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そのまま昼休憩となり、意気揚々と皆が外出を始めた。
いつも一緒に休憩室で食事を取る女子グループも皇の言葉に喜びのまま出て行ってしまい、沙菜は一人ポツンと置いていかれた。
恵梨佳が率いるグループだ。皇がカバーしてくれたといえど、もしかしたらこちらに苛立ちを感じているのかもしれない。全て自分の責任だというのに。
(でもまぁいっか)
また変に嫌味を言われたりマウントを取られたりするよりも、こうやって放っておいてくれた方がまだマシかもしれない。
どこかホッとした沙菜は椅子に座り、背凭れに寄りかかった。
「お疲れ様です」
一緒に出て行ったと思った皇が戻ってきたようで、そう声を掛けて沙菜のデスクに缶コーヒーを置く。
今日は自分の分も買ってきたようで、もう一つ持っていた缶コーヒーを音を立てて開け、それを親指と人差し指で摘むように持ち差し出す。
「あと、おめでとうございます」
それに沙菜も仕方なしにデスクに置かれたものを取り、開ける。そして「ありがとうございます」とぶつけ合った。
少し鈍い音が二人きりの社内に響く。
「大丈夫だったでしょう?」
一口飲んでから言う皇に、沙菜も口を離して睨みつけるように返した。
「今だから言えるんでしょ」
「自信あったし」
ふふん、と満足げな彼にフンと視線を逸らす。もう一口飲み込めば、今日は甘ったるく感じるそれが喉を通っていく。
「あと後沢さんのことだけど」
沙菜のデスクに背を預けて言った。
「先輩がちゃんと平等に仕事を割り振っているのは知っていますから。あの場で彼女だけを叩くのもあれですからね」
「……うん」
沙菜があの場で何を言っても無駄だと思ったように、皇も周りを見た判断だったようだ。
だが守矢には勘違いされたままだろう。取引先を減らされたとはいえ、恵梨佳もまた仕事を押し付けてくるに違いない。それでもあの場を丸く収めてくれた皇には感謝しなくては。
「まぁ、あの女をこのままにしとくつもりもねぇけど」
お礼を言おうとするも、呟いた彼に沙菜は「え?」と首を傾げる。小さなそれを聞き取ることが出来なかった。
「なに? ごめん、何て言ったの?」
「いえ、この間の結婚式の話ですけど」
ニコッと笑い、手に持つ缶コーヒーを揺らす。
「俺が代わりに一緒に出席しようか?」
「は? なんで?」
突然の話に沙菜はクエスチョンマークを浮かべた。
凛空が誘われるのはまぁ分かるけれど、なぜ皇が出席するのか。けれど皇は先程と同じように胸を張るように言う。
「先輩の上司です! って」
「ふふ、なにそれ」
上司だから結婚式に参加するなんて聞いたことが無い。だがそこよりも、先輩と言いながらも上司だと言う彼が面白くて笑ってしまう。
皇が課長になってからしばらく経つし、上司として申し分ない、いやそれどころか以前の課長よりも俄然優秀だ。
守矢はまだ気に食わなさそうだが、他の男性社員のだいたいは彼のことを認めている。そして今回結果も出た。もう心から自分たちの上司だと言うことが出来るだろう。
それなのにまだ皇は二人きりになるとこうやって沙菜のことを〝先輩〟呼びをする。沙菜も皇とはあの頃と変わらず砕けた口調で話しているけれど、もう先輩呼びを卒業してもいい筈だ。
癖なのか何なのか。どちらにしても、先輩の上司という言い方がなぜか可愛いと思える。
だが次の言葉に沙菜は笑うのをやめた。
「じゃあ、新しい彼氏って紹介してください」
「…………」
「相手、浮気しているんですか?」
笑っていた口の形はそのままに、視線を下ろす。
「どうして?」
そう問えば、皇は「この間言ってたから」と返した。
「私は浮気したくないからって。それは誰かが浮気しているってことで、考えれば導かれるのはあの彼氏です」
あれは自分に言い聞かせるための言葉だったけれど、遠回しに浮気されていると言ってしまったと今更気付く。
失敗したと思ってももう仕方が無い。沙菜は大きく溜息をついて、「まぁね」と苦笑した。
「浮気はされてるよ」
「別れればいいじゃないですか、そんな奴」
「そう簡単な話じゃないの。凛空は私の支えだから」
「そんなの俺だって支えるし」
ムスっと言う皇に、沙菜は静かに言う。
「でも、あの時はいなかったから」
また一口飲んだ缶コーヒーが今度は苦く感じられた。
「皇君は私のために本社に異動したのかもしれないけど、私には裏切りにしか思えなかった。もしかしたら説明してくれるつもりだったのかもしれないけど、結局何も言わなかったよね」
「まぁ私が話を切り上げちゃったし、連絡も無視したこともあるけど」と苦笑する。
「それでもちゃんと言って欲しかった。理由じゃなくても、待ってての一言でもいいから欲しかった……我侭なのは分かってるけど、仲が良かったと思っていた後輩がいきなり別れを告げるんだよ? 悲しいし、怒ってもいいよね」
「…………」
黙ったまま皇は沙菜の話を聞く。
「皇君が異動した後、私の扱いはもっと酷くなって、辛くて、もういっそ死んでしまえたらと思った。皇君といた時は苦しくても楽しかったから、尚更ひとりじゃ立っていられなかった。そんな時に出会ったのは凛空で、傍にいて励ましてくれて、甘やかしてくれて、支えてくれたのは彼だった」
凛空がいてくれたから、生きてこられた。
「確かに今、皇君は上司になって戻って来てくれた。それで私のことを助けてくれてる。でも、それで簡単にいなかった時の穴は埋められないし、裏切られたと思った悲しみは消えないよ」
そう話してからまた缶コーヒーを喉に流し込む。
今度こそ彼は自分から離れてしまうだろうか。それならもう仕方が無い――そう思っても、きっと泣いてしまうだろうけれど。
強く缶を握れば、沙菜の話を聞いていた皇が口を開いた。
「ごめん」
「…………」
予想外の言葉に沙菜は目を見開き、皇を見る。
彼は辛そうに顔を歪め、再び「ごめん」と謝った。
「先輩の為を思っていたけど、俺がいない時の先輩の気持ち、全然考えてなかった」
でもそれは私も同じで、皇君が異動した気持ちを全く考えてなかったから。そう思うも、今はそんなフォローみたいなことをしたいと思えなかった。
「言葉も足りなかったし、もっとちゃんと話せばよかった。そしたら先輩は待っていてくれただろうし、苦しくても死んでしまいたいなんて、思わなかったかもしれない」
皇は言う。
「ごめん。辛い思い、沢山させた」
「っ…………」
涙が溢れそうになるのを必死に我慢した。
何度も瞬きをして散らし、バレないように静かに深呼吸を繰り返す。
きっとここで『そうだよ! バカ!』って怒ったら、全て昇華してハッピーエンドを迎えることが出来るに違いない。けれどそれは私だけの物語だ。凛空はどうなる? 利用されただけになってしまう。
たとえ浮気をされていたとしても、その選択を選ぶことが出来ない。
(でも、ありがとう)
あの日あの時、傷ついた私は報われた。
こうやって自分の間違いを認めることって本当は難しいことだと思う。間違えたのは相手であって、自分は間違ったつもりなどない、向こうが悪いんだと思うことが多い。大人なら特に自分がミスしたと分かっていても、相手に責任を擦り付けたり、認めたりしない。それこそ恵梨佳みたいに。
けれど彼は沙菜の言葉を真摯に受け止めて、間違えたと認め、謝ってくれる。
上司である時はあれほど優秀なのに、感情的だったり、こうやって素直に謝れる姿はまるで子供だ。
きっとそんな彼だからこそ、沙菜は心を動かされるのだと思う。
「結婚式さ」
皇の謝罪には何も言わない。否、言えない沙菜は話を戻した。
「帰りは迎えに来てくれるみたいだから、大丈夫」
「……それ、俺的には嬉しくないんですけど」
同じようにその話題に乗っかってくれる彼は優しくて、でも唇を尖らせながら不機嫌に言う彼はやっぱり子供みたいで、目元を拭いながら沙菜は笑った。
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