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予知夢
ぼやけた視界に見慣れた制服が徐々にその輪郭現わした。夢から戻ったばかりの脳を無 理やり揺さぶるように、その音は急にボリュームをあげた。
重く体が反応した。
探り当てた音を消して瞼を閉じ、早鐘を打ったような激しい鼓動が治まるのを静かに待った。そして、私の頭の中は雲がしだいに薄れていき、騒がしかった胸の高鳴りも落ち着きを取り戻していった。
「ふぅ、何これ、リアルな夢。」
白石美彩都は大きな溜め息をついた。
春の陽気のせいにもしたくないが、起床時はいつも覚醒と夢の狭間で闘っている。この闘いに勝利したとしても、しばらくは夢の麻酔作用で身体も頭も言うことを聞かない。しかし、今朝は、いつも以上に正常な思考に達するのに時間を要していた。あのサスペンスホラー映画のような夢に、エネルギーを消耗し、まだ残っている鮮明な記憶の中で、疲れた余韻を引きずっていたのだ。
ようやく重だるい身体に言い聞かせながら、額や首元の汗をぬぐい、壁に掛けてあった制服に着替えた。よたよたと階段を下りていくと、いつもの暖かな朝の匂い。空腹は感じているのだが、どんよりした胃には何も入れる気にはなれなかった。
美彩都は、最近、夢見が悪く、気分の良くない目覚めが続いている。大学受験の焦りか何なのか。夢占いで、あれこれ自己分析してみても、結論は出ない。そんなことはわかっているのだが、どうしても頭を過ってしまう。
湯気を漂わせた味噌汁のお椀をテーブルに置きながら、今日子が声をかけた。
「おはよう、美彩都。ん?どうした、なんか、顔色が悪いわね。」
「あ、うん、大丈夫。あまり眠れなかったから。」
「また、スマホばかり見てたんでしょ。時間ないわよ、サッサと食べちゃって。」
椅子に腰掛け、箸を持ったものの、またテーブルに置いた。
「朝ごはんはいいや。」
「大丈夫?熱は?具合悪いの?」
「うん、大丈夫。風邪ではないと思うし。ちょっと疲れてるだけ。」
「なら、良いけど。」
「ありがと、ママ。もう行くわ。」
母親の今日子は看護師であるがゆえに、だいたいの症状から疾患を予測できてしまう。もちろんすべてではないが、他人からは羨ましいと言われる。しかし、唾でもつけておけば治ると言う医療のプロでもある。やや塩対応だと思うこともしばしばだ。
「美彩都、水分だけは摂ってってね。」
美彩都は、母手作りの野菜ジュースを渇いた喉に流し込んだ。
テーブルに母が準備してあった弁当とマグボトルを手に取り、気だるさは残りながらも、自転車に乗ると、いつもの調子に戻ったように学校までの道のりを走る事ができた。これまで休み勝ちな学校生活。最後の学年となる三年生は休みたくないという思いもあった。
自分の席に着くと、重力に任せ腰を降ろした。そして、カバンの中から教科書を出しながら隣の席の智花に声をかけた。
「ともちゃん、おはよ。」
「おはよ。あらぁ、なんか変。お疲れ気味ですか白石美彩都様。」
「うん、ちょっとね。後で話すね。」
―昼休み
木下智花ともう一人の仲の良いクラスメートの佐藤千草と机を寄せて、それぞれのお弁当を並べた。さすがの空腹に美彩都の脳は栄養摂取を優先する指令を出したようで、あっという間に弁当を平らげた。そして、食べ終わるのを待っていたかのように、千草が箸を持ったまま飛びついてきた。
「ねぇ、美彩都のお弁当って、お母さんがいつも作ってるんでしょ。今日のお弁当であんまり見かけない野菜入ってたけど。緑のつくしみたいな。あれは、何?」
「もう、千草ったら他人の弁当を、ホントによく見てるね。あれはね、うちのママが家庭菜園で育てた野菜だよ。なんていう野菜かわからないけど。そう言えば、どっかの外国の種もらって、日本じゃ無理かもって言われていたけど、芽が出たって飛び跳ねてたことあったな。」
「すごいじゃん美彩都のママって。私ってこう見えてぽっちゃりなのよ。ダイエットのためになるべく野菜たくさん入れたいけど、苦手なのが多くて。美味しい野菜ないかなっていつも思っているの。自分で野菜作るのも有りかな。で、どんな味なの?」
「千草こそ偉いじゃない。私には無理だわ。あまり興味がないというか、土触り苦手だしね。両親は海外だっけ?お弁当も毎日自分で作るってるんでしょ。私にはありえないことだわ。それに、この野菜、何年かかかるみたいよ。美味しいけどね。そうねえ、食レポ下手だし、上手く言えないけど、少しぬめりがあって、甘めでシャキシャキってとこかな。そうだ、今度、千草の分も持ってくるよ。」
「ほんと?嬉しい。何年もかかるんなら、自分で作るのは諦めるわ。」
千草は、屈託のないその笑顔が、美彩都にはあり難かった。
智花がタイミングを見て話かけた。
「それ、私の分もお願いできる?で、その話は置いといて、美彩都、最近、疲れてるようだけど大丈夫?まぁ、この食べっぷりみたら安心したけど。でもなんか元気ないような気がする。朝の様子みたら、授業中、気になって。」
「そう、そう、私も思った。心配だわ。どうしたのよ?」
後で話すと言いながらも、重い気持ちになりそうで気が向かなかったが、二人の無邪気な視線に負けてしまい、あの夢の話をした。
「それって受験勉強のストレスよ、きっと。美彩都、真面目だから。」
弁当がまだ途中の千草は、最後の苦手な野菜を口の中でもごもごさせながらそう言った。
「そうなのかなあ、確かに疲れてはいるけど。」
「でもさぁ、美彩都の見る夢って、前にも予知夢みたいな事言ってた気がする。ほら芸能人が亡くなる夢を見たあとに、違う芸能人だったけど、アイドルが自殺したことあったでしょ。他にも似たような事いくつか言ってた。だから、赤い眼、絶対なんかあるわよ。気を付けた方がいいって。」
「もう、智花ったら怖い事言わないでよ。」
「あ、そうだ、もう一つ夢に関して。」
智花が続けた。
「明晰夢って聞いたことあるかな?今見ている夢を夢であることを自覚して、夢の中でしたいようにすることができるの。私なんか、毎回自覚できるわけではないけど、自分の意思で、空を飛べたりする。でもね、その時の体調なのか、うまく飛べる時と飛べないときがあるのよ。調子良ければ、宇宙まで行くこともあったりして、けっこう楽しいよ。今度夢を見たとき、『これは夢なんだ』って思ってみて。どうせ見るなら、楽しい夢に変換しなきゃ。」
自慢げに話す智花の顔が、凍っていた朝の不快さを少し溶かしてくれた。しかしながら、その夢はずっと美彩都の頭から離れなかった。
家に帰って食事と入浴をすませ、机に向かったが何も手に付かず、そのままベッドに潜り込んだ。布団を頭までかぶって目を閉じてはみるが、あの赤い眼が頭の奥を支配して、他の思考を追い出してしまう。子供騙しだと思うが、この際何でもやってみようと羊を数えてみた。これが功を奏したのかどうかは不明だが、いつの間にか眠りに落ちていた。
また、走っていた。夕暮れの中の古い街並み。すぐ脇で停まった馬車から誰か降りてきた。走り続ける自分を追いかけてきたのか、足音が背後で止まるのがわかった。振り返ると、夕日を背に大柄な男性らしき影。また赤い眼だ。何かをこっちに向けて立っている。いや、ちょと、これ、撃たれる?
また逃げた。細い路地に入り、空き家らしき家屋に逃げ込んだ。中は薄暗かったが、天井のずれた板の隙間から漏れた橙色の陽差しが、舞った埃の色も美しく変えていた。人らしき影はない。
そうだ、これは夢だ。智花の言っていた明晰夢を思い出した。夢なら逃げなくても良さそうなものだが、怖さが優り自分の行動を変えるほどの余裕はなかった。
急に自分の手を引っ張られたような感覚が走った。引っ張られるまま流れに身を任せていると、いつの間にかその手は離れ、無重力の中でケンケン跳びをするように、ふわふわと階段を降りていった。
突然、目の前にドアが現れ、そのドアを開けると、またドアが。いくつかのドアを開け、やっと空間が現れた。そこには、箱型の囲いの中に縦に並んでいる椅子が二つ。後ろの席に座ったとたん、それは動き出した。どこかのテーマパークにある室内のジェットコースターのように、暗闇がスピード感を増していく。周りを見る余裕もなく、必死に目の前のバーに掴まっていた。ふと自分の前に誰か乗っているのが認識できた。手を引っぱった人か。でも自分でドアを開けてきた気がするが。
まあ夢ってそういうものか…。
スピードが緩くなり、前方から向かってきた柔らかい光に包まれていく。そして光が解けた空間にホームらしきものが現れた。
その箱は、そこで静かに動きを止め、自分の前の誰かが立ち上がった。若くて背の高い男性。振り向いた顔は何処かで見たことあるような。と思った。っていうか、ここはどこだ。心の中の声のはずが、その男性が初めて口を開いた。
「夢の中だよ。」
夢の中の人が夢の中だと言うのを初めて聞いたような気がする。あなたは誰なのかと思った心の声が聞こえたかどうかわからないが、男性は笑みを浮かべた。
駅の発車ベルの音が遠くから鳴った。
朝だ。また夢。誰だろう。見たことあると思っていたが、もう顔の記憶が消されている。思い出そうとしても、すりガラスのようにモザイクがかかる。思い出せない事が返って気になってしまう。だがその強い欲は何気ないいつもの日常が遠ざけてくれた。
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