二人の父

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二人の父

今日は日曜日だ。    心なしか朝の闘いは楽に感じる。重く澱んだ身体の隅々に、新鮮な酸素を送り込むように、美彩都は大きな背伸びをしながらリビングへ降りた。漂ってきた珈琲の薫りに思わず、もう一度、深呼吸をした。  日曜日の朝は、いつもトーストと珈琲が我が家の決まりである。   「おはよう、ママ。」   「おはよう。やっと起きてきた。でも、今日はスッキリした顔ね。ねぇ、美彩都、今日なんか予定ある?」    今日子は食パンをトースターから皿に取り出しテーブルに置いた。いつも、美彩都の気配を感じてから、トースターのタイマーを作動させるのだ。  いつもと声色が違うようなと思いつつ、テーブルに着いた美彩都は、厚めの食パンにバターを塗り、その上に大好きな粒あんを嬉しそうにたっぷり載せながら答えた。   「特にないけど。どうしたの?」 「観たい映画があるんだけど、パパは興味無いって言うから、一緒にどうかなと思って。」 「へえ、映画なんて珍しいね。良いよ。で、何の映画?」 「フフッ、聴いてくれる?あのね、家族愛というか、主人公が色々な困難に家族愛で乗り越えていくっていう映画なんだけど、好きな俳優が出てるのよ。」 「あぁ、なるほどね。はいはい、ママ、目がハート。まぁ、パパは観ないね。パパだったら戦争映画か、地球滅亡の危機をヒーローが救う…みたいな映画だろうね、きっと。」    嬉しそうな母をみて、娘ながら可愛いと思った。いつも仕事と家事で、日曜日の休みもあまり 取れない母。美彩都自身も、なんだかんだで気持ちに疲れを感じていた。だから、親孝行も兼ねて、自分の休息も大事と、自分の中で都合のいい言い訳をし、母の誘いに乗る口実にした。   「そういうパパは?どっか行ったの?」 「あぁ、なんか、買いたいものがあるって、出かけたわよ。」 「珍しいね。いつもゴロゴロしてるのに。それに、物欲とは縁のないパパが、何買うのよ?」 「さぁ?よくわからないけど、なんだか楽しそうに出かけて行ったわよ。」 「楽しそうに?もしかして、パパ浮気なんかしてないよね。」 「いやだ、こんな昼間っから。大丈夫よ、パパそんなにモテないし。」 「わかんないわよ、物好きもいるんだから。」 「パパ信じてるから、大丈夫。」 「うわ、娘にそんなこと言う?ご馳走様で~す。」  二人は大画面と大音響の中の役者たちの演技に魅了され、日常とは違う世界を堪能した。そして、まだその余韻に浸りながら映画館から現実世界へと出てきた。が、もう少しその余韻を楽しみたかった。切り出したのは母だった。   「ねぇ、お茶していかない?雨も降っているし。」 「そうねぇ、パパの顔見る前に、少し魔法を解いておかないとね。」  美彩都は母の案に、迷わず同意をした。   「やだ、そこまで言ってないわよ。」 本降りになってきた。 バッグを傘代わりに頭に載せ、二人は小走りで映画館前の喫茶店に入った。店員に、お好きな席でと促され、まばらな店内を見渡した。雨だれを眺めるのが好きな美彩都は、窓際の席を選んだ。 「ひどい雨ね。止むかしら。」  二人はおしぼりでバックや服を拭いながら、席に着いた。 「私、雨好きよ。雨だれ観てると、なんか落ち着くのよ。」 「美彩都は小さい頃から、雨が好きだったわね。雨降ると、長靴と傘持って、家の前の水たまりの中にわざと入って、ピチャピチャと、すごい楽しそうに遊んでいたの思い出した。」 「そうだっけ?」 「あなた、やんちゃで大変だったのよ。遊んだ後は、泥はねで全身汚して、家入る前に、抱えて風呂場へ直行したもんだわ。」 「今はしないわよ。」 「当たり前でしょ。ねえ、それよりさ、カッコよかったと思わない?」    母は出演していた俳優がどんなに素敵だったかを、目を輝かせて夢中で話をした。    美彩都は、止まらない母の話にブレーキをかけた。   「ねぇママ、パパと結婚したのはどうして?」   「急に何?パパが可哀そうにでもなった?」    今日子は少し曇った表情を見せたが、一息置いて、座り直してから話始めた。   「何から話したらいいのかな。そうねえ、あなたの本当のお父さんは、あなたが生まれてから、すぐに行方不明になってそのまま、というのは話したと思うけど、パパとお父さんは、中学時代からの同級生で仲のいい友達だったの。それでね、お父さんは親友のパパにあるお願いをしていたの。何かあったら、私と美彩都の事を頼むって。私には何にも言ってくれなかったけどね。」   「えっ、という事は、お父さんは、自分の身に何か起こるって、予測してたってこと?」   「それは、わからないわ。行方不明は、単なる事故かもしれないし。」   「でも、その何かが、起こってしまったんでしょ。事故にしろ、事件にしろ、やっぱり、お父さんは何か予知していたのよ。」   「そうかもしれないわね。それでね、お父さんの行方が分からなくなってから、パパは思い当たる事の全てを考えて、何年も捜し続けたわ。でも、見つからなかったの。ある時ママが体調崩して入院した事があって、まだ小さかった美彩都を、この時は金沢の両親に預けたけど、実家も自分たちが経営してた会社が倒産寸前の状態だったし、そんなには頼れないでしょ。これからの事考えるとどうしたらいいかわからなくなってて。そんな時、パパが助けてくれたの。身の回りの事や、両親が大変な時だからと、あなたを預かってくれた事もあった。パパは一生懸命、私たちを守ってくれたわ。お父さんとの約束を果たしてくれてたのね。だから、あなたが小学前だったかな、ママから結婚して下さいとお願いしたの。」   「ママから言ったの?すごい、ママって案外、積極派だったんだ。それで、パパはなんて返事したの?」   「それがね。それはダメです、と言うのよ。勇気振り絞って言ったのに、なんで?って思ったんだけど、そのあとに、ちゃんとパパの方から、プロポーズしてくれたわ。やっぱりこういうのは、男性からって思ったんでしょうね。」    母はエピソードを交えて、顔を赤らめながら、今まで話さなかったのが嘘のように、一気にたくさんの話をした。喉の渇きに気付いたのか、目の前の珈琲にようやく意識を向けた母は、少し冷めた珈琲を口にした。    美彩都は、母が畏まって話を始めたため、身構えて聴いていたが、話が進むにつれ、その気持ちは緩んでいった。ケーキも食べ終わり、珈琲カップの底に溶け残った砂糖を少しの珈琲でくゆらせながら、少し上目遣い気味で言った。   「ふぅーん、ご馳走さま。パパの顔見たくなったんじゃない?」   「ちょっとね。」   「ねぇ、その大好きなパパには悪いんだけど、本当のお父さんってどんな人だったの?それに行方不明時の事、ほとんど聞いてないし。娘として、ちょっとは知りたい。だめかな。」    本当の父については、ずっと気になりながらも、何か暗い背景がありそうで聞けずにいた。今まで話題にすることもなかったが、この流れの今なら聞けそうな気がした。    今日子は、ぬるい珈琲を吹き出しそうになった。   「どうしたの、今日は。なんか深いとこ突いてくるわねぇ。今観た映画に感化された?」    美彩都は、ここで引くともう聞けないと思い、「ごめん、ずっと気になってたから。」と自分の思いを押した。    今日子は、当時の不安が蘇り、自分が抑えられるか自信がなかった。覚悟を決めたように、姿勢を整え、水で喉を締めてから話始めた。   「あなたのお父さんはね、パパと同じで正義感が強くてね、困った人を助けるような優しい人だったわ。私がまだ看護学生のころだったんだけど、デート中に道端で、うずくまっている人を見かけたのよ。そしたら私そっちのけで病院まで負ぶって送っていくのよ。私も一応、看護の勉強してるのに、全く私が見えてなかった。まぁそこがいいところなんだけどね。」   「そうなんだぁ、正義感か、パパもそういうとこあるね。あれ?お父さんて、医者の卵だった?」   「医者と言っても、動物のね。」   「へぇ、もし具合悪かったのが犬だったら、自分で手当できたかもね。あれ?そういえば、私、顔、知らないけど。」   「写真、見せたことなかったっけ?小さい時だったかな、見せたの。もうパパと家族で生きていくと決めたから、飾ることも無くなったしね。」   「お父さんは、どこかで生きている可能性はないんでしょ。」   「多分ね。そう思うしかないの。パパもそうだけど登山が趣味で、その日は、何故か一人で出かけたのよ。パパと他の友達には話して出かけたみたい。でもそれ以来帰ってくることはなかったわ。その日は霧が濃かったから誤って滑落したんじゃないかって警察の方からも言われた。でも信じられなくて、絶対どこかにいると思ってた。でも、一人で登山なんて。納得がいかないことばかりで。警察だけには任せておけないからと言って、パパや友達もかなり広く捜索したけど、遺体も遺留品も見つからずに七年経って、死亡という扱いになったから…そう思うしかないの。」    今日子は少し目を伏せ気味に、ハンカチで目元を軽く押さえて、自分に言い聞かせるように、二度その言葉を言った。   「ごめん。ママ。辛いこと思い出させてしまって。」と美彩都は持っていた珈琲カップをテーブルに降ろして、言葉をかけた。   「いいのよ、美彩都はもう十七歳だしね、いつかは話さなきゃと思っていたから。」     ここまで、話してくれたのは初めてだった。本当はまだ諦めきれないのだ。自分の思いを固く閉ざしながら生きてきた母に、安易に父のことを聞いた自分を悔いた。母の笑顔を失うのが怖くて、それ以上の言葉を押し込んだ。   「さ、雨も止んだし、帰ろうか。パパ待ってるわよ。」    母は美彩都の表情を察し、そう、話を切り上げた。   「魔法は解けた?」   「解けたわよ。やっぱり、パパの方がいいわ。美彩都、今日は付き合ってくれて、あんやとね。」   「その言葉、久しぶりに聞いたわ。あ、虹。虹だよ、ママ。」   「あら、ホントね。きれいね。久しぶりに見たわ。最近、空なんて、見上げる余裕もなかったものね。」    帰りは二人は笑顔になっていた。    しかし、美彩都は、その母の笑顔の奥に、まだ解けない何かを感じていた。   「ただいまぁ、パパ。」  今日子の声が弾んだ。 「おう、お帰り。」  俊樹の笑顔が待っていた。    食卓がいつもより華やかな感じが…。 「あら、エプロンなんかして。これ、お寿司、オードブルも。どうしたの?」   「うそだろ、今日は何の日だ?」    俊樹の声とほぼ同時に母の声が飛んだ。   「うわ、ごめん。結婚記念日!。」   「普通さ、こういうのって夫の方が忘れてるんだよね、ママ?」 「何の言葉もありません。せめて、お吸い物でも作るわ。」 「それも作ったよ。」 「何から何まで、すみません。」と今日子は深々と頭を下げた。 「今日はなんか、頭低いな、怪しい。」    すかさず、美彩都は、俊樹の腕を組んだ。 「パパ、今日はね、帰りにママからパパの事いっぱい聞いたの。今でも、ラブラブじゃない。あと尊敬もしているのよパパの事。」 「なんか照れくさいな。では、では、いつも、ありがとう。」    俊樹は、不慣れな、ぎこちない様子で、テーブルの下に隠しておいた花束を今日子に手渡した。  驚いた今日子は、今日、二度目の涙を見せた。 「誕生日でも、こんなのした事ないのに、どうしたの?」 「まあな、十周年とうい区切りだからな。」 「そっか、結婚したのは、平成19年、5月3日…。もしかして、この準備のために買い物行ったの?」 「そういう事は聞かないの。ママ、それより、『あ・ん・や・と』でしょ」   「そうね、あんやとね、パパ」   「久しぶりの金沢弁だな」 「ほんとね。美彩都が小さい頃はよく使っていたけど、東京が長くなったからね。でも今あんまり若い子は使わないかも。使い方忘れちゃった。よく小さい子から飴玉もらったりしたら『あんと』って言って可愛い方言なんだけどね。」    にぎやかに結婚記念日を祝う会は終わり、布団に入るころには、感情の波にもまれた今日の疲れが、一気に今日子の身体を包んだ。しかし、今日の美彩都の話を留めておくことはできず、眠りに落ちそうになる自分と葛藤しながら、今日子は、隣に寝ている俊樹に声をかけた。 「ねえ、起きてる?」 「起きてるよ。」 「今日は、本当にありがとね。」 「いいよ、いつも、こっちがありがとうだから。」   「あのね、美彩都がね、蒼真(そうま)のことを知りたいって、どんな人だった?って。少し話したけど、たぶんもっと聞きたかったと思う。でも重い感じになっちゃったから、私に気を遣って、それ以上聞かなかったわ。」   「そうか、まあ、そうだろうな、自分の親の事知りたいのは当たり前な事なんだし。わかった。タイミングを見て俺の方からも話してみるよ。」    俊樹の声が終わる前には、今日子はすでに寝息を立てていた。俊樹は今日子の寝顔をみて「お疲れ」と声かけた。    目を閉じるが、眠ろうとすればするほど美彩都や今日子の笑顔の中に、蒼真の顔がチラチラと瞼の奥に映込み、眠りを阻んでいた。    ようやく寝付く頃には、外は深紫色の空が、白々とした優しい光に染まり始めていた。
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