⑧『別にいいじゃん』

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 車の助手席に座り、動くワイパーを見つめる。  渡されたタオルは役目を終え、静かに沙菜の膝の上で畳まれていた。 「ごめんなさい。迎えに来てもらっちゃって」 「全然いいんですよ。むしろ嬉しいです」  時折、沙菜の家の場所を指すカーナビを見つめては慣れた手つきで運転をし、皇は返す。 「結婚式に出ないくせに迎えにだけ行って先輩と仲良く帰ってる方が俺的にムカつきます」 「はは、そっか」  その言葉に小さく笑った。  会場でひとりぼっちだった感覚も、凛空に迎えに来てもらえなかった悲しみも、皇の存在が癒してくれる。  じんわりと温かくなる胸の中に多少の罪悪感を覚えつつも、優しい気持ちになるのは抑えられない。 「いいじゃないですか。たまには俺にも甘えてください」 「皇君にまで甘えるのは申し訳ないよ。それに一応私先輩だし……」 「でももう俺の方が上司ですよ」 「そうでしたー」  面白くなさそうに返せば皇は笑う。  上司であることは事実だがそれで威張るようなことはしないし、どれだけ立場が沙菜の上であっても後輩であることは彼の中では変わらないのだろう。 (そこまで先輩らしいことしてあげられてないのになぁ)  どうしてなのか疑問に思う。 「結婚式はどうでした?」 「あー、えーと、うん。綺麗だった」  前を向いたまま頷く。我ながら何も隠せていない返答だ。どうしてこうも皇の前では格好つかないのか。これもまた不思議だ。 「面白くなかった?」 「……そうだね」 「同級生とかいなかったんですか?」 「いたけど、なんか凄くひとりぼっちな感じがした」  素直に気持ちを吐き出す。  彼なら笑わずに聞いてくれると思ったから。 「親友もね、幸せそうで嬉しかった。周りも凄く祝福してて、本当に良い式だったと思う。それがなんか、うらやましかったの」  結婚の話をすれば不機嫌になり、出席してくれなかった彼氏。  式に呼ばれた人は意外と多く、会社でも友達が沢山いて祝福される親友。  結婚も人間関係も、全然うまくいっていない私。 「おめでとうが、言えなかった」  比べても仕方が無いのに、ほんとどうしようもない。  自嘲的な笑みを浮かべていれば、あっけらかんとした声が返ってきた。 「別にいいじゃん」 「へ?」  外の雨のように湿った雰囲気を、皇は全く気にする様子もなく言う。 「幸せを掴んだ親友をいいなって思うの、普通じゃないですか?」 「でも……」 「上辺を装った祝福の言葉より、心からのおめでとうの方が嬉しいに決まっています」 「……たしかにまぁ、そうだね」 「先輩が心から言えるようになった時に言えばいいんです」  それでいいのかと思いつつも、親友に向かって適当な言葉を吐くより、待っていてもらった方がいいような気がしてくる。  いつか、『遅くなってごめんね』と謝ってから『おめでとう』と言えたら、彼女はそんなの気にしてないよと笑って、ありがとうと受け止めてくれるだろうから。 「うん。そうする」  沙菜は皇に顔を向けて、「ありがとう」と言えば、彼は少し照れたように「イイエ」と少しカタコトで返した。  近くまでで大丈夫だと言ったけれど、皇はアパートの傍らまで送ってくれた。 「ごめんね、呼び出してここまで送ってもらっちゃって」 「何も気にしないでください。またいつでも何かあれば迎えに行くし、あ、あとこれ」  皇は思い出したように後部座席へと手を伸ばし、置いてあった傘を掴んだ。 「これも差して帰って。返すのはいつでもいいので」 「え、でももうアパートすぐそこだし」 「それでも少し濡れるでしょう。風邪を引いたら困ります」  そう言って渡される。  車に乗った時に渡されたタオル、そして傘。全部用意して迎えに来てくれたのか。 「――――ねぇ」  沙菜は皇を見つめて聞いた。 「どうしてそこまで優しくしてくれるの?」  凛空だって優しいことは優しい。けれどそれは身体が目的であったり、ただ向こうが我侭を言える立場であるからだ。けれど皇はそういうギブアンドテイクのようなものを求めているようにも思えない。  もしそうならば、本社へ異動した時、連絡を無視する沙菜を見限っていただろうから。  皇は瞬きをすることもなく、先程と同じような感覚で答えた。 「好きだから」 「……それだけで?」 「十分でしょう」  彼はおかしそうに笑う。 「好きな相手には笑っていて欲しい。出来れば自分の手で幸せにだってしたい。優しくする理由には十分です」 「そっかぁ」  小さく息を吐き出し、沙菜は苦笑した。 「真っ直ぐすぎて眩しいなぁ」  好きだから、という理由はむしろ根本たるものだろう。  恋愛の始まりは〝好き〟という感情からだろうし、昔だって自分は関係を作る時はその気持ちがあるからだと思っていた。  けれど実際好きじゃなくても付き合えるし、身体を重ねることだって出来る。むしろその感情は後付けだったりして、互いにウィンウィンだから一緒にいるケースが多かったりする。  現に沙菜だってそうだ。ただ甘えたいだけに凛空と一緒にいて、代わりに身体を差し出しているような関係。夢見ていた時代の幼い自分が知ったら嫌悪するだろう。だが現実はそんなものだ。  勿論好き同士で一緒にいる人たちもいるだろうし、皇もそう思う側。擦れた自分と比べたらなんと純粋なことか。 「やっぱり、真っ直ぐすぎますかね」  皇の笑顔が苦笑に変わる。 〝やっぱり〟とは自分でも何か思うところがあるのだろうか。  仕事に恋愛。それらを考える自分が夢見がちであることを本人もきっと気付いていて、けれどそれを諦めたり、綺麗事だったと片付けることも出来ないのかもしれない。  でもそれは決して悪いことじゃない。沙菜は首を横に振った。 「素敵なことだと思うよ。その真っ直ぐさが皇君のいいところ」  笑う人はいるかもしれない。それでも。 「それで救われる人が沢山いると思う」  自分もその一人であることは言わない。それでも何だか伝わってしまうような気がして、なんだか恥ずかしくなってきた沙菜は誤魔化すように「へへっ」と笑って皇を見れば、彼は少し驚いた様子だった。 (や、やっぱりバレた!?) 「そしたら、今日は本当にありがとうございました! また会社で!」  頬を赤くし、一礼して逃げる。  車のドアを開けて傘を差し、顔を見ないようにして閉めてから小走りでアパートまで行って階段を昇った。けれど部屋の前で一度振り返れば、車の中から手を振る皇の姿があって、沙菜も笑って振り返してから部屋に入った。 「あー、恥ずかしい」  傘を玄関に置き、手のひらでパタパタとまだ熱い頬を仰ぐ。 「皇君の前では素直すぎるよ私」  自分を叱咤するように言ってから仰いでいた手でその頬を軽くはたいた。  沙菜はそのままお風呂へ直行し、シャワーを浴びる。普段も化粧をしているとはいえ、結婚式に出るとなればいつもよりも気合の入ってしまうそれを洗い流し、さっぱりした気持ちで出てきた。  今度はいつ使うか分からないドレスをクリーニングに持って行くため、紙袋にでも詰めようと思ったところで一つ思いつく。  分かっている。いま私、すごく気分がいい。  だがそれをあえて理性で止めるなんてことはせず、思いついたままそのドレスをベッドに引っ掛けるような形で広げ、そしてその片隅に以前抱きしめて泣いた、残したままの缶コーヒーを置く。  そこでスマホを手にしてパシャリ。  SNSを更新するのはいつぶりだろう。久しぶりの操作に少し時間を掛けつつも、なんとかアップする。 『今日は親友の結婚式でした』という言葉を添えて。  ドレスと缶コーヒー。その画面を見つめながら沙菜は微笑み、くすぐったい気持ちのまま小さく祈った。  いつか、心からおめでとうが言えますように。  車の中、沙菜が手を振り返して部屋に入るのを見届ける。  恥ずかしそうに微笑む顔。それでも小さくお辞儀をするのは忘れない。 「先輩も相変わらずですね」 ――――その真っ直ぐさが皇君のいいところ。  皇は振った手を下ろしながら、小さく苦笑した。
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