手帳と写真

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手帳と写真

蒼真の友人には、俊樹の他に真田時生(ときお)という週刊誌記者がいる。主に政治ネタを書いている記者で、7歳上の頼りになる兄貴的な存在だ。蒼真の行方不明時には俊樹とともに、捜索に尽力していた人物でもある。新たな手掛かりもなく、時間に追われる日々の中で、ただ時が過ぎ、真田はいつしか俊樹と会う事も無くなっていた。その真田から、俊樹に連絡が入ったのだ。    蒼真の兄の神田洋一郎が、実家を処分するための荷物の整理で、蒼真の手帳と古いアルバムが見つかったと言うのだ。その内容を見た洋一郎は、蒼真の行方に関して何か手掛かりが掴めないかと、真田へ相談をしてきたとのことであった。    蒼真の父親は、蒼真がまだ学生の頃に亡くなり、母親は蒼真の行方不明後、まもなく病気で亡くなっている。洋一郎は大学入学と同時に家を出ており、現在は歴史の研究家として京都で家族とともに生活している。  今回、実家のある町の自治体が、空き家対策の一環として老朽化した家屋をどうするのか所有者に連絡を取っていたところ、洋一郎にもその連絡が入った。生まれ育った家は想い出もあり、蒼真がいつ帰ってきてもいいように、時々、軽く掃除や庭の手入れもしてきたが、今となっては、家屋の倒壊などで問題になる前に処分したほうが良いと考えた洋一郎は、実家を解体をして土地も処分しようと決断し、荷物の整理をしていたのだった。  その作業中に、蒼真の机の引き出しの中から、きれいな漆塗の箱に入った本人が書いたと思われる手帳と、古いアルバムが見つかったのだ。    その手帳には、そのアルバムから抜き取ったと思われる写真が一枚挟まっていた。手帳は理解しがたい内容が多く、写真も謎めいたものであったため、自分の同級生であり、蒼真とも友人の真田なら何か手掛かりを見つけてくれるのではないかと、相談を持ち掛けられたというものだった。    俊樹も蒼真の兄については、もちろん知ってはいたが、中学生の頃の俊樹にとっては、7歳上という歳の差以上のものを感じていた。文武両道で、柔道は強く、頭脳明晰でもある、まして哲学的な物言いといい、近寄りがたいオーラが半端なく、少し距離を置いていた存在だった。  蒼真の捜索時には、自分が少し大人になった分、若干、物言いも柔軟に思えた。しかし、今でも、小さい頃の印象は強く俊樹の中に住み着いており、心の距離は縮まることはない存在である。    俊樹と真田は、数日後、俊樹の会社の近くの喫茶店で会うことにした。    自分の本当の父親について知りたがっている美彩都にはデリケートな話になる。言葉を選ぶ慎重さが求められた。手帳を確認して自分なりに整理をしてから話そうと決めた。      仕事が終わった俊樹は、予定時間より早めにその喫茶店に着いた。会社の近くではあるが、真面目な俊樹はまっすぐ帰宅する毎日を送っていた。たまに会社の飲み会で駅前の居酒屋で飲むくらいである。    もう何年ぶりだろうか。久しく来ていなかった。    商店街の少し外れにあるこの店は、河合英明という同級生が、親のあと後を継いで経営している。その河合と真田とで、三人でよくつるんでいた事もあり、ここを待ち合わせ場所に選んだのだ。   『珈蘭(からん)』と彫り込まれた銅製の看板が、時を経た緑青色が落ち着いた趣を出していた。紫檀色のドアに施されたステンドグラスの蘭の花が、今でも変わらない姿で迎えてくれる。  ドアを開けた瞬間、カランコロンという音とともに昔の自分が見えた気がした。    マスターはいないのか。『珈蘭』の文字が入った赤いエプロンをした白髪交じりの小太りの女性が、奥の一段降りたフロアに案内してくれた。   「すみません、ここのマスターはいますか?」 「ちょっと、出ていまして。失礼ですが、どちら様でしょうか?」  見た目よりは声も落ち着いていてしっかりした応対だ。 「こちらこそ失礼しました。白石と申します。マスターの河合さんとは同級生でして。」 「あら、そうなんですね。もう来ると思いますよ。戻りましたら、お声掛けますね。」 「ありがとう、お願いします。」    珈琲を注文し、ゆっくりと椅子に腰掛けた。艶味を増した深い飴色の革張りの椅子は、このレトロな風景の中の主役だ。若い時には感じなかったが、この歳になって、こういう椅子に座ると、とても落ち着く自分がいる。  カウンター奥の棚には、珈琲カップとソーサーが一組ずつきれいに並べられている。すべて柄と形が同じものがなく、そのお客に合った柄をマスター自身が選び、注文を受けてから豆を挽き、芳しい音を奏でて淹れてくれる。その一人のために淹れてくれた珈琲は、こんなに美味しいものかと感動した記憶がある。  いつもカップをキュッキュッと柿渋色のタオルで丁寧に拭いている、マスターの姿が忘れられない。今もマスターがいない時は、他のスタッフが、この心地よい空間を保っているようだ。    この特別な珈琲の薫りはあの頃の懐かしい時間に戻してくれる。もしタイムマシンがあるのなら、それにも匹敵するほどだと思った。しかし、その回想の時間は短かった。スーツの内ポケットから取り出した眼鏡はあっという間に今の自分に引き戻す有能なアイテムだった。    歳とったな…  深いため息とともに手に取った新聞を広げていると、ドアの鐘が客の入ってきた事を知らせてくれた。俊樹が顔を上げると、生成のキャンバス地の大きな袋を肩から掛けた男性が視界に入った。  店内を見わたすその姿は、髭を蓄えているせいか以前より貫禄を増した印象だ。真田であることがすぐ分かった。手を挙げた俊樹に気が付いた真田は、一瞬、目を凝らし、俊樹を確認してから声をかけた。   「おう、久しぶり、誰かわからなかったよ。眼鏡と新聞、すっかりおやじだな。」 「お互い様だよ。どこの社長かと思ったよ。」    お互い風貌の変化はあっても、長年の付き合いは変わらぬものを感じていた。真田も珈琲を注文して、店員に許可を得てから隣のテーブルを寄せ、すぐに袋から黒い革の手帳と古いアルバムを取り出しながら言った。   「元気そうだな。娘さんと奥さんは元気か?」  俊樹はその手帳と挟んであった写真を手に取り、手帳の最初の1頁を開きながら答えた。 「ああ、二人とも元気だよ。娘は高校3年生になる。」 「もうそんなになるのか。俊樹、仕事は?」 「あれからずっと医療品を扱う営業だよ。」 「そうかぁ、俺も一緒だよ。会社は変わったが週刊誌の記者だ。それにしても、しゃれたカバン持ってんな。」 「丈夫で大きめなカバンっていうから、美彩都の中学の通学に使ってたカバン持ってきたよ。」 「そのロゴは校章なのか。それはいい。」    真田は笑いながら、珈琲に角砂糖を次から次へと入れ、ミルクもピッチャーの中身をすべて注いだ。そして砂糖がまだ溶けきらない珈琲に口をつけた。その姿を見て手帳をめくる手が止まったままフリーズしていた俊樹に気付いた。 「禁煙してから、甘いものに走ってしまったよ」と苦笑いをし、話をそらすように、本題に切り替えた。   「で、その手帳だが、よく読まないとよくわからん。だが読み込むほどに頭がおかしくなる。やっかいな内容だ。」    手帳には、蒼真のこれまでの小さい頃からの不思議な体験が多く書かれていた。  中学校の時、野球部でデッドボールを受けた時、自分は意識無くして救急車で運ばれ、回復後にそのまま家に帰ったはずだが、友人が、自分を学校で見かけて話しかけたが無視されたと言われ、それは自分ではないと言ったが、お互い譲らず喧嘩になった事。右額の上部の髪の生え際から頭皮にかけてある痣が成長につれ、文字のようなものが浮かび出てきた事。その頃から、不思議な夢を見たり、体験をするようになった事が書かれていた。 実家にあった写真の風景が、その夢に出てきた風景と似ていて、関連があるのではと、似たような写真を持っていた美崎るり子という女性を伴い、フランスへも行っている事が書かれてあった。その日付は平成12年3月2日。行方不明になる1か月前だ。帰国後の事はいっさい記載がない。    俊樹は、手帳を読みながら、蒼真とのエピソードを思い出した。 「このデッドボールの話は覚えているよ。あの時は、ほんと変な事言うなあと思っていた。頭打ったから、どうかなったんだとばかり。でも、これ読むと、不可解な体験はその時だけではなさそうだな…。蒼真は詳しいことは何も言わなかったが、自分に何かあったら、今日子と美彩都のこと、頼むって言ってたのは、この事と関係あるのか。」   「この手帳はすべてコピーをしたから俊樹の方で持っていてくれ。あと、アルバムの写真も必要なものはスキャナーで取り込んだから、持ってっていいよ。それとアルバムに家系図らしきものが挟まっていたんだ。手書きで紙も色褪せた小さなメモで、誰が書いたものかわからないが。このアルバムと手帳は、机の引き出しの中にあったそうだ。大事なものだったんだろうな。草花の蒔絵が描かれた漆塗の高価そうな箱に入れてあったよ。箱は持ち運ぶのも傷つけそうだったし、洋一郎に持って行ってもらった。歴史学者だし、価値わかる人が持ってたほうが良いからね。」    家系図には、蒼真の母方の祖母の両親、曽祖父がカタカナで『エカルラート』、曾祖母は、『アイサ』と書かれている。  アルバムにはモノクロに着色をしたような色彩で『エカルラート』らしき人物が洋装で、東洋人らしき妻、アイサと写っている。エカルラートは背が高く、青い眼、赤毛の紳士だ。どこかの由緒あるお家柄のようだ。  また、このアルバムの装丁も、ブロンズ色の背景に黒でユリの花がデザインされていて、重厚感があるものだった。ただ、傷や、色褪せ、角は擦れ丸くなっているなど、時を経た事を物語っていた。    真田は自分の疑問を加えた。 「このアルバムから見える景色や人物と、実際に住んでいた家の感じは明らかに違うと思うが、蒼真やその家族は家系図の中にしっかりと名前があるだろ。家系図と写真が同一の者を示すのかどうかもわからん。そこが不思議なんだ。」 「ほんとだな、日本じゃないみたいだ。これが家系図と同じ人物というなら、蒼真はハーフ、いやクオーターになるのか?そのまた半分か?そんな話何もしていなかったな。それにハーフっぽくもなかったし。曽祖父なら、血は薄いか。それにしても、カメラって、この時代あったのか?あったとしても高価だろうな。」    もう頭が変になりそうだった。残りは自宅で読む事とし、俊樹は目頭を押さえながら、眼鏡を外した。   「いらっしゃい。名前きいてビックリしたよ。どうした。」  外出から戻ってきた河合が声をかけた。 「いやぁ、久しぶり。急に来てすまん。」  俊樹は、手に持っていた眼鏡を再び掛けた。真田はたまに来ていたが、俊樹とは5年以上は会っていない。また真田が一緒にいることにも驚いていた。    三人でテーブルを囲み、これまでのいきさつを、俊樹から聞いた河合は、写真を手に取った。 「そういう事かぁ。自分にもできることがあったら協力させてくれ。この写真、確かに蒼真ん家とは違うな。不思議な話もあるもんだ。その手帳のコピー、ついでの時でいいから、自分にも欲しい。」 「了解。久しぶりに顔が見れて良かったよ。」そう言うと、俊樹は再び眼鏡を外した。 「この椅子は座るときは天国なんだけどなあ。」  皮肉を言いつつ、真田は軽くなった袋を肩にかけ、深々と沈めていた腰に気合を入れて立ち上がった。 「どこをどう考えていいのか、とりあえず、気になることを一つ一つ調査してみようと思う。次また報告するよ。」    俊樹は、持参したカバンにアルバムと手帳を入れ、お互いに何か分かったら、連絡を取ることとし、その場を後にした。  帰り道、俊樹は悩んでいた。美彩都に話すタイミングを。    その夜、美彩都が自分の部屋に上がったあと、俊樹は、ソファに座って雑誌を読んでいた今日子の横並びに座り、珈蘭での事を話した。   蒼真の消息が何か分かるかもしれないとうのに、今日子は、浮かない表情を見せ、再び雑誌に視線を落とした。それでも、俊樹は手帳を今日子目の前に差し出した。しぶしぶ手帳を開いた今日子は、ある頁に目が留まった。しばらく考え込んだあと、何か思い出したかのように押し入れの奥から、白いキルトに包まれた小箱を取り出してきた。   「あのね、これ、美彩都のへその緒が入った桐の箱なんだけど、この中に、蒼真がくれたお守りが入っているの。フランスへ行ったときのお土産で、ほら、勾玉みたいな石でしょ。でも、出っ張りがあったり、なんか中途半端な形で小さいの。留める金具も何もついてなくて、失くしてしまいそうだったから、ここに入れておいたんだけど。これ似てない?このマークのこの部分。」    手帳には、よく見るマークが書かれてあり、フランスの王国の紋章と説明してある。 「確かに、このフランスの黒く書かれた紋章の一部が、赤く区別してあるな。その赤い部分にも見えなくもないが、蒼真とどんな関係があるのか。ま、手帳を全部読んでみないとな。」    俊樹は手帳を閉じながら、今日子に確認をした。   「今日子、もし何か手掛かりがわかったら、どうする?」   「そうねえ、わかったところで、どうにもならないでしょ。もしも、もしもよ、どこかで生きてたとしても、戻ってこないということは、そういう理由があるって事だと思うし、今更って気もする。私は今の生活を大事にしたいの。美彩都の事思うと、複雑だけど。」   「そうか、そうだよな。やれるところまでやってみるよ。でも手帳の中身は現実味ないし、掴みどころもない話ばかりだ。そう簡単に答えは出ないと思うよ。」    俊樹も今日子と同じ思いで、あえて後退的な言葉で濁した。    真田は、手帳の中に記してある『パラレルワールド』という言葉を見過ごそうという自分に逆らった。それとなく耳にしたことはあったが、自分とは程遠い思想だと思っていた。だから活字が目に入っても故意に無視をしていたところがあった。    そこを敢えて、半ば強引に自分の意識を向けようというのである。    真田はパラレルワールドについて、とりあえずネットや本で調べてみることにした。  パラレルワールドは、現実の世界と並行して存在する複数の世界。タイムスリップもこの世界が絡んでいるという説もあり、SF映画の題材でも取り上げられている。ネットでも不思議な体験をした話は多数投稿されていて、蒼真も手帳に、それらしい体験を記していた。  パラレルワールドについての予想以上の情報量に驚いた。そんな中でパラレルワールドを体験した人が集まるコミュニティが目に留まった。年に2回、体験談や新しい情報を共有、共感、するものだった。そのパラレルワールドの会のサイトの管理をしている村島亮太に連絡を取り、後日予定されているというオフ会に参加することにした。   『パラレルワールドは本当にあった!十七年前の行方不明事件の謎を追う!』なんてのは記者としていかがなものか。未確認生物を発見!といった類の限りなく怪しい記事を取りあげる記者をどこかでバカにしていた。    しかし、真田は自身の記者哲学を裏切るかのような行動をしている自分の中に、何かが変化していくのを感じていた。 
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