能面顔と走馬灯

1/1

3人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ

能面顔と走馬灯

 サーチアンドデストロイ、見つけ出して殺すのだ。  あたしは何種類ものアリが入り混ざったような人混みの中からでも、彼の素敵な笑顔なら確実に、そして一瞬で見つけ出すことができる。    「ウォーリーを探せ」小学校の図書室に置いてあった。  あんなに目立つ赤と白のシマシマの服を着たウォーリーをたったの一度だって探し出せたことはない。  いつも友達とか、妹とか、の方が早く探し出せていた。そして自慢げに笑顔を見せて、あたしを心底馬鹿にするように歯を光らせていた。  だけど彼のことだけは別。  素敵な彼の笑顔だけは必ず探し出せるの。  きっとあたしだけにしかできないことだと思う。  多分、地球の外、きっと月ぐらいの距離からでも、彼を見つけだせる自信があるわ。  それはもう絶対的。  サーチアンドデストロイ。  もちろん彼を殺すなんてまったく思っていない。そりゃそうよ、だって大好きなんだもの。    その彼はいつもマクドナルドの前にいた。  いつもはちょっと嘘。  それはたまに。  たまにもちょっと嘘、でも結構な確率で、そう、そこに、彼はいた。  ウーバーイーツのバッグを背負って。    サーチアンドデストロイ、あたしはマクドナルの中にいる。  黒い制服を着て能面の様な顔で佇んでいる。  カウンターの中で、安普請のアパートの様なスマイルを作り「村上」という名札をつけていた。CよりのDカップのおっぱいの左、8合目あたり。超有名な作家みたいにつまらない名前だ。    あたしは笑っても笑った顔になんないの。  スマイル0円なんて本当に割りに合わない。  せめて120円くらい欲しい。  チーズバーガー1個分ぐらいはチップをいただきたいわ。  笑顔を作るには難しい顔の作りなの。    でもやっぱり申し訳ない。  あやまるわ。  本当にそういう顔なの。  能面みたいな、つまらない夢に出てきそうな本物の無表情なやつなの。    でも彼は違う。  あたしと違って彼はいつも笑ってるの。  友達と話をしながら笑ってるの。  カンラカラカラ、大声で笑っている。  そう、笑顔ってこういうことをいうのよ。    その笑顔の彼の横顔がとても好き。  笑うときに少し上をむくあの仕草と表情。  ホント大好き。  この感情は奇跡だと思う。  好きすぎて近づくことができないあたしを、もっともっと傷つけてほしいくらい、圧倒的存在と共に生きている今日この頃なの。  わかる?  誰に聞いているのかしら。    彼の横顔の形をした滑り台があったら、ホームレスになって、一生そこの公園に住み着いてやるわ。  毎日掃除をして、鳥もとまれないくらい、ガラスのようにピカピカに磨いて、誰にも滑り台を使わせない。  どんな可愛い子供達にも絶対にこのすべり台は使わせない。  阻止する。  ツインテールに大きなリボンをつけた可愛い女の子にも、今時珍しい丸坊主の男の子にも絶対に滑らしてやんない。  PTAがどんなけ問題にしたって、自治体が動いたって、警察が動いたって、要請を受けたFBIが動いたって、その滑り台は渡さないんだから。  絶対に絶対的にすべり台はあたしのもの。  そう。  そうなの。  ・・・・・・・。    そんな妄想タイムが余裕でできるくらい今日は暇。天下のマクドナルドか聞いて呆れるわ。    そんな時カウンターに立っていると自動ドアが開いて、突然彼が店に入ってきて、イケイケどんどんと彼が迫ってきた。  妄想じゃなく本物だとわかると、あたしはどんどん能面顔になる。  「巨峰シェイクのMサイズください」彼の声。  「他にご注文はありませんか?」あたしの声。    ああ、なんてつまらない会話なの?  でも、なんでこんなに胸がときめくのかしら、能面を通り越してスポーツブラみたいなあたしの無表情な顔を叩き潰してほしい。  カッターナイフでぐちゃぐちゃに切り裂いて欲しい。  痛みのない愛なんて絶対にないんだから。  でも、なぜ彼はこんなに・・・。  あぁ、シェイクを飲む口をすぼめた横顔も素敵。  この横顔の滑り台を滑り落ちた先に巨峰シェイクの海があって、あたしはその中に溺れるの。  そして口をすぼめた彼に吸い上げてもらいたい。    そして初めてのキスをするの。  きっとその時にはあたしの能面顔も薔薇やひまわりやかすみ草やガーベラとか、もしくはタンポポみたいに、人に愛を与える花のような笑顔になるわ。    でもなんで神様は、あたしの目の前に彼をおいて、何もできないあたしの心を弄ぶのかしら?  こんな恋は地獄よ。  きっとそうなんだわ。  地獄よ。  天国のような彼の横顔を見ても、あたしには何もできない。  なーーーーんにも!!  取り乱すわ!  ちくしょーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!  でも、表情はピクリとも動かない能面顔のあたし。  バイトを終えて自宅に帰るといつも思う。  「あたしはなんで、こんな男と暮らしているのかしら?」と旦那のシーサーみたいな寝顔を見ては、お昼に食べたチーズバーガーを吐きそうになって同じベッドに寝る毎日。  結婚も2度目。  あたしはまだまだ若いし、可能性が青空いっぱいに広がっているというのに。  この退屈を安定って言うのね。  きっとそう。  安定。  ずっと交わらない線路のようなもの。  完璧な平行線をたどるような夫婦生活。  嫌いじゃない。  でも嫌い。  だって好きな人がいるんですもの、旦那を嫌いって言わないと、心がうまく釣り合わないじゃない?  あたしには彼がいるの。  ほんの少しの行動で、何かは変わるわ。    きっとそう!!!    あたしは夏も終わろうとしているのに肩干物の細いワンピースに着替えて、家を飛び出した。  天気予報は曇りのち雨。  あたしはお気に入りのビニール傘を持ってマンションをでた。  レモンの絵柄がとてもすっぱくて可愛いの。  バイトは休み。  でもバイト先、マクドナルドの前に出向く。  きっといつものように彼は誰かとマクドナルドの前で立ち話をしているに違いない。    ただ彼はいつもあそこで何をしているのかしら?  それは謎。  謎のままでいい。  え?  嘘?  あたしに会いにきているの?  えーーー???     いやいや、そんなわけはない。  危ない危ない。  自ら恋の罠にハマって行くところだったわ。  マクドナルドの看板が見えてきた。  いた!  彼がいた。  ほらやっぱりこんな人混みの中でも簡単に彼を見つけることができる。  I CAN FLY!!!!  トビウオになって空に向かって飛びたい気分!!!  もしかしたらあの空に届くかも?!  トビウオはなぜ進化の過程で鳥になることを諦めたのかしら?  こんなゴミゴミとした都会のマクドナルドの前でも彼は輝いていた。  日に焼けた肌は誰よりも美しくあたしの目には映った。  ブラックダイアモンドみたい。  つやつやした羽のカラスみたい。  カーディーラーに飾られているランボルギーニカウンタックみたい。  ああなんでもいい、黒く光っていてくれれば。  あたしは彼の前をただ通過しようと試みた。  彼のためではなく、その先にあるジュンク堂書店に向かう気分で。  悟られるわけにはいかないわ。  たまたまここを通るの。  マクドナルドの前を。  曇り空の下、できるだけゆっくり歩いて、マクドナルドの中を気にしているふりをして歩くの。  偶然を装って彼の眼前。  そしてキョトンと目と目があってこう言うの。    「子供のころ滑り台の下で雨宿りとかしましたよね!?」  あーーばかばか!!! 能面顔でそんなこといきなり言われたらドンびくにきまってるじゃない。  あたしは能面顔のすっとこどっこいだよまったく!  落ち着いて、彼はすぐそこよ。  カームダウン。  ビーケアフリー。  テケナイージー。    AKB総選挙の演説でもここまで緊張しないはず。  口から飛び出た心臓が地面を引きずっている。  これはもう死よ。  お父さんお母さん先立つ不幸をお許しください。    嗚呼、彼の横顔が近ずいてくる。  そろうりそろうり、そろうりそろうり。  あたしはつま先からお風呂に入るように歩いた。  ものすごく熱いお湯の。  絶対に背中を押してはダメよ。  あたしのペースでゆっくり歩くの。  そろうりそろうり。  そんなあたしの気持ちはあずかり知らぬと言わんばかりに彼は突然だった。  「あ! 村上さん! 今日はおやすみなんですね! 私服じゃないですかぁ、ワンピース似合いますね」  「ワンピース似合います? え?! はい! あ!? そうなんです。ええ、あ、失礼します」  ばかばかばかばか!!!  なんであたしは逃げてるの?  あんな綺麗なトス、バレー部だった時だって、もらったことないわよ!  馬鹿すぎるあたし!!  バカバカバカ!!!!  夏の大会で大負け。  そして後輩たちに見送られバレー部を引退する。  ため息も出ない秋をむかえる。  冬になってようやく出たため息は真っ白。  今のあたしの頭の中はその真っ白なため息が充満してて、さらに耳から吹き出しでハテナマークが雲みたいに浮いているわ。  あたしはマクドナルの入っているビルの中に逃げた。  非常階段をうさぎ跳びで11階まで上がった。  羞恥心と罪と罰の十字架を背負って、ぴょんぴょん上がった。  嘘よ、本当は2階までで、途中からエレベーターを使ったわ。    あれ? 思い出した。  あたしソフトボール部だったわ。  やれやれ、さぁさっぱりだわ。  記憶違いもはなはだしいったらありゃしない。  ビルの屋上にはなぜかすんなりと入り込めた。  この国のセキュリティーは確実に甘い。  だからいい国なのね。  日本って。    あたしはパノラマに広がる街を見渡した。  ヒロヤマガタの絵みたいな街の風景。  中日ドラゴンズの優勝パレードみたいな人混み。  山下達郎の音楽が聴きたい。  八神純子でもいいわ。  お父さんの好きだった曲、パープルタウン。  お父さんは田舎育ちだから都会にすごく憧れていたの。  そうね、八神純子にするわ。    今日、私服で彼の前を歩くと言う偉業を成し遂げたあたしをこの人混みが祝ってくれている。     そうやって思うことにした。  思い込みだけは誰にも負けないくらい強いんだもの。    強い風を感じると、ポツリポツリ屋上に雨のドッド柄が点き始め、一瞬で大雨になった。  でも安心、あたしにはレモンツリーがあるの。  この傘をひらけばほらもう濡れないわ。  少し風が吹いてサンダルから出ているつま先が少し濡れるくらい。    それより見てこの人混み。  「うおーーーーー!!!! 馬鹿野郎!!!!!!! 大好きなんだよーーーーーーー!!!!!!!!」  ついつい叫んじゃった。  しまっていこう!!!!  とグランドで叫んだ時以来の大声だ。  雨音混ざりの街の雑踏があたしの羞恥心をかき消してくれた。  罪と罰はそれでも残っている気がするけど。  そうそう、あたしはソフトボール部でキャッチャーだった。  キャッチャーマスクで能面顔を隠すことができたのが幸いして、なぜか果てしない自身が持てた。  人生のピークはあそこだったかも?    レモン柄の傘をさして、人混みを見下ろす。  「いた」彼は真下にいる。  真上から見ても彼は素敵。  上を向いて笑う彼。  こちらに気がつかないのかしら?    ああ、しかしなんて日かしら。  雨、レモン、風。  夏が終わろうとしている。  ビルの屋上。  街の雑踏。  人なんてもうただのゴミ。    このまま小さくなって、傘をパラシュートにして彼の頭の上にふわりと飛び乗って横顔を滑り落ちたい。  あたしは目をつぶった。  スーハーと深呼吸。  ビルの端っこに立って、傘をさして、妄想と言う名の甘い甘いシェイクを飲み干すの。  少し笑顔が作れたような気がした。  「あたし、どうやらしあわせみたい」  だって涙も出ない。  その瞬間、突風があたしを襲った。  巨人に叩かれたみいにあたしはバランスを崩し、足を滑らしビルから落ちた。  傘はパラシュートにはならず、ひっくり返りもせず、偶然にもそのまま閉じてしまった。  槍を持って突撃するみたい、真っ逆さまに落ちていくあたし。    エディットピアフの愛の讃歌が聴こえる。  パラパラ漫画みたいに過去の記憶が蘇る。  きっとそう、これが走馬灯。  故郷の山々。  晴れ渡る青空。  餅のように伸びていく入道雲。  ナスやきゅうりの漬物をつける母親。  妹と手を繋いで歩く幸せそうな父親。  世界中を覆い尽くすような初めて見た大きな花火。  縁側の陽だまりでスヤスヤ眠る猫のチー。  河原で遊ぶ友達たち。  あたしは手を振って、ここだよーって叫ぶ。  能面顔とあたしを指差して笑うチームメイトたち。  飛びかう赤とんぼ。  初恋の相手の大好きだった近所のお兄ちゃん。  処女は小6の夏に彼に捧げたの。  子供の頃、公園の滑り台の下で一緒に雨宿りをした。  その時からの恋。  思い出は宝物ね。  そう言えば彼はお兄ちゃんに少し似ているのかも?  最後に見えたのはシーサーみたいな寝顔の旦那。    なんで旦那?  嫌いなはずなのに。  ビルから落ちたおかげで生まれて初めて、あたしは新聞の記事になった。  「昨日、〇〇市○◯区の11階建てのビルの屋上から女性が転落しました。女性は偶然ビルの下の路上で立ち話をしていた男性に激突し、奇跡的に命を取り止めましたが、下敷きになったその男性の頭には女性が持っていたと思われる傘が刺さり頭から頚椎に向けて貫通したということです。男性は前代未聞の大重体で未だ意識は戻っていないとのことですが、命に別状はなく病院では傘を安全に取り除く方法を検討中とのことです」。  サーチアンドデストロイ、見つけ出して殺すのだ。  でも殺すわけなんてない。  ホント大好きなんだもん。   
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加