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墓参りを終えた満光は、車に乗り込んでエンジンを掛けた。聴きなれたBGMが耳に入って来ると同時に、腹部にも異変を感じていた。
「腹、減ったな」
空腹である。満光が車内の時計に目をやる。時刻はお昼を示していた。たまの連休を利用しての帰省では、やはりゆっくりと過ごしてしまうものであった。満光が起床したのは10時頃であり、母の美津子はすでに働きに出かけていた。
コーヒーを二杯飲んだ満光は、近くのスーパーで花を購入してから、父晃弘の墓参りに訪れたのだ。そのために、まともな食事を摂っていない。空腹を感じるのも当然であった。
霧峰山を出たところにあるハンバーガー店でテイクアウトでもしようか、そんなことを考えつつ、満光は車を発進させた。
天霊寺を出ようと、車道の左右を確認する。こんなところに来る人は滅多にないが、たまに車が通過するので注意が必要だった。
ふと満光は正面に目がいった。車道を挟んだ天霊寺の向かいに、青い屋根と白い外壁の建物がある。崖っぷちに張り出した棚に作られた建物と駐車場。その入り口には、子どもの字だろうか、天空のレストランという看板も立てられていた。
何故か満光はそのレストランに惹きつけられた。麓の市街地に下りたとしても、どのお店もお昼時で混雑しているに違いない。満光の頭にはそんな考えが過ぎり、眼前の空の駐車場へ車を乗り入れた。
「こんなところにレストランなんて、絶対儲かってないだろ」
そんなことを言いつつ、満光は車を下りた。駐車場からも、市街地が見渡せた。この日の天気は快晴で、景色がひと際鮮やかに映る。
満光はドアノブに手を掛けた。サムラッチハンドルタイプの、やや古風なドアノブである。スイッチを押し込んで手前に引くと、蝶番がキイ、という音を立てた。木製の扉がゆっくりと開かれ、赤い色のカーペットが満光を出迎えてくれる。
内部の様子を窺うように、満光は店内に入った。満光が想像していたのは、内装の古い昔ながらのレストランだった。だが、目に入って来たのは、テーブルも椅子も、そして壁も温かみのある木製でできた、少しほっとする空間だった。
十組のテーブル席があり、そのうちの四つは窓に面していて、外では市街地が一望できる。夜に訪れれば、さぞかし美しい夜景に出会えるだろうことは、想像に難くない。
カウンター席はなく、代わりに奥の壁に空いた長方形の穴から、キッチンが見通せた。
どうすればいいのかわからず、満光が突っ立ていると、ひと際元気な声が店内に響いた。
「いらっしゃいませ~」
身長140センチほどの可愛らしい女の子が、小走りに駆けてきた。地毛なのか、それとも染めているのか、光に透けて茶髪に見えるショートボブの髪。丸い瞳と丸い輪郭が、余計に可憐さを際立てる。紺色の服に、黄色いエプロンを身に付けている。
ぺこりとお辞儀をした少女は、まるで陽だまりのような笑顔をにこりと浮かべた。満光も思わず破顔一笑になるほどの微笑みだった。
「お客様、一名ご案内します」
少女は満光を窓際の席に連れてきた。見た目が堅そうな木製の椅子だが、敷いてあるクッションの影響なのか、臀部を包み込むような柔らかい感触であった。
少女は一度キッチンへと消えたが、すぐに戻ってきて満光にミネラルウォーターを差し出した。
「あ、ありがとう」
満光がコップを手にすると、少女ははにかんだ笑みを見せる。仕草ひとつひとつが愛らしい少女であった。
ミネラルウォーターを口にした満光は、なんとなく窓の外に目をやった。市街地が広がる壮観な光景は、見ていて飽きない。だが、そんなゆったりとした気持ちを、空腹が急かす。コップをテーブルに置いた満光は、あることに気が付いた。
メニュー表が見当たらないのだ。ファミリーレストランでも、ウェイターやウェイトレスが、お冷と一緒にメニュー表を持って来るが、先ほどの少女はミネラルウォーターしか持ってこなかった。代わりにあるのは、「お食事のご提供までに、しばしお時間をいただきます」という、空腹を促進する文言であった。
満光が先ほどの少女を呼ぼうと、首を後ろに向ける。だが、少女の姿はない。とはいえ、このまま待ち続ける訳にもいかない。
「すいませーん」
満光がキッチンに向かって呼びかけると、2、3秒ほどの間を置いて、ひとりの男が姿を現した。
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