⑥『わかんないよっ』

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⑥『わかんないよっ』

「今日、なんか課長怒ってるっぽくないですー?」  休憩室で昼食を取りながら香美が言った。  並べられているテーブルにそれぞれがお弁当やおにぎり、カップ麺などを広げ食べている。先程沙菜抜きに買い物に出掛け、買ってきた食後のデザートも傍らに見せ付けるように置いていた。 「あ、分かるわー」  香美の言葉に、そこにいる女子グループが皆頷いた。 「なんかピリピリしてるかも」 「笑顔なことは笑顔なんだけどねぇ。静電気纏ってる的な?」 「新しい体制のサポートが大変なんじゃなぁい?」  遠回しで沙菜が仕事が出来なくてフォローに入っているから機嫌が悪いのだと指摘する恵梨佳。だが沙菜は特に何も言うことはしない。  言ったところで彼女たちは聞く耳を持たないし、聞いたとしても嫌味で叩き潰されるだけだと学んでいる。  何も言わない沙菜がつまらなかったのか、他の女子が「でもさでもさっ」と話を戻した。 「やっぱイケメンじゃない?」 「あ、それ私も思いました」 「分かるわぁ」  沙菜以外の皆が「だよねー!」と騒ぐ。 「ピリピリって言ってもクール的な?」 「どんな姿でも目の保養よね~」  優しさの中にもスパイスは必要。  甘いものを食べた後はしょっぱいものを食べたくなる原理と同じだと彼女たちは笑う。だが沙菜ただ一人だけは、いやあれはそんな簡単なものではないと思っていた。 (結構、いやヤバイくらい不機嫌だよ、あれ)  出勤前にコンビニで買ったおにぎりを齧りながら内心で呟く。  ピリピリ? クール? そんな生易しいものじゃない。あれは極寒のブリザード。上っ面を剥がしてしまえば人を精神的に殺せるようなことを平気で言いそうだ。  昨日の休みの日。皇に告白された。  振られたから機嫌が悪いのだろうか。そう思うのはさすがに自意識過剰ではないかと思うけれど、それでも今日の朝、すれ違い顔を合わせて挨拶をした時の自分へ向けた絶対零度の笑みは、自分に対しても怒っていると思わざるを得ない。思い出しただけで恐怖が全身に走り、冷や汗が垂れそうだ。  けれどそんなことを毛頭知らない、否、分かっていない彼女たちはどこまでも楽しそうに彼に夢を抱く。 「たとえ不機嫌であっても指示とか的確だし、当り散らさず優しいし? 年下とは思えない」 「てか、彼氏にするならああいう男がいいよね。顔良し、性格良し、器量良し、給料も良し!」 「今の彼氏から乗り換えたいな~」  その話に沙菜はビクリと肩を揺らす。まるで自分の気持ちを吐露されたような気持ちになった。  振ったことに対して罪悪感はない。自分を助けるために上司になって戻ってきてくれたからといって簡単に心を動かされるほど、ついた傷は浅くないし、凛空に対して薄情なことはしたくない。  それでも揺れる心があるのは確かだ。  けれどここにいる彼女らにそれを相談するなんて言語道断。告白されたことを言うつもりもなければ、実はあれかなり怒っているよと教えるつもりもない。  以前後輩だった皇に対して、彼女たちの前ではノータッチでいたい。  口を開かず黙ったままでいれば、香美が声を掛けてきた。 「綾辻さんの彼氏はどうですかぁ?」 「え?」 「最近彼氏の話しないなーって思って」  それは貴方がいちいちマウント取ってくるからだ! と言えたらどれだけいいだろう。でも別に凛空を取り合いたいわけでもないし、女のドロドロした戦いなんてもってのほかだ。  凛空にとってどちらが本命なのかは分からないが、浮気相手だと知っている自分に毎回こうやって声を掛けてくる勇気は呆れを通り越し、凄いなぁと感心する。  ここで私の方がマウントを取り出したら彼女はどうするのだろう。 (まぁ、そんなことしないけどさ)  沙菜は「んーと、そうだね」と無難な言葉を探した。 「課長とは少し違うタイプの人間かな。でも優しい人、だと思う」  だと思うと付けた時点でそう思っていない自分もいることを改めて認識する。 「結婚とかは考えてないの? 実はプロポーズとかされてたりして!」  恵梨佳が楽しそうに会話に入って来たのに対し苦笑した。きっと香美から凛空の話は聞いているだろうに。けれどそんな彼女たちに慣れてきている自分が一番怖い。 「うーん、その気はないみたい」  丁度昨日結婚の話で怒らせたばかりだ。  もしかして香美に凛空が愚痴って知っているのかもしれない。だからそのネタで彼女ら二人は自分で遊ぼうとしているのかも。 (ほんと、性格悪いなぁ)  ここまでくると先程の感心までも通り越し、笑えてくる。  でも人間は脆いもので、たとえ慣れたといえど傷つけば血が出るし、痛くないからといって出血を止めなければ死んでしまう。  傷つくのに慣れるもなにもないのだ。 「でもそれって綾辻さんが悪いんじゃないですかぁ?」  その証拠に、香美の言葉が胸を抉る。 「結婚したいと思わせる魅力が無いんですよ」  それに興じて恵梨佳も「確かに~!」と笑った。 「沙菜ちゃんって一人で生きていけそうな感じだし、守ってあげたいとか、一緒になりたいとか思わないかも~」  その言葉に他の女子もクスクスと笑う。  今の時代、女性だってバリバリ働く人だっている。結婚が全てではない。そう思うけれどこうも真正面から言われると痛む心はあるわけで。  もしかしたら凛空もそんな風に思っているのかなぁとか。  もっとか弱くて可愛い女の子だったら、上司になるうんぬんより前に傍にいて支えてくれたのかなぁとか。  全部全部、うまくいかないのは結局自分のせいで、仕事のことは関係ないのにそれらも含めた全てが、私が私であるのが悪いのだと思えてしまう。 「あー、そっかぁ、そうだよねぇ」  守られるような弱い女になりたくなんかない。私は一人で立っていられるし、むしろ私が支えてあげる人間になりたいの。  そう言い返せたら強い女? 憧れるキャリアウーマンっぽい?  でも残念ながら、私はそんな人間じゃない。  身体を重ねるひと時の熱に溺れて甘える、どうしようもない女だ。 「うん。そうだねぇ」  へらりと笑う自分はどこまでも情けなくて弱い人間なのに、守ってあげたいと思われないのならば、私はこのまま躓いているしかないのですか?
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