⑧『別にいいじゃん』

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⑧『別にいいじゃん』

「お待たせいたしました。盛大な拍手でお迎えください。新郎新婦の入場です!」  扉が開き、スポットライトの先にはウェディングドレスを着て微笑む穂稀の姿。相手と腕を組みながら歩く姿は幸せそうで、沙菜も笑顔でめいいっぱい拍手をした。 「穂稀」 「沙菜~!」  食事と歓談の時間、他の人が離れていったのを見計らって沙菜は穂稀に声を掛ける。 「久しぶりだよね! 元気にしてた?」 「ん、まぁぼちぼちかな」  おめでたい日につまらない仕事の話をするのも野暮だろう。後輩が上司になった話はまた今度だ。 「今日は来てくれてありがとう。すっごく嬉しい」 「私も、久しぶりに会えて嬉しいし、穂稀のウェディング姿が見られて嬉しいというか、不思議な感じ」  高校からの親友が誰かと結婚するなんて、あの頃は夢のように思えたけれど、この歳になればそれが現実になるのは当たり前で。沙菜が笑えば「私もなんか信じられない」と穂稀も笑った。 「苗字が変わるってどんな感じ?」 「うーん、実感とかないし、やっぱ変な感じ。むしろ志伊那ではなくなることが寂しいかも。でも彼と同じ苗字になったのを見ると、あぁ夫婦になったんだなぁって思うよ」 「そっか。そんなもんなんだね」  自分の苗字が変わる寂しさ。そんな風に思うものなのかとどこか冷めた気持ちで思う。もっと喜ばしいことで、相手と一緒になる安心感を得るんだと思っていた。  ここで『沙菜もいずれ分かるよ』とか『彼氏さんとはどう?』という話に移ってもいいだろうに、穂稀は「そういえば、高校の時の友達とは会えた?」と話を逸らした。  もしかしたら、凛空と一緒に出席していたらそういう話になっていたかもしれない。ここにいない理由を察するまでにはいかずとも、なんとなく思うところがあるのだろう。  沙菜は穂稀の話に笑顔で返すものの、その気遣いが凄く息苦しくて、この会場の中でひとりぼっちになった気持ちになる。  誰もが彼女たちを祝福し、その彼女も幸せそうで、祝う気持ちも親友の幸せを喜ぶ気持ちもあるのに、どこかで嫉妬する自分もいて、浮かべる笑顔は全ていつもの偽物だ。  私だって、幸せを掴める筈なのにと思ってしまう自分は何なのだろう。どれだけ嫌な女なんだ。 (ごめんね穂稀)  心から祝福出来ていないことに小さく謝罪して、その日も結局彼女に『おめでとう』の言葉が言えなかった。  式も終わり、彼女には「また連絡するね」と手を振って別れる。そして会場から少し離れたところで素早くスマホを取り出した。  終わる時間は伝えておいたし、近くで時間を潰せるファミレスも調べて伝えておいた。あんまり待たせたら機嫌を悪くさせてしまうだろう。 『お待たせ。終わったよ』  こちらから一言送ってみる。けれどすぐには既読の文字が付かず、しばらく経ってからようやく見たようで、メッセージが返って来た。 『ごめん、無理だわ』 「え?」  片手でスマホを握ったまま固まる。どういうことか分からず、困惑した状態で返す。 『どういうこと?』 『そっち行けない』 『え、なんで?』  すぐそれに既読が付いたというのに、それに対する返事がない。  もうこのまま待っているのも埒が明かないと思い電話を掛けてみれば、数回のコールの後ようやく『なに』と凛空が出た。 「ねぇ、迎えに来てくれるって言ったよね?」 『ちょっと野暮用が入っちまったんだよ』  面倒くさそうに言うそれは、野暮用が面倒くさいのかそれとも――。 「野暮用ってなに?」と聞こうとすると、向こうから声が聞こえた。 『野暮用って酷くない? そっちから来たくせにぃ!』  高い女の笑い声。それはよく聞く声で、相手が香美だと分かった。 (あ、そういうこと)  あの時迎えに行くと言ったのは身体を重ねて機嫌が良かったから言ってみただけか。行こうと思っていたけれど待っている間つまらなかったから香美のところに行ったのか。それでもう迎えに行かなくていいやとなって。 「分かった。もういい」  手に取るように分かった凛空の思考に、沙菜は冷たく言い放って通話を切った。  苛立ち、悲しみ。それらから逃げるようにいつもよりもお洒落な小さなカバンを大げさに揺らし、コツコツと足音を立てて急ぎ足で歩く。  これ以上考えたらいけない。心が砕けてしまう。取り敢えず家に帰って、シャワー浴びてさっぱりして、ビールでも呑んで寝てしまおう。凛空のビールだろうが関係ない。買っているのは私なんだから。  なんとか別のことへ頭を働かせながら最寄り駅へと歩いていると、ポツリと雫が鼻頭に当たった。 「え、うそ」  次から次へと雫が振ってくる。まさかの急な雨に沙菜は慌てて屋根のある適当なビルの入り口に立った。  周りも沙菜と同じようにこちらに避難したり、逆に今出てきた人は「えー、雨降ってるし」と溜息をついている。 (ほんっと最悪だ、もう)  ハンカチを取り出し、濡れてしまった顔を拭く。  このまま雨宿りをして待つのもあるが、正直この格好は目立ちすぎる。だからといって雨の中走るのも難しいし、より目立ってしまうだろう。それに加え濡れたドレスで電車に乗るとか、バツゲーム以外の何ものでもない。 「なんで、ほんと……」  こんなことになっているのかと、小さくぼやく。  凛空が来てくれていればと思うけれど、それ以上に凛空を信じた私がバカだったと自分を責める。あの時喜んでいた自分に目を覚ませと言ってやりたい。 (あー、もうやだなぁ)  溜息をついて脱力する。  この雨に凛空は気付いているだろうか。濡れていないか心配して、迎えに行かなかったことを後悔すればいい。だがきっとそんなこと彼は思わないだろうし、まず雨にも気付いていないに違いない。きっと今頃香美と楽しんでいるだろう。だから結局全部自分のせいにするしかなくて、もういっそバツゲームを受けてしまおうかと再び溜息をつこうと息を吸えば。 「…………」  ふわりと匂ったのはコーヒーの香り。  視線を向ければ、ビルから出てきた社員が缶コーヒーを飲みながら外を眺めている。雨が小降りになるのを待っている間に一服しているのだろう。 『先輩』  聞こえた声に唇を噛み締める。  ダメ。出てこないで。そう思うも、もう頭の中は彼でいっぱいで、心が助けてと腕を伸ばしている。  彼と一緒に結婚式に出ればよかったなんて思いたくない。思っちゃいけない。それでもどうしたって今おかれている現状を変えてくれるのは彼しかいなくて、その伸ばした手を掴んでくれることも分かっているから。  心の中のコップに、雨粒よりも小さい雫がピチャンと音を立てて落ちる。すでに溢れそうな水はそれに震え、波紋を描いた。ただそれだけの衝撃だったにも関わらず、コップは音を立てずに傾いて、ゆっくりと中身を零しながら倒れていった。 「……もしもし? 急にごめんね。いま大丈夫かな、皇君」
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