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そのまま一日が終わることが出来たらどれだけ良かっただろう。
そうは出来ないのが悲しい女子の役目。
「ほんっとに沙菜ちゃん、皇君のこと何も知らなかったの!?」
昼休憩になった途端、引きずられるように休憩室へと連れ込まれた。
駅から会社の間にあるコンビニでお昼を買うため沙菜はおにぎりを用意してあるけれど、いつも休憩になってから買いに行く女子までいる。
皇について話したくてたまらないのだろう。昼食を買いに行く時間すら我慢出来ないようだ。
「ほんと、本当に私は何も知らなかったの」
メールでもLINEでも何度も言ったのに、また改めて直接聞いてくる彼女らに苦笑は隠せない。
恵梨佳はこちらの胸倉でも掴みそうな勢いだ。
「前に異動した時も突然だったけど、今回のもまた突然よね~」
「ここにいた頃の顔、あんまり覚えてないけど、あんなイケメンだったっけ!?」
「雰囲気っていうか、オーラ? なんかイケメン×出来る男って感じでヤバイですよ!」
握り拳を作って言う彼女、枝野香美(えの このみ)に、沙菜はやっぱり皆からもオーラが見えたんだと内心で笑った。
「ねぇ、昔からあんなんだった?」
恵梨佳の質問に、皆の視線が沙菜に向けられる。
確かにあの頃と比べたら垢が抜けた感はあるけれど、別段変わったところはないと思う。
「新人の頃から優秀ではあったよ」
そう応えれば「やっばー!」と盛り上がる。
新人の頃は相手にされなかったけれど、どうやら課長という座と、この二年で得た出来る男オーラは彼女たちの目に留まったらしい。
それが喜ばしいことなのか沙菜には分からないけれど、彼女たちと同じように盛り上がれる気持ちではない。
それは勿論、突然本社へ行ってしまった裏切られた感があるからだが、それ以外にもうひとつ。
(どうしてここに戻って来たんだろう)
恵梨佳の言う通り、二年前の異動も今回も突然だ。
会社側からしたら前々から予定していたことなのかもしれないが、子会社から本社へ、そしてまた子会社へ戻って来るなんてこと普通は無いだろう。
本社に残っていれば仕事の出来る彼のことだ。良い業績を残して出世コースが待っている。
何か問題を起こしてこちらに戻されたのだろうか? けれどそんなヘマを彼がするとは思えない。けれど何か理由があるからここに戻って来たのだろう。
「あーもー話し足りない! 今日このあと皆でご飯行こう!」
突然の恵梨佳の提案だったが、「そうしよう!」と周りは頷く。
考え込んでいた沙菜はハッとして同じ楽しそうな空気を作って頷こうとすれば「あ、沙菜ちゃんは無理か」と彼女は笑った。
「え?」
「午前中、資料の修正してたから残業しないと今日の仕事終わらないよね、ごめーん!」
手を合わせて謝る恵梨佳。
確かに先程彼女に修正した資料を渡した。けれど残っている仕事の量を考えれば行けないこともない。だがどこかしてやったり顔で謝る彼女に言葉が出なかった。
「でも皇君のこと、なんかあったらグループラインに逐一報告してね!」
(えーっと……なにそれ?)
仕事のみならず、こんなところでも使うだけ使うなんて、酷い話だ。
けれどそれに突っ込んだり、フォローを入れる人がこの女子グループにはおらず、恵梨佳の言うことが正しいとでもいうように笑っている。
もうそれを見ていると、怒っている自分の方がバカらしく思えて。
「うん。分かったよ」
そう笑って頷いた。
「絶対よ! 抜け駆けなんて許さないからね!」
「じゃあ今日はどこ食べに行きます~?」
「昨日食べたイタリアンの店の隣もなんか良さげじゃなかったぁ?」
そうだ、昨日も一緒にご飯食べてたよね。
SNSに載せられていた写真。それを思い出し、またきっと今日も自分抜きのピースが写った写真が載るんだろうなぁと思いながら、沙菜は笑顔を貼り付けたまま何も言わずに彼女たちの楽しそうな声を聞いていた。
「それではお先に失礼します! お疲れ様でしたぁ!」
頭を下げて退社する彼女は眩しいほどの笑顔で、その後に他の女子もついていく。それに他の同僚は「お疲れー」と気さくに声を掛けて見送った。
本当に彼女が今日の仕事が終わったのか疑っているのは沙菜だけだろう。
(まぁ今日は押し付けられてないからいっか)
午前中を恵梨佳の仕事で潰されたものの、午後で残っていた仕事は終わらせた。残業する必要もなかったけれど、沙菜は帰ることはせずそのまま残り、別に今日する必要もない仕事をやる。
凛空から『今日行く』という連絡は来ていない。もしかしたら昨晩みたいに連絡もなしに来てくれているかもしれない。だがいないかもしれない。
絶対にいるならばこんなところに残らず帰るけれど、いるとは限らないあの家に飛んで帰る元気も沙菜には無かった。
「お疲れ様でしたー」
「あっ、お疲れ様ですっ」
言いながら出て行く同僚にハッとして笑顔で挨拶をする。そして周りを見渡せば、もう残っているのは沙菜一人だ。
(なんだかなぁ)
適当にマウスのホイールを動かしながら頬杖をつく。
今ごろ女子グループは美味しいご飯を食べながら皇の話題で盛り上がっているのだろう。楽しそうに話す彼女たちの姿が目に浮かぶ。
別に彼女たちが好きなわけではない。それでもここで働くために仲良くしていなくてはいけないし、それとは他のところで楽しそうにしている仲間に入りたいという気持ちもあった。
一人の時間が嫌いなわけではないけれど、一人では生きていけない人間なのだ基本的に、自分は。
「ままならないなぁ」
小さく呟けば、扉が開く音が聞こえた。
先程の同僚が忘れ物でも取りに来たのだろうか。
頬杖をやめて視線を向ければ、
「お疲れ様です」
そこにいたのは皇だった。
ひゅっと息を吸って数秒固まる。けれどなんとか「お疲れ様、です」と返した。けれど視線を合わせてなんて無理で、あさっての方向を見ながら言い、パソコンの画面に顔を戻す。
途中から適当に眺めていただけの画面だ。どこをどこまで進めたか思い出せず、それでも仕事をしている態を装いたくて何でもいいからクリックを繰り返す。
このままシャットダウンしてお先に失礼しますと帰ればいいのに、そこまで頭が働かず、沙菜はひたすら、早くどっか行って、と念じる。
しかし皇はどこかに行くどころか沙菜のデスクに近寄り、声を掛けてきた。
「お久しぶりですね、綾辻さん」
「お、ひさしぶり、です」
「あれから元気にしていましたか?」
こちらのぎこちなさを気にすることもなく普通に聞かれ、「ん、まぁ、そうですね」と返す。
ずっと皇からの連絡を無視していた手前、どう返事をしたらいいのか分からない。けれど彼は気にした様子もなく、「まだ仕事、かかりそうですか?」と聞いてくる。
「手伝いますよ」
あの頃と同じ言葉。
一人で残っている沙菜に声を掛けてくれて、仕事を手伝ってくれる。その後一緒に呑みに行ったりして、沙菜も沢山笑った。
先程までむなしかった心がどこか柔らかくなる感覚にハッとし、慌てて沙菜は「いい!」と首を振る。
「大丈夫、もうすぐで終わるからっ」
相手が課長という上司になったことも忘れ、ただ彼という存在が自分の心に入って来るのを阻止しようと拒絶した。
「でも大変でしょう」
「いいからっ」
また適当にクリックをする。
内容なんて全然入ってこないけれど、手元にある資料を読んで適当に打ち込んでいく。それはどう考えても必要もない作業だ。
それに皇も気付いていたのか、「分かりました」と小さく溜息をつく。そしてそのまま離れる――前に、コトンとデスクに何かを置いていった。
「――――っ」
視線を向ければ、そこにあるのはあの缶コーヒー。
あれからこれを飲んでいない。それどころか目に入らないように社内の自動販売機に目を向けようともしなかった。
久しぶりに見たそれに、口が勝手に動いた。
「ねぇ、どうして」
――――お世話になりました。
「どうして戻って来たの?」
思い出される清々しい笑み。
少しの沈黙を経てから皇は「それは――」と口を開く。
彼に視線を向ければ、まるで内緒話をするように人差し指を顔の前に立てて、笑っていた。
「まだ秘密」
そしてそのまま出て行く。
「…………っ、はぁぁぁ」
そんな皇を見送った沙菜は大きく吐き出しながらデスクに突っ伏した。
なんなんだ。なんなんだ一体。
「なんなのよ、もう」
顔を横にし、腕に乗せるようにすれば視線の先に缶コーヒーが。
二年前と同じラベルで、大きく微糖と書かれている。それに笑ったのがまるで昨日のことのように思い出され、時の流れを忘れさせられそうだ。
「なんで、今更帰って来るのよ……」
唇を尖らせながらそれをもう片方の手の指でそれを弾けば、まるで笑うような高い音が鳴った。
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