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虹の袂
一夜明けて、朝からまた鉄の匂いがすぐ側まで近づいていた。
レージュと共に飛び起きて──それからどれくらい走ったのだろう。足の裏の肉球が擦り切れるくらいには走ってきたかもしれない。小石や大きな石が食い込んで凄く痛い。
でも、止まれない。だって、今止まったらすぐにヒトに捕まってしまうだろう。昨日よりもヒトが多くなっている。随分と遠くまで来たつもりなのにしつこいな。
「止まって」
限界を超えるくらいに呼吸をしてすでに満身創痍の体が頭上からの鋭い声に反応して転びながら地面に横たわるようにして止まった。
ぜぇぜぇと猫としてはあるまじき口で大きく呼吸をする。あの子と遊んでいた時にハッスルして出す興奮と違う。
全力疾走も最高速度を落とす事無く悪路を来たのだ必死に。
れ、レージュ……ぜぇ、はっ……み、水……飲まないと……げほっ
「どうして? どこに行っちゃったのかしら」
喘ぐ呼吸でレージュへ言葉を投げるも、まるで聞こえていないとばかりぶつぶつと呟きながらレージュはしきりに首を傾げている。
上を覗くようにしたり、横から見るようにしたりと角度を変えて何度も試すがどうも何か様子がおかしいようだ。
「おかしいわ、絶対ここで合っているはずなのに。折角能力まで使ってきたのに困ったわ……道が無いじゃない。あぁ、でもどちらにせよ私はここまでしか……」
聡明な筈のはレージュが頭を抱えている。
どうやら、今日のヒトには辿れない秘密の通路へとやってきたはずなのに、どういう訳かレージュの導きの眼がパタリと反応しなくなってしまったようだ。
確かにこの空気は今までに嗅いだ事の無い匂い、少しだけ質感も重たいと言うか纏わりつくような感覚で灰色の中にシャボンが混ざるようにぐにゃぐにゃと形を変える。
もやのような物も入り混じり、景色が歪んでいく。
危ない物ではないようだけど……
ねぇ、レージュこれは……
そこに居るはずの彼女を見上げると、彼女の姿はどこにも無い。
レージュ……?
レージュ!!
どこに……
慌てて探すけど、どこを見てもレージュは居ない。
疲労困憊の体を起こしてトタトタと周辺を歩いていみる。
匂いが変だ。
いつも知っている外の空気なんかじゃない。
いつの間にか、固いコンクリートの道からゆらゆら揺れて不確かな地面になっている。
ここはどこ
レージュはどこ
たまらず走り出す。
どこへ向かっていいのかも分からないけど。兎に角走る。
どれだけ走っても終わりがない
どこまで行ってもぶつからない
立ち止まる
突然、前方から光が溢れたからだ。
七色の光がふわっと伸びて、僕から少し離れた所で止まった。
その光はキラキラと光り輝いてから粒子になって、ヒトの姿へとカタチを変える。スンと僕の鼻が無意識に動いた。
この匂いを、僕は知っている────
君に向かって駆けようとしたら、足が張り付いてしまったかのように動かない。
なぜ、ねぇ、そこに居るのに。
確かに居るのに、なぜ僕は動けないの。
動いて、動いてよ僕の足
動けったら!!
まってて、すぐに行くから
僕と一緒におうちに帰ろう
ここは何だか不思議な所だけど、きっと僕が連れて帰ってあげるからね
だから、だから……ちょっと待ってて
すぐに、行くから
どんなに頑張っても足は動かない
一ミリだって動いてはくれない
ヘンテコなこの空間にどこから降って来たのか、粉雪が舞い始めた。
急に寒くなって来た
足が雪にどんどん埋もれていく
不思議なこの空間でせっかく君に出会えたのに、もがいている筈の僕にニッコリ笑いかけると君はふわりと搔き消えてしまった。
待って、待って、ねぇ、待って!
何か一言言っていた気がするのに聞き取れなかった
どこ行っちゃったの
待ってよ、嫌だ、僕を置いていかないで
懸命に叫んだのに、声は届かなかった。
ここは外じゃない筈なのに、どこからかどんどん積もっていく灰白雪は僕に触れその冷たさに思わずハッとする。
見渡すと、ぐねぐねとしたシャボン色ではなく一面灰白色の世界。
なのに、ぼくの足元には、ただ虹の袂が残されている。そこだけ妙に煌めいてハッキリと色がついている。
今は真冬だったのだっけか、どうして雪が降ってるの、ここは何、どこ、どうして君は消えたの?
何も理解出来ない。この僕が。
どうしていいのか分からない
君は、一体どこへ行ったの。
しんしんと粉雪が舞降る中君は消えた。
揺らめいて、それはまるで真夏の陽炎のよう。
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