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⑦(でも、ありがとう)
「来月っしょ? 親友の結婚式」
一糸纏わぬ姿で同じベッドの中。
凛空に背中を向けてうとうとしていれば、急に声を掛けられパチリと目を覚ます。
その目は先程まで生理的な涙を流していたといえど腫れるほどではない。先日声を出して泣いた時も少し瞼が重たいくらいでそこまで腫れなかった。
「そうだけど」
身体ごと振り返り答える。
急にどうしたのだろう、というより彼が穂稀の結婚式の日を覚えていたことが驚きだ。確かに式の時に着るドレスは用意した時に『なにそれ』と聞かれ、結婚式について改めて説明したけれど気に留めていない様子だったし、むしろ聞きたくないものだと思っていたから。
「二次会あんの?」
「んーん、しないみたいだよ」
「じゃあ終わるの夕方頃だな」
自分の前髪をかき上げ、横になったままこちらを向いて頬杖をつく。沙菜は凛空を見上げる形になった。
「帰りなら迎えに行くけど」
「ほんと!?」
まさかの言葉に驚き声を上げれば、凛空は「まぁそれくらいは」と笑った。
「終わったら連絡しろよ。一応その頃には近くにいるようにするから」
「うんっ、ありがとう!」
もう凛空と結婚の話はタブーだと思った。
説明をした時だって、出来るだけ簡潔に、どうでもいいことのように話した。だがどうやら沙菜が思っていたよりも拒絶しているわけではないらしい。でなければ迎えに行くなど言わないだろう。
沙菜は素直に嬉しく喜んでいれば、凛空の手が頬に触れる。
優しい感触に目を閉じれば唇が触れ合った。それを受け止めていれば頬に触れていた手がどんどん下がっていく。
明日も仕事だ。出来ればこのまま寝てしまいたいけれど、迎えに来てくれるという喜びに、まぁいいかと拒絶しない。
その手は動かしたまま凛空はふと、「そういえば」と聞いてきた。
「最近帰り早くね?」
「あー、ちょっと仕事の体制が変わってね」
「ふーん」
向こうから聞いてきておきながら興味がなさそうな返事。理由なんてどうでもよかったのだろう。ただそう思っていたことを口にしただけ。
凛空にしたら何てこと無いことだったかもしれないが、沙菜の胸の中にモヤが広がる。
浮かび上がってきそうな彼の存在。
それを消したい一心で目を開いて凛空を見る。だが視線が交わることはなく、彼の明るい髪の毛だけが視界に映る。
「凛空」
名前を一言呟くように呼ぶけれど、彼は濡れた音を返すだけ。
(求めすぎちゃダメ)
結婚式が終わったら迎えに来てくれる。それだけで十分ではないか。それ以上の優しさを求める必要などない。ましてや今、彼のことを思い出す必要もない。
凛空が与えてくる熱に集中しようと思うけれど、まるで上辺の熱さをなぞっているだけのようで溺れることが出来ず、快楽にみせかけた溜息を吐く。
(あ、そういえば)
背中に回すことはせず枕を両手で握り締め、首を回した先に見えたスマホで気が付いた。
(私、まだ穂稀に結婚おめでとうって言えてない)
親友の結婚報告に驚きと焦りで祝福するなんて気持ちが湧かなかった。
でも帰りに凛空が迎えに来てくれると思っていれば、少し心に余裕が出来るかもしれない。
結婚当日に『おめでとう』と笑っていえたらいいなと思いながら、目を閉じる。もうこれ以上の考え事は不要だ。
沙菜は与えられるそれを必死に愛情だと思い込んで、一つも逃さぬよう空虚な天井に両手を伸ばした。
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