報せ

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「ギル、大変。開けて!」  あれから数日、食事もままならず水だけ飲んでベットの上。あの子が帰ってきやしないかと聞き耳を立てて玄関に丸一日座ってみた。 けれども、帰っては来ない。 郵便屋さんの足音、ご近所さんの足音、色々聞こえては来るけどあの子の足音だけがしない。 ベットで気ままにゴロゴロしていたら、いつもみたいにふらふらになりながらも帰ってきて『ただいまぁ、吸わせてぇ』と僕を吸いに来るかもしれない。 けれども、待てど暮らせど帰っては来ない。  このまま帰ってこないつもりなの?  どうして?  何かあったの?  僕を嫌いになったの?    虚ろなまま仰向けで転がっていると、窓をコンコンと喧しく叩く音。 誰だい、うるさいな……僕は今それどころでは無くて── 「ギル、ギルってば起きて! あなたの可愛い子が大変なのよ」  んんん……レージュ? 何、どうしたの慌てて。それに、僕の可愛い子が大変って何さ。 「のんびりしている場合じゃないわ、じきにここに沢山の人が来る。そうなると、あなたは。それは、きっとあなたの可愛い子が望まない事よ。さぁ、行きましょう。ここに居ては駄目」  少し嘴を閉じてくれないか、君の悪い冗談を聞いている暇は無いんだよ。 ……ごめん、今は余裕が無くてね。 (遊びに来てくれたのに、こんな冷たい態度をしてしまうなんて僕は本当に嫌な奴だな……。でも、本当に今は──) 「ギルの馬鹿! 冗談なんかじゃないわよ!! いい事? しっかり聞きなさい。あんたの可愛い子はを目指しているの、だから、もうここには来ない」  何? 河だって?   っは、何を馬鹿な事言ってるんだか。昔馴染みだからって少しも笑えないな。君はそんな奴だったか? 「……そう、良いわ別に私の言葉を信じなくても。これだけは知っていなさい。今からここに向かって来るヒト達は飼い主の居なくなったあなたを鉄の檻で強制的に捕獲する。  飼い主が居ない飼い猫。食べ物も無く、水も無い。そうすればあなたは生きられないと判断されるからよ。噛み付いても、毛を逆立てて唸っても無駄。ヒトの力は強いもの。捕まってしまえば最後よ、抗う術を私達は持たない。  もう一つ、河を渡ってしまったヒトの事を覚えているわね? それが、今もう目前に来ているのよ。保護されてしまうあなたは何も出来ない。この機を逃せば、もう二度と会う事は出来ないかもしれないわね」  ひと息に言い終えた彼女はフンっと鼻息を荒く吐いた。 一気に捲し立てられ頭の良い僕でも流石に混乱してしまう。  ……そんな、ちょっ、ちょっと待ってくれレージュ。  あの子がどこにいるのか本当に知っていると言うの、君が? 何故? だって、僕は何も知らないんだ。用事の無い休日だった筈なんだ、あの日は……それなのに、ひと眠りから起きたら彼女の姿は無くて……もう幾日も帰っていない。待っていたんだ、ずっと帰りを。 「ええ、そうでしょうね。私も知ったのはついさっき金の糸が見えたのよ。よく知っているヒトの物がね。私だって悔しいのよ、病の芽だったのなら私が何とか出来たかもしれないって言うのに……」  金の、糸…… 「あれは、天界の主様への。あれが昇るという事は、今日が肉体の眠る日。この国では肉体は灰となって昇るのでしょう。そうなると、河まで目前ね」  河守の双子の所へ行くの……? 河を渡りきると、もう会えない…… 「そうね、ヒトの記憶は洗い流されるものだから。まぁ、ヒトによるけど、肉体が眠りにつくと生まれてからの数年分の記憶がまず失われる。そして、河を渡りながら少しずつ忘れていき河を渡った時全てまっさらになる。 だから、例え次に新しい器へと入る事になったとしてもあなたの事なんてきっと少しも覚えていないでしょうね…………あら、来たわよ」  …………っ  確かに、足音が複数聞こえてくる。真っすぐこちらに向かってきているようだ。どうしよう、されてはいけない。あの子に会えなくなるなんて嫌だ。絶対に嫌だ!! れ、レージュ! 分かった、君の言う通りにする。だから、してくれるかい?  彼女はふぅ、と一つ溜息を吐き「分かったわ」と返事をしてくれた。 「いい? 私が言う通りにして。玄関の前で待機、ヒトが玄関を開けて入ってきたら、その隙に全速力で外へ出て。そこからの案内は私がするわ」 「分かった、やってみる」  こうして僕は頭の中が酷く混乱したままで、レージュの言う通りに行動を起こす。玄関のすぐ側まで行って待機。  ほどなくして複数の足音が止まる。 「本当に信じられないわ」 「……何か手掛かりがあるかもしれないから」 「そうね……」 「姉ちゃん……姉ちゃん……」 「私達は猫の保護にあたりますね」 「はい、よろしくお願いします」  鍵が開く。──今だっ 「わっ」 「きゃあ」 「え?」 「逃げたぞ」 「追いますからお気になさらず」  全速力でダッシュする。 ギラギラした嫌な臭いのするハコを持ってた。あいつら何だろって言うか追いかけて来るんだけど!? 「あんな奴らまいてやるわ、大丈夫よ。ギル、そこの角左!」  ひだりね 了解っ  スピードがついていてもこんなに華麗に曲がれるんだから僕って本当凄い。 自画自賛しながらその後も縦横無尽にレージュの指示通りに走り抜ける。 どこまで行けばいいんだろう、これからどうなってしまうのだろう。 あの子に本当に会えるのかな。  息は切れるけど、全然走れる。 *  暫く走り回って、レージュが止まって良いわと言ったのは家から随分と離れた川の流れる公園だった。 レージュ曰く、「飼い猫は家出するとしてもそんなに遠くまで行くことは少ないと想定される」からなのだとか。近場だと割とすぐ捕まる事があるらしい。  これから夜になるから、出発は明日と言ってレージュはどこかに飛び去ってしまった。  からからに乾いた喉を潤しながらちょっと泣きそうになる。  どうして、こんな事に  僕は君の事、ずーっと見て来たのに。どうして何にも気が付けなかったの?  レージュの言うように病の芽だったのか?  なんにも分からないよ。元気そうだった……  いや、本当にそう? おかしな事言っていたじゃない。あの時から? わからない。でも、なんでもっとあの時真剣に考えなかったの? 注意していれば何か分かったかもしれないのに、どうして──  あぁ、どうして、どうして……どうして!!  僕は、何も出来なかったの……? 「ただいま、ってあら……寝てしまったのかしらギル……?」  嘴に小さな袋を下げて戻って来たレージュは、すうすうと寝息を立てるギルをじっと見る。 この先の食糧にと思って持ってきたが、あの様子から幾日も食べていなかったのかもしれないと柔らかいのと硬いのを少し多めに持って急いで戻って来たのだ。 だが、眠っている。集まりにも出て来ないような殆ど引きこもりがあれだけ走れた事には驚いたが、心労もありドッと疲れが出たのだろう。仕方が無い。 「会えると良いわね、あの子に……」  そうして、他の野良猫に警戒しつつ、少し羽を休める事にしたのだった。
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