⑥『わかんないよっ』

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「はぁー……」  家に着くなり、そのままベッドに倒れ込んだ。  カバンも枕元で倒れ、口の開いた中が暗くこちらを見つめている。それを見つめ返し、手を伸ばして中を探って取るのは何の連絡も入っていないスマホ。  タップを繰り返し、画面に出た凛空の名前を眺め、一度深呼吸をしてからまたタップする。そのまま耳に当てれば相手を呼び出すコールが響いた。 「…………」  だがそのコールが止まることはない。  プルルルル、とワンフレーズの電子音から沈黙し、またプルルルルと彼を呼ぶ。だがまた沈黙して、再び相手を呼ぶけれど、それでも彼は応えてはくれない。  当たり前だ。今は浮気の真っ最中。わざわざ電話に出ることはしないだろう。こちらには仕事だと偽っている手前もある。  沙菜はしばらくそのままコールを聞き、なんとなく気が済んだ頃にやっと耳からスマホを外してタップした。  ブツンと切れた相手のいない電話はそのまま待ち受け画面へ戻り、また誰からの連絡もないことを教えてくれる。こういう時に公式からLINEがくればいいと思うも、それはそれで空しいだけか。  ふと、またカバンを見れば、貰った缶コーヒーが転がったのか頭をほんの少し覗かせていた。  あの時、もし皇の手を取っていたら今ここでひとりぼっちじゃなかったかもしれない。上司になって助けに戻ってきてくれたのならば、こちらが求めれば慰めてくれるだろう。  でもそんな風に彼に甘えちゃいけないと思った。  裏切られたと勝手に勘違いしていたのに、真実を知ったからといって凛空にしたようにただ甘えるなんて許されることじゃない。その手を掴むならば、凛空との関係をどうにかしてからだ。 「別れた方が、いいのかな」  綺麗さっぱり関係を切って、罪悪感なく皇の方へ行く。これなら誰にも文句言われないだろう。でも本当にそれでいいの? それで大丈夫なの?  もしかしたらまた皇はどこかへ行ってしまうかもしれない。あんな気持ちを味わうのは二度とごめんだし、そうなったらもう二度と立ち上がれないだろう。  ならばこのままの方がいい。浮気されていたって凛空はいる。家に来て、心が込められていないとしても言葉をくれて慰めてくれる。  今の自分には支えてくれる人が必要だから、たとえ明るい未来が待っていなくとも、ズルズル関係を続ける方を選ぶ。  仕事も嫌味も、全部飲み込んで、時折皇に助けてもらいながら、凛空に慰めてもらえばいい。 「ふふ、なにそれ」  沙菜は小さく笑い、親指で缶コーヒーをなぞる。 「そんなの、いいわけないじゃん」  零れた涙は重力に逆らうことなく、横になった状態で流れ落ちていく。次から次へぼろぼろと零れ落ち、喉が引きつった。 「ぜんぜんよくないっ」  缶コーヒーを胸の前で抱きしめ、枕に顔を押し付ける。  このままでいいわけない。こんなのただ辛いだけ。  掴んでくれる手を見てみぬ振りして、掴もうとしている手はすり抜けてしまう。そんな状態が続くなんて、耐えられない。だからといって、掴んでも全てを失うかもしれない手を選ぶことだって出来ない。 「わかんないよっ」  強さの定義なんて知らないけれど、私は弱くて情けなくて、どうしようもないほど何かに縋りつきたくて。 「どうしたらいいのか、わかんないよっ……!」  助けて欲しいという心の叫び声を聞きながら、眩しいくらいの強さを放つ缶コーヒーを抱きしめて、沙菜は久しぶりに声を上げて泣いた。
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