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「デートとか久しぶりじゃない?」
我ながらはしゃいでいる。
一歩前に出てクルリと振り返れば、恋人という関係抜きにしても見た目の良い凛空がポケットに手を突っ込んだまま呆れるように言った。
「お前が休日出勤するからだろ」
「あー、そうだったね」
それに苦笑するも浮いた気持ちが落ちることはない。
後ろに手を組んで振り返ったまま沙菜は苦笑を笑みに戻した。
「凛空の方の仕事は? 順調?」
「あぁ、まぁな」
小さく頷く凛空に「そっかそっか」と何度も頷く。
凛空はアパレルのショップスタッフだ。
見た目も良く、コミュニケーション力が高い彼にピッタリな仕事だと思う。
「デザイナーの方はどう?」
だが彼が本当にしたい仕事はデザイナーだと聞いていた。
「んー。ぼちぼち」
「前に知り合いと繋がり持てたから一緒にデザイン考えられるかもって言ってたよね?」
アパレル業界がどんなものなのか沙菜は知らないが、デザイナーなんて簡単になれるものではないだろう。
以前学校とか通うの? と聞けば、お金が掛かるから貯まるまで通えないとも言っていた。だから沙菜は家に来る時はこちらが食費も持っている。少しでも夢への道の足しになったらいいと思っているのだ。
「それはそれだよ」
「…………」
だが正直、なる気があるのだろうかと思う時がある。
以前その夢を語った凛空はすごくキラキラしていた。それこそ真っ直ぐに見えたし、それを追うのが楽しそうだった。
沙菜も名前のある会社に勤めたくて勤め始めたから、同じ気持ちを抱いていると思った。
しかし全くの進展なしに加えて浮気。思うところは沢山ある。それでも。
「俺のことはいーから。沙菜は沙菜の仕事を頑張りなさーい」
振り返り前にいる沙菜の頭に手を乗せて、ぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。
「ちょ、ちょっと!」と怒るも、凛空は楽しそうに笑い、今度は髪を整えるように梳いてくれる。
(この温かさは手放せないんだよね)
目を細めて微笑み、その手を両手で触れ、それから片方の手で掴んでそのまま手を繋ぐ。
えへへ、と笑えば凛空も少し呆れるように、けれど笑って握り返してくれて、二人はそのまま歩いて行く。
そこで沙菜は、そういえば、と結婚式のことを思い出した。
今なら凛空も機嫌が悪くなさそうだし、話してみても大丈夫じゃないだろうか。
ちらりと視線を向ければ、「ん?」と凛空はこちらを見つめ返してくれる。それに後押しされるように、よしと頷き、「あ、あのね」と話し出した。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「どした?」
「今度ね、親友が結婚式するんだって」
心臓がバクバクと大きく脈を打つ。周りにも人がいるのに、全然音が聞こえない。まるでこの世界に自分と手を繋ぐ凛空だけになったかのようだ。
「それで、凛空も一緒にどう? って聞かれたんだけど」
どうかなと聞く。
繋いだ手が無意識に強くなれば――逆に凛空が握る力が弱くなった。
「あー、無理だわ」
その返事に落胆と、けれどやっぱりという気持ちが混ぜ合わさる。あれだけ激しく脈打っていたというのに今は凍ってしまったかのように静かだ。
「そういうの嫌いだからさ」
「そ、っかー」
なんとか笑みを浮かべて返す。
もう繋いだ手が離れそうだったけれど、沙菜はその手を放さずにまた言葉を重ねる。
「お母さんも彼氏を一度家に連れてきなさいって言っててさー」
縋るような思い。背中に汗が流れた。
「へー」
「まぁ実家も遠くないし、一日あれば行き帰り出来るし」
「うん」
「もちろん凛空と私の仕事が休みで、忙しくない時とかさっ、どうしても休みが合わないんだったら平日私有給取るしっ」
「取れんの?」
「それは、分かんない、けど」
「無理じゃね?」
冷たく言い放たれる。
休日出勤までしていた沙菜を見ていた凛空からしたらそう思うだろう。でも、『今度行こうな』とか、そんな一言でもいいから欲しい。
「でもさっ」と、繋いでいない方の手は握り拳をつくり、立ち止まる。けれど凛空は止まらなかった。
「あ……」
手が離れる。
彼の手はポケットに戻って、前を向いたまま不機嫌そうに沙菜の名前を呼んだ。
「さぁーなぁー」
こうやって凛空が名前を呼ぶ時は大抵甘えてる時が多い。けれど機嫌が悪くなってこちらに苛立ちをぶつける前もこのように呼ぶときがある。
今はどちらなのか、考えるまでもなく分かる。
「別に会う必要ないよねっ!」
出来るだけ明るい声で。置いて行かれた距離を一所懸命詰めながら、小走りで凛空の背中を追いかけた。
近くまで戻った沙菜に差し出される手はない。その手は後ろポケットに入れていたスマホを取り出し、それを操作し始める。
もうこちらと会話をするつもりもないようだ。
なんとか機嫌を直してもらおうと思い、なにか話題を探すも何もない。凛空の好きなブランドのことをそれこそ付き合いたてはチェックして彼と楽しく話そうと思っていたけれど、仕事の忙しさと浮気をされたことによってそれをすることもバカらしく思えてやめてしまった。
共通の趣味もないし、だからといって凛空がこちらの好きな話を聞いてくれるわけでもない。むしろぺらぺらと自分の好きなことを話し出したらより不機嫌になってしまうだろう。
沙菜はただ黙ったまま彼について行くことしか出来なかった。
「あ、悪ぃ沙菜」
一緒に行く予定の凛空の好きなブランドショップの前で彼は振り返った。
ギクリと身体を固めれば、恐れていた言葉を彼は言った。
「ちょっと用事できたわ」
「えっ、でもっ、もうお店も目の前で……」
一周見て回るだけでも、と言おうとしたが凛空は「悪ぃ悪ぃ」とスマホの画面を見たまま笑って謝る。
「なんか時間掛かりそうだし、今日はお前の家も行かないわ」
「そんな……」
「じゃあなー」
そのまま顔を上げることもせず、駅の方向へと行ってしまう。
「凛空!」と名前を呼ぶも、振り返ることも、手を挙げることもしない。あくまでスマホを見たまま、沙菜から離れていく。
きっと香美のところに行くのだろう。結婚なんて面倒くさい話をしたから。
謝ればいい? もうそんな話はしないと今度こそ本当に縋ればいい?
けれど何も出来ないまま、沙菜は凛空の背中を見送る。
(やっちゃったなぁ)
小さく息を吐いて肩を落とす。
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