していた。 「帰ろうにも俺の家がなくなったのだから仕方があるまい。そなたは浪人であろう。ちょうどよい、弟子入りさせてくれ」 「悪いがこちらも貧乏長屋住まいでね、弟子をとるような余裕はねぇよ」 「安心しろ、そなたに迷惑はかけぬ」 月星丸はせわしなく茶碗を持ちあげ、台のうえをしきりに何かを探している。 「何をしてるんだ?」 「口元をぬぐう手ぬぐいがない」 その真顔を前に、俺はまた一つ大きなため息をついた。
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