雑踏を越えて。

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 空調で快適な温度湿度が保たれたコーヒー屋で好きなメニューを頼んで飲んでいたが、京島密(きょうじまひそか)のイライラはほぼ最高潮に達していた。原因は判っている。 「君の作品も面白けどさ、どうも二番煎じ感が抜けないよね」 意気揚々と出掛けた編集部で、担当編集からそんな言葉を投げかけられたからだ。折角プロ作家デビューを果たしたというのに、頼まれる仕事と言えば雑誌の記事ばかりで、小説の依頼は一切無い。この状況で焦燥感を募らせるな、というのは無理な話だった。  密はカウンター席に座っていたのだが、ふと、隣に座った客がいじっていた携帯電話の画面をちらりと見ると、男は、女の写真を見ていたのだが、その写真はどう見ても盗撮されたもので、そしてその写真に写っている女性は、少し離れたテーブル席で恐らくは仕事をしていた。 「……」 最初は女のストーキングか、と思ったが、どうも違うらしい。女性は、男に一切の注意を払わなかった。  携帯電話のアラームが鳴った女性は慌てて仕事道具をバッグに仕舞い、テーブルの上を綺麗にしてから大慌てで店を出て行き、そして、密の隣に座っていた男も、悠然と席を立った。 「…探偵か?」 密は一人呟き、男を追う形で店を出た。それは単なる興味本位だった。もしかすると、何か面白いネタでも拾えるかもしれない、という下世話なことも考えていたかもしれない。  数百メートルは二重尾行の形で歩いたのだが、2人が人混みの激しい交差点に入ると、探偵でも刑事でもない密は当然のように見失い、交差点の真ん中で諦めて引き返し、そのまま、くさくさとした気分のまま家路に着いた。
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