白い煩慮

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紗英ちゃんに言われるまでなく、私の興味はすでに右腕にギプスを巻く事に奪われている。 利き腕が使えず、たどたどしくお茶を飲む樹里さんの姿も仕事中に思い出すほどだ。 それに踏み切れないでいるのは一度ギプスを巻いてしまうと何かを踏み越えて、もう二度と戻って来れないような、何とも言えない恐れと不安があったからだった。 程なくトイレから戻ってきた紗英ちゃんは、いつになく真剣な顔をして話すトーンを落とし私の目をジッと見つめた。 心なしか周りを気にしている様にみえる。 「んっ何?どうしたの?」 「ねえ由香ちゃん、あたし本当に骨折をして本物のギプスを巻いてみたいの」 「えっ!」 「本当に骨折すればコソコソしないで、家族や友達の前で遠慮なく松葉杖もつけるしギプスも楽しめると思わない?」 「・・・紗英ちゃん何言ってるの?」 その発言も充分に衝撃的だったけど、その後に続いた紗英ちゃんの言葉は更に衝撃を重ねた。 「貴子さんに頼めば、本当に骨折させてくれるって噂を聞いたことあるでしょ?」 「・・・・」 「今まで頼まれて何人も骨折させたらしいよ。でもそれを頼むとあの会からは脱会しなきゃダメみたいだけど」 確かにその噂は知っている。 貴子さんはその知識や道具の扱いから医療関係者ではないかと以前から噂が出ていた。 それを問うと否定も肯定もしないけど、卓越した技術で他人の骨を自分の思うままに折ることが出来るという噂はメンバー内で囁かれていた。 事実毎週のように来ていたメンバーが貴子さんとコッソリと話しをしていた後に急に来なくなるという事も度々あり、その噂の信憑性を増していた。 「あたし今日貴子さんに相談してみようと思っているの」 「えっでも・・それ本気で言ってるの?ねえ紗英ちゃん?」 「本気よ、由香ちゃん。だからゴメン!今日はもう帰ってもらっていいかな?」 私たちは黙ったまま貴子さんの部屋に戻った。 今日は他に誰も来ない事を確認すると私は用事を思い出したと告げ、いつもの様に紙袋を持ってマンションを後にした。 貴子さんは恐らく紗英ちゃんの胸の内を察していた様に思う、私を見送る顔はいつもの様な優しい微笑みでは無くいつか見たあの悲しそうな顔だったから。 自宅マンションに着いたところで携帯に紗英ちゃんから通知がきた、慌てて内容を確認する。 そこには言葉ではなく、ピースサインをするウサギのスタンプが一つだけ表示されていた。
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